坪内正人Blog

「見る・聞く・言うそして熱き心で動く」
これが私のコンセプト!

野菜花の心意気

2006-04-16 19:30:26 | 今日の出来事
 本当に久しぶりに雨模様から脱出といった一日となりました。

僅かですが、日差しが差し込む日曜日。歩いて「みどりと歴史のまち 長岡京」を散策いたしました。


 鯉のぼりをみて「あれ、なんていう鳥?」と聞いたという子供の話はほほえましいものです。魚を大空に泳がせることを考えついたわれわれのご先祖さまの天才的発想に、拍手をおくりたいです。


  鯉のぼりのころ、今まさに花を楽しむ季節でもあります。


 「見る花もよいが、野菜の花もよい」・・・歩きながら感じ取ったそんな想いを綴ります。


 たとえば、ネギボウズ。冬を越したネギが、クス玉のような白い花をつけます。ダイコンが野趣ゆたかな花を咲かせるのも、ちょうど今頃です。何となくばらついたその咲きように、どことなく寂しげな風情があります。

 ある店先を覗くと、花びんいっぱいにこぼれるばかりに咲く黄色い花をみて、聞きましたら、ブロッコリーだと教えてくれました。切り花で菜の花に似ていますが、それほど黄色ではなく、それほど優雅ではなく、これまたどことなく丈夫そうな感じがします。エンドウもスイートピーに似た可憐さを漂わせて咲きます。花がしぼみはじめると、花の中でつややかな青いサヤが顔を出します。ジャガイモの花は、梅雨時を連想させます。キュウリの花は、刺し身を思い出させます。


 そうです!・・・野菜の花には、どこかヤボったかったり、ごつい感じのするものがあります。

 「わたしは見られるために咲いたのではありません」という心意気が、私に伝わって来ます。・・・そこがいいのです。見られるための人や物が多すぎるせいかも知れませんね。



 正岡子規は草花を描きながら「絵具と絵具とを合わせて草花を描く。それでもまだ思うような色が出ないと、また、他の絵具をなすってみる。」と書いています。


 千差万別の人間や花をつくった神様は、随分たくさんの絵具をお持ちだったのだろう・・・・・・「散り行く桜に哀愁を感じ、若葉と新緑に新鮮さ」を感じながら、一人「野菜花の心意気」を見つめ直しました。