「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・12

2013-12-12 08:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「明治の古新聞古雑誌の読者であった私は、外道(げどう)という言葉はかねて馴染だった。外道は人ではあるが人でないもの、人外(じんがい)の魔物である。畜生とは少し違うから母は私を外道だと言ったのだろうと察して、うまいことを言うなあ、いかにもそうだと感心したのである。
 不良少年なら十八で肺病で死んだ兄が俗に言う不良だったが、母はそれが不良ではないことを知っていた。小学生のころからただの活動狂で、浅草六区に日参(にっさん)して、同じ活動写真を三回見て弁士の説明をみんなおぼえ、帰ると弟妹どもを集めておぼえたての説明を聞かせる喜びを喜んでいた。それがまたうまいんだ。七五調の名文句だからすぐおぼえる。
 父は金利生活者で母は日本橋室町(むろまち)切っての美人で乳母(おんば)日傘で育ったから、二人とも金銭感覚はゼロに近い。はち切れそうな小銭いれをそこらにほうっておくからちょろまかすのはわけはない、これはほうっておく親が悪い。
 妹は美人ではあるがまじめ一方で話して面白くなかった。その下の弟は南方のどこやらで戦死したが、その命日に友が三、四人必ず母を見舞に来ること一年ではない、六、七年来たと聞いて、弟にそれだけの徳があったと思わないわけにはいかなかった。末の弟は福岡は小倉の陸軍病院で戦病死した。
 兄弟姉妹八人はふた派に別れていた。人並に善良な血が流れているものと、血の代りに水が流れているようなもののふた派である。私は水のほうで、ためにそれをかくそうと尋常な人のふりをしたが、母は見破ったのである。」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)

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