「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・12・19

2013-12-19 07:50:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

「ご存じのように明治時代の新聞は、大(おお)新聞と小(こ)新聞の二つに分かれている。大小といっても紙面の大小のことではない。大(おお)新聞は政論新聞で、もっぱら天下国家を論じた。論者は知識人ばかりだから、発行部数は多くはなかった。
 明治七年東京日日新聞八千部、明治十三年郵便報知(のちの報知新聞)一万部、明治二十五年万朝報十万部。
 大新聞の論者は教養人だといったが、その教養は漢籍の素養で、当時は詩人といえば漢詩人をさして、軍人も政治家も折にふれて詩を賦した。新聞には俳句や和歌の投書欄があるように、漢詩の投書欄があった。
 天保老人という言葉があって、天保生れの人は明治三十年代に六十になっている。すでに言ったようにこの人たちは漢詩漢文で育っているから、大新聞は記事に遠慮なく漢語を用いた。紙面は漢字でまっ黒だった。
 いっぽう小(こ)新聞は今で言う商業新聞で、たくさん売ろうとしたから、記事は女子供にも分るように書くのを旨とした。さらに読みやすくするために挿絵を入れた。平仮名を多く漢字を少なく、その漢字にはルビを振った。明治初年からつとに口語文に近いもので書いた。読者を多く持つにはむずかしくてはだめだからこうしたのである。その一例をあげる。

 明後日は新嘗祭(にいなめさい)につき新聞も一日お休みで旗を出して祝ひますゆゑ機嫌よく皆さんもお祭りを成さりまし。

 右は明治七年創刊の読売新聞二〇〇号に出た記事である。百年以上前の記事だが、今読んでもおかしくない。『新聞休刊日』などと言わないで『お休み』と言っているのは、正しい言語感覚である。当時の読売新聞は代表的な小(こ)新聞で、その読売は明治九年十月二十六日、神風連の騒動を以下のように報じている。

 これは昨日諸方でとんでもない風聞を聞いたゆえ、よく糺(ただ)したいと思っても新聞屋の力に及びませんが、一昨日の夜十二時五十分ごろに、熊本鎮台兵営へ何者か鉄砲を打こみ、兵隊は逃てしまひ大騒動だといふがうっかり人の言ふことは中々信用できません云々。

 熊本鎮台司令官陸軍少将種田政明は、十月二十四日午前二時すぎ、東京からつれて来た芸者小勝なるものと共に寝ていたところを神風連の壮士にふみこまれ、枕刀をとって防いだが及ばず、斬り殺された上首を奪われた。
 芸者小勝は東京日本橋の父のもとへ『ダンナハイケナイ ワタシハテキズ』というあの名高い電報を打った。まだ電報が珍しいころで、これがたいそう評判になった。
 戯作者(げさくしゃ)の生きのこり仮名垣魯文はこの電文の下に『かわりたいぞえ国のため』とつけた。うまい都々逸ではないが、きわものだからずいぶんはやったという。
 事件がおこったのは十月二十四日午前二時すぎである。それを報じた同月二十六日のこの記事にはたいした誤りがない。それなのに誤ってはいないかとしきりに危ぶんでいる。文は巧みとはいえないが、記者の態度は百年をへだてたいま好感が持てる。
                                           (『正論』昭和55年4月号)」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする