今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「伊藤整は『愛』という言葉が輸入されて以来、日本婦人の不幸のふえることいかばかりかとむかし書いた。
卓見である。私たちの父祖は愛という言葉を口にしなかった。愛がなかったはずはないのに、それに当る言葉が
ないのは不思議なようでそうでない。言わぬは言うにまさったのだろう、目は口ほどにものを言ったのだろう。
しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思うと人の問うまで。
『愛する』という言葉はまだ日本語になってない。当分なる見込みもない。あれは映画と小説のなかであんまり
使われたので、東京では実際に発言されているのだなと早合点して、上京したら使おうと身構えていたものが用いた
だけである。いまだに口がさけても言わぬ若者がいるのは、それは言うに耐えない翻訳語だからである。」
「その国の言葉はその国の衣裳に似て、何百年も用いられなければその国のものにはならない。故に男が避けて
言うまいとするにはそれだけのわけがある。ここでけげんなのは女が手をかえ品をかえこの言葉を言わせようと
する情熱である。
それなら女はすべて田舎者で鈍感かというとそんなことはない。ウーマンリブでなくても、オイと呼ばれれば
コラと続きはしまいかと気色ばむ。間男と聞いただけで顔をそむける。よろめくまたは不倫なら口にするのは、
それ相応に敏感なのである。およそ言葉に敏感でない人も時代もない。ただ言葉と中身がぴったりだと顔を
そむける人と時代があるだけである。」
(山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
「伊藤整は『愛』という言葉が輸入されて以来、日本婦人の不幸のふえることいかばかりかとむかし書いた。
卓見である。私たちの父祖は愛という言葉を口にしなかった。愛がなかったはずはないのに、それに当る言葉が
ないのは不思議なようでそうでない。言わぬは言うにまさったのだろう、目は口ほどにものを言ったのだろう。
しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思うと人の問うまで。
『愛する』という言葉はまだ日本語になってない。当分なる見込みもない。あれは映画と小説のなかであんまり
使われたので、東京では実際に発言されているのだなと早合点して、上京したら使おうと身構えていたものが用いた
だけである。いまだに口がさけても言わぬ若者がいるのは、それは言うに耐えない翻訳語だからである。」
「その国の言葉はその国の衣裳に似て、何百年も用いられなければその国のものにはならない。故に男が避けて
言うまいとするにはそれだけのわけがある。ここでけげんなのは女が手をかえ品をかえこの言葉を言わせようと
する情熱である。
それなら女はすべて田舎者で鈍感かというとそんなことはない。ウーマンリブでなくても、オイと呼ばれれば
コラと続きはしまいかと気色ばむ。間男と聞いただけで顔をそむける。よろめくまたは不倫なら口にするのは、
それ相応に敏感なのである。およそ言葉に敏感でない人も時代もない。ただ言葉と中身がぴったりだと顔を
そむける人と時代があるだけである。」
(山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)