北海道うろつき詳細をアップし終わる前に中国奥地ドサ廻り営業に入ってしまいま
した。北海道記事、あと2回分あります。
6月29日(水曜)、10年近く前から傍を通りかかる都度(と言っても平均2年に一度
程度ですが)、飛び込み営業していながらも中々受注実績にならなかったのが、最
近喜ばしくもご発注下さった八雲町の新規お得意先へのご挨拶。朝早く伊達市の
宿を出て噴火湾を半周し八雲町行き。最近数年で道央道が室蘭から函館へ向かっ
て延伸されつつあり、これを使うと時間節約になります。
10時過ぎにお得意先を退出し、道央道長万部ICの先、黒松内JCTで国道5号線へ
の枝道入り。
一桁国道とは言え、人口密度の低い北海道のさらに過疎地を走る国道です。通過
交通量極小でした。
(蛇行する尻別川沿い蘭越町域が終わりかけるあたりで蝦夷富士、羊蹄山が見え
始めました)
(さらに走ってニセコ町から倶知安町に移る付近で、5号線は羊蹄山に最も近づき
ます)
wikipedia「羊蹄山」の項より。
羊蹄山(ようていざん)は、北海道後志地方南部(胆振国北西部)にある、標高
1,898mの成層火山である。後方羊蹄山(しりべしやま)として、日本百名山に選定
されている。
富士山によく似た整ったその姿から、郷土富士として蝦夷富士(えぞふじ)とも称さ
れる。
明治、大正から昭和にかけて後方羊蹄山(しりべしやま・こうほうようていざん)、
マッカリヌプリ、蝦夷富士の呼び名が併存していた。また一部の地図にはマッカリ
山(真狩山)の表記も見られた。
陸地測量部の大正9年発行の5万分の1地形図「留寿都」では後方羊蹄山(蝦夷
富士)と記載されていた。しかし難読であったことから地元の倶知安町が羊蹄山
への変更を求め、国土地理院の昭和44年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換
えられた。このため現在の羊蹄山の名が定着することとなった。
旧名である後方羊蹄山は、斉明5年(659年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本
書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に由来する(実際に同じ場所を指す
かどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊
蹄を和名で「し」と読む。
旧名は阿倍比羅夫の時代から使われていたということですか。「難読なので読みや
すく変更した」ってか。そんな下手な親切、知ったこっちゃありません。立派な文化
財である地名は元に戻すのがよろしかろーと思います。
ですが、さらに古くからのアイヌ由来地名は、
アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳
(1,107m)をピンネシリ(雄山)と呼んだ。なお尻別岳は後方羊蹄山に対して前方羊
蹄山と呼ぶことがある。
とのことで、こりゃ、アイヌ名と大和古名、両方ともに大層趣きがあります。これだけ
目立つ山ですから天智天皇の古えから遠くに知られていたことかと思います。
(倶知安町を北に外れた見込み客駐車場から。北側からの羊蹄山が最も均整のと
れた山容であると思いますが、如何でしょう?)
余市を通り、昼前に小樽市街地入り。小樽駅前から運河地帯に掛けての地域をう
ろうろしつつ5軒訪問しました。その後、5号線で札幌市へ移動し、14時前から18時
前までの4時間で11軒の既存客・見込み客を訪問し、夕刻、もう一度小樽市へ。
小樽市街地の一角に投宿し、晩飯喰いに街中へ出ました。
(宿から歩いて数分の「小樽寿司屋通り」。「日本一寿司の旨い街」と巷間言われる
小樽の向こうを張った大分県佐伯市長は、佐伯市を「世界一寿司の旨い街」と言っ
たらしい。そげん突っ張らんでっちゃよかろーもん)
(この「巽鮨」でニギリ数種とイクラ丼を喰いました。それなりに結構な金額でした)
(長いアーケードの中心商店街には、明治期の小樽振興に欠かせなかった榎本武
揚の大きな垂れ幕。榎本没後100年が2008年だったので、その時点以降、榎本の
存在と業績を小樽観光に組み入れPRしているらしい)
(22時前、小樽駅前)
(北海道入り後、2日連続2000m峰駆け登りなんか行なったにもかかわらず飯喰い
過ぎて体重増加局面を迎えていることもあり、小樽運河に沿って東に西に暗い街
中を怪しくうろついていました)
気候の良い北海道だから出来る、6月末の夜半街中早足散歩でした。深夜にかけ
て10キロ近く歩いたかもしれん。それでも思惑通りには体重は減りませんが。
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● ㈱東洋硬化へのお問い合せは当社ホームページの「お問い合せ」欄、
または、TEL:0942-34-1387 FAX:0942-36-0520
所在地:福岡県久留米市津福本町1978-1 へお願い致します。
● シリンダーロッド・シャフト・ピストン・フロントフォークインナーチューブ
・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生(クロムメッキと
全部カタカナ書きするのではなく「クロムめっき」または「クロム鍍金」
と書くのが日本語的には正解)が得意です。
● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティングで
生成します。
● 高温耐酸化性に優れ、高硬度を保持する窒化クロムアルミ膜成膜可能
です。
● 高硬度・平滑性・滑り性に優れたDLC( Diamond Like Carbon :
ダイヤモンドライクカーボン)膜の成膜可能。さらには、本邦初、DLC
膜の再生加工も開始。
● 無電解ニッケル-リンめっきの軽金属上への析出、他被膜との積層処理
可能です。被膜の付加価値向上にお役立て下さい。
● マグネシウム合金上へのアークイオンプレーティング成膜が可能です。
今まで難しかったマグネシウム合金製部品への耐磨耗性付与に
ご利用下さい。
● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
平面研削も行います。
● 超厚付電気ニッケルめっきやフレーム溶射による、短納期での寸法・
形状・機能の復元加工。
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した。北海道記事、あと2回分あります。
