今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 私はよく痛烈といわれるが、あれは自分のことは棚にあげて他を論難することで、新聞が毎日
していることである。
私はリベートは税金のかからぬ唯一の金だと思っている。何か世話になったら礼をするのは当
り前である。それにリベートは原則として利益を越えることができない。リベートを罵る人は
リベートをもらう席にいない人で、その席に座れば喜んで貰うだろう人がその席にいないばっか
りに居丈高になるのを痛烈というのだから、私はこの言葉をほとんど憎んでいる。私は喜んで貰
う側の人としていつも発言している。
私はこういうはやり言葉を言うことを自分に禁じている。流行というならあの『がんばる』と
いう言葉、これほど手垢にまみれた言葉はない。その流行すること新婚旅行に旅だつ二人を送っ
て、『がんばれよ』とつい口走るほどである。
がんばるだけは封じたい。封じると何も言えなくなるほどこの言葉は流行の極にあって、まだ
腐らないでいる。」
(山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
「 私はよく痛烈といわれるが、あれは自分のことは棚にあげて他を論難することで、新聞が毎日
していることである。
私はリベートは税金のかからぬ唯一の金だと思っている。何か世話になったら礼をするのは当
り前である。それにリベートは原則として利益を越えることができない。リベートを罵る人は
リベートをもらう席にいない人で、その席に座れば喜んで貰うだろう人がその席にいないばっか
りに居丈高になるのを痛烈というのだから、私はこの言葉をほとんど憎んでいる。私は喜んで貰
う側の人としていつも発言している。
私はこういうはやり言葉を言うことを自分に禁じている。流行というならあの『がんばる』と
いう言葉、これほど手垢にまみれた言葉はない。その流行すること新婚旅行に旅だつ二人を送っ
て、『がんばれよ』とつい口走るほどである。
がんばるだけは封じたい。封じると何も言えなくなるほどこの言葉は流行の極にあって、まだ
腐らないでいる。」
(山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)