国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ヴィルヘルム・ハンマースホイとエリック・ドルフィー (前)

2010年03月20日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
最近のテレビのつまらなさには辟易とさせられてしまうが、
僕の唯一の楽しみが土曜の22時からテレ東でやっている
『美の巨人たち』だ。
毎週、1枚の絵に視点を当てて、
小林薫さんの落ち着きあるナレーションで、その絵を読み解いていく。
画家の心情かもしれない。
絵に隠されたミステリーかもしれない。
『ダヴィンチ・コード』ばりのメッセージかもしれない。
絵もまたその表情からは分からない何かを隠している。

さて、今日の取り上げられた画家がヴィルヘルム・ハンマースホイであった。
この名前を聞いてピンときた人は
なかなか絵を見に行っている人であると言えよう。
最近注目され始めた画家で
もしかすると何かで見たことがあるかもしれない。

僕がハンマースホイについて知ったのは全くの偶然で
一時期毎週のように美術館通いをしているときにチラシで知った。
僕はオランダの画家が好きで、当然ながらフェルメールも含まれるのだが、
そのチラシの絵を見ると白を基調としたまるでフェルメールのような室内の絵である。
生意気にも僕は
「名前なんか覚えるよりも絵を見極める目が大切なんだ」と思っているため、
何となく記憶に残るその展覧会を観に行こうと決めてたのだ。

2008年の秋だったと思う。
上野の国立西洋美術館でヴィルヘルム・ハンマースホイの展覧会が開かれた。
その頃は名前だってそんなに知れ渡っていたわけではない。
有名な画家の絵で大量に押し寄せる観客がいるわけでもなく
結構静かなものだったと思う。

絵はほとんど室内のものだった。
人はいても画家の妻の後ろ姿だけが描かれる。
もちろん若い頃からの主要作品もあったのだが、
何よりも目を惹くのはその白い部屋だ。
フェルメールのようといったが、似て全く否なるものであった。
微妙にずれた影や調度品は静かな部屋に不安定な感情を呼び起こす。
室内には誰かいたのか?
それとも誰もいなかったのか?
一斉に開け放たれたドアは一体何なのか?
なぜ画家の妻は溶け込むようにはっきりと描かれないのか?
また、なぜ常に黒い服装なのか?
疑問は山のようにわいてくる。

何もない虚脱感と圧迫感。それでいながらその不安定さが愛おしい。
美しくもおそろしい絵の群れであった。
普段は展覧会のカタログは購入しないのだが、
(高くて、結構邪魔になるためだ)
全くの知らない画家なのに即決で購入をしてしまった。

あれから日本でも少しずつその名が広がりつつあるのだろう。
(一部の間だけかもしれないが)
そして今日、『美の巨人たち』を見て、
再びハンマースホイの絵と出会ったとき、
ふとあるジャズミュージシャンと僕の中で浮かび上がってきた。
それは僕の大好きなエリック・ドルフィーである。