6月29日(水曜)、10年近く前から傍を通りかかる都度(と言っても平均2年に一度
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近喜ばしくもご発注下さった八雲町の新規お得意先へのご挨拶。朝早く伊達市の
宿を出て噴火湾を半周し八雲町行き。最近数年で道央道が室蘭から函館へ向かっ
て延伸されつつあり、これを使うと時間節約になります。
10時過ぎにお得意先を退出し、道央道長万部ICの先、黒松内JCTで国道5号線へ
の枝道入り。
一桁国道とは言え、人口密度の低い北海道のさらに過疎地を走る国道です。通過
交通量極小でした。
(蛇行する尻別川沿い蘭越町域が終わりかけるあたりで蝦夷富士、羊蹄山が見え
始めました)
(さらに走ってニセコ町から倶知安町に移る付近で、5号線は羊蹄山に最も近づき
ます)
wikipedia「羊蹄山」の項より。
羊蹄山(ようていざん)は、北海道後志地方南部(胆振国北西部)にある、標高
1,898mの成層火山である。後方羊蹄山(しりべしやま)として、日本百名山に選定
されている。
富士山によく似た整ったその姿から、郷土富士として蝦夷富士(えぞふじ)とも称さ
れる。
明治、大正から昭和にかけて後方羊蹄山(しりべしやま・こうほうようていざん)、
マッカリヌプリ、蝦夷富士の呼び名が併存していた。また一部の地図にはマッカリ
山(真狩山)の表記も見られた。
陸地測量部の大正9年発行の5万分の1地形図「留寿都」では後方羊蹄山(蝦夷
富士)と記載されていた。しかし難読であったことから地元の倶知安町が羊蹄山
への変更を求め、国土地理院の昭和44年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換
えられた。このため現在の羊蹄山の名が定着することとなった。
旧名である後方羊蹄山は、斉明5年(659年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本
書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に由来する(実際に同じ場所を指す
かどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊
蹄を和名で「し」と読む。
旧名は阿倍比羅夫の時代から使われていたということですか。「難読なので読みや
すく変更した」ってか。そんな下手な親切、知ったこっちゃありません。立派な文化
財である地名は元に戻すのがよろしかろーと思います。
ですが、さらに古くからのアイヌ由来地名は、
アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳
(1,107m)をピンネシリ(雄山)と呼んだ。なお尻別岳は後方羊蹄山に対して前方羊
蹄山と呼ぶことがある。
とのことで、こりゃ、アイヌ名と大和古名、両方ともに大層趣きがあります。これだけ
目立つ山ですから天智天皇の古えから遠くに知られていたことかと思います。
(倶知安町を北に外れた見込み客駐車場から。北側からの羊蹄山が最も均整のと
れた山容であると思いますが、如何でしょう?)
余市を通り、昼前に小樽市街地入り。小樽駅前から運河地帯に掛けての地域をう
ろうろしつつ5軒訪問しました。その後、5号線で札幌市へ移動し、14時前から18時
前までの4時間で11軒の既存客・見込み客を訪問し、夕刻、もう一度小樽市へ。
小樽市街地の一角に投宿し、晩飯喰いに街中へ出ました。
(宿から歩いて数分の「小樽寿司屋通り」。「日本一寿司の旨い街」と巷間言われる
小樽の向こうを張った大分県佐伯市長は、佐伯市を「世界一寿司の旨い街」と言っ
たらしい。そげん突っ張らんでっちゃよかろーもん)
(この「巽鮨」でニギリ数種とイクラ丼を喰いました。それなりに結構な金額でした)
(長いアーケードの中心商店街には、明治期の小樽振興に欠かせなかった榎本武
揚の大きな垂れ幕。榎本没後100年が2008年だったので、その時点以降、榎本の
存在と業績を小樽観光に組み入れPRしているらしい)
(22時前、小樽駅前)
(北海道入り後、2日連続2000m峰駆け登りなんか行なったにもかかわらず飯喰い
過ぎて体重増加局面を迎えていることもあり、小樽運河に沿って東に西に暗い街
中を怪しくうろついていました)
気候の良い北海道だから出来る、6月末の夜半街中早足散歩でした。深夜にかけ
て10キロ近く歩いたかもしれん。それでも思惑通りには体重は減りませんが。
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● ㈱東洋硬化へのお問い合せは当社ホームページの「お問い合せ」欄、
または、TEL:0942-34-1387 FAX:0942-36-0520
所在地:福岡県久留米市津福本町1978-1 へお願い致します。
● シリンダーロッド・シャフト・ピストン・フロントフォークインナーチューブ
・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生(クロムメッキと
全部カタカナ書きするのではなく「クロムめっき」または「クロム鍍金」
と書くのが日本語的には正解)が得意です。
● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティングで
生成します。
● 高温耐酸化性に優れ、高硬度を保持する窒化クロムアルミ膜成膜可能
です。
● 高硬度・平滑性・滑り性に優れたDLC( Diamond Like Carbon :
ダイヤモンドライクカーボン)膜の成膜可能。さらには、本邦初、DLC
膜の再生加工も開始。
● 無電解ニッケル-リンめっきの軽金属上への析出、他被膜との積層処理
可能です。被膜の付加価値向上にお役立て下さい。
● マグネシウム合金上へのアークイオンプレーティング成膜が可能です。
今まで難しかったマグネシウム合金製部品への耐磨耗性付与に
ご利用下さい。
● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
平面研削も行います。
● 超厚付電気ニッケルめっきやフレーム溶射による、短納期での寸法・
形状・機能の復元加工。
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