若殿の気ままな独り言

日常生活で見聞きしたこと感じたこと、はまってるマカオ/Macau/澳門のことなど、勝手気ままに書き綴ります。毎日更新!

イギリス租界の面影が・・・ (上海ぷらぷら散歩~外灘~)

2010-02-25 12:18:12 | Macau、旅行
七浦路でのチャイニーズのすごいパワーに圧倒された後、向かったのはイギリス租界時代の建物が残る外灘であります。


まもなく外灘ですが、向こうに浦東のテレビ塔が見えています。


黄浦江越しに、浦東の高層ビル群が林立しています。天候が良くなってラッキーです。


19世紀後半から20世紀前半の租界時代に建てられたさまざまな様式の西洋建築が並んでいます。


通りの左側が黄浦江ですが、5月の万博開幕に向けて、道路工事の真っ最中です。


外灘の建築物はその租界時代、特に1920年代から30年代にかけて各国商人や金融機関がこぞって建てたもので、租界は1945年の第二次世界大戦終戦以降なくなりましたが、当時の建築は今もなお荘厳な風格と共に外灘の歴史を伝えています。この建物は旧露清銀行ビルで外灘15号とも称されていて、現在は上海外匯交易中心となっています。


現在の外灘は、中山東一路を挟んで西に歴史建築群、東には外灘遊歩道と黄浦公園が続き、上海観光の重要スポットですが、黄浦江沿いの遊歩道は工事中のため、散歩することもできません。真ん中のトンガリ屋根の建物は、旧サッスーンハウス (和平飯店北楼)です。典型的なアールデコ様式で、租界時代の上海を代表する大財閥サッスーンの本拠地として建てられました。現在は、この建物は上海名門のクラシックホテル和平飯店として大変有名です。


現在はアメリカの保険会社 「AIA」 のマークが目印のこの建物は、当時の中国での有力英字紙 「ノースチャイナ・ニューデイリー」 の社屋として使われていました。1922年にレスター・ジョンソン&モリス事務所の設計で建てられた古典主義様式の建物です。 左側の建物は、当時日本が台湾に創設した台湾銀行の上海支店として使われていました。正面に立つ4本の大きな円柱が特徴のこの設計は、外灘5号と同じくレスター・ジョンソン&モリス事務所によるもので、随所に西洋風の近代日本建築様式も見られます。


予告編でも紹介した、典型的な「上海パジャマ文化」の娘さんが果物かごを持って歩いていました。


観光スポットの外灘をパジャマに合わせたスリッパを履いて、誰にも臆することなく歩いていました。

 (桂林路にて)
こちらも予告編で紹介済みですが、この日の夕方のホテル近くの光景です。

 (桂林路にて)
バス停で時刻表を見ていることからすると、この後バスに乗って出かけるつもりなんでしょうね。いやぁ。立派です。


黒っぽくて見づらいでしょうが、黄浦江と反対側の歩道でも、万博向けに道路工事中です。


こちらの歩道はかなり広く、ぷらぷらと建物を見物する観光客が五月雨的に連なって歩いていました。中央のトンガリ屋根の建物は先ほど紹介した旧サッスーンハウスです。


広い歩道に今風のお兄ちゃんが携帯片手の立っていますが、この建物は旧香港上海銀行上海支店ビルです。新古典主義建築の建築物で、住所により外灘12号とも称されています。現在は上海浦東発展銀行が入店しています。


通りの中山東一路は、通行する車の量が多く渋滞していました。


遊歩道が散歩できればよかったんですが、工事中のためそれも適わず、車の行列と工事パネル越しに浦東(陸家嘴)を眺めるだけになったのが心残りです。

この後、地下鉄に乗って黄浦江の向こう側の浦東、陸家嘴駅まで移動しました。


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P.S.
2/23に続いて、昨日24日もランクインしました。12/3から84日間で、77回ランクインしたことになります。137万ブログ中の8,607位で、通算123度目、訪問者数180名(累積 42,792名)でした。みなさん、どうもありがとう。(目障りでしょうが、殿の記憶のためのメモです)