お盆休みが終わりまして、いつもどおりの仕事が始まりました。
まだ、朝の電車は空いていますね。
助かります。
このまま帰省しているひとが帰ってこなければいいのに…。
ラッシュや渋滞のニュースを見ながら、身勝手なことを思ったりします。
空の色は、だんだんと高くなってきました。
もうすっかり、秋の空です。
まだまだ暑い日は続きますが、夏の盛りはすでに過ぎ去ってしまったようで、
“残暑”とはうまいことを言ったものです。
その“残暑”、いつまでも残り続けるのがここ数年の傾向で、
それはくたびれますね。
まぁ、お天道様のことですから、しんぼう強くつきあうしかありません。
あと何日だ?
まだ地上にある、京王線調布駅です。
駅の八王子寄りにある踏切から、記念に1枚。
こちらは、いつもお世話になっている八王子方面への線路は、直線で伸びていきます。
よみうりランドへ行くときに乗り換えた相模原線の線路は、急カーブを。
見納めですな。
再掲。
駅の新宿寄りの踏切から、新宿方面の本線の線路を見たところです。
このあと、2駅先の国領まで歩きました。
両脇が仮受けで支えられた架線柱。
ビームは昔からのモノですが、やたらと太いでしょ?
背の高い高圧鉄塔が併設されていたときの名残です。
線路上空に東京電力の送電線が引かれていたのですが、
もとはといえば戦前の沿線で電気事業を営んでいた京王電気軌道の遺産。
つつじヶ丘や武蔵野台のあたりには、今もあったけ?
仮受け架線中の別のもの。
ビームだけが昔のままというのは、先ほどと同じ。
上空で送電線を支えてたといのも、同じ。
ただ、こちらのほうが細いのは、高さが低かったから。
ともあれ、これも京王電気軌道の遺産。
これも、遺産。
遠方に調布駅を望む、右側の空き地ですよ。
線路脇の三角形の土地は、旧線路跡。
手前側に曲がっていた旧線は、甲州街道上の併用軌道に続いていたそうで、
現在の線路への切り替えは1920(大正9)年だそうな。
以来、資材置き場として使われてきたようです。
京王線の、歴史的風景。
布田駅まで来ました。
このカーブも外側に空き地があって、
もとはもっと急カーブだったのではないかと思うのだけれでも、
判りやすい写真は撮れずじまい。
国領手前の架線柱。
1998年建植の、近年よく見るタイプ。
14年ほどで、役目を終えます。
移植でもするのだろうか?
その隣の架線柱。
上半分を切り取っているけれども、
もとは横のビームが2段あった、大きな門型だったもの。
すなわち、先ほど取り上げた上空に送電線を支えていたタイプ。
戦前製。
70年間、架線を支え、電車と乗客を通してきました。
まだ探せばあると思うけれども、少しづつ減ってきた京王電気軌道の遺産。
お世話さまでした。
国領付近の旧甲州街道。
ちょっとだけ、古い建物が残っていました。
国領駅に隣接する狛江街道踏切。
あ。
隣でも撮っていらしたかたがいたのですね。
いま気がつきました。
逆光でもいいや、記念撮影だもん。
盆休みのおさんぽでした。
←ランキングサイトへのリンクです。
まだ、朝の電車は空いていますね。
助かります。
このまま帰省しているひとが帰ってこなければいいのに…。
ラッシュや渋滞のニュースを見ながら、身勝手なことを思ったりします。
空の色は、だんだんと高くなってきました。
もうすっかり、秋の空です。
まだまだ暑い日は続きますが、夏の盛りはすでに過ぎ去ってしまったようで、
“残暑”とはうまいことを言ったものです。
その“残暑”、いつまでも残り続けるのがここ数年の傾向で、
それはくたびれますね。
まぁ、お天道様のことですから、しんぼう強くつきあうしかありません。
あと何日だ?
まだ地上にある、京王線調布駅です。
駅の八王子寄りにある踏切から、記念に1枚。
こちらは、いつもお世話になっている八王子方面への線路は、直線で伸びていきます。
よみうりランドへ行くときに乗り換えた相模原線の線路は、急カーブを。
見納めですな。
再掲。
駅の新宿寄りの踏切から、新宿方面の本線の線路を見たところです。
このあと、2駅先の国領まで歩きました。
両脇が仮受けで支えられた架線柱。
ビームは昔からのモノですが、やたらと太いでしょ?
背の高い高圧鉄塔が併設されていたときの名残です。
線路上空に東京電力の送電線が引かれていたのですが、
もとはといえば戦前の沿線で電気事業を営んでいた京王電気軌道の遺産。
つつじヶ丘や武蔵野台のあたりには、今もあったけ?
仮受け架線中の別のもの。
ビームだけが昔のままというのは、先ほどと同じ。
上空で送電線を支えてたといのも、同じ。
ただ、こちらのほうが細いのは、高さが低かったから。
ともあれ、これも京王電気軌道の遺産。
これも、遺産。
遠方に調布駅を望む、右側の空き地ですよ。
線路脇の三角形の土地は、旧線路跡。
手前側に曲がっていた旧線は、甲州街道上の併用軌道に続いていたそうで、
現在の線路への切り替えは1920(大正9)年だそうな。
以来、資材置き場として使われてきたようです。
京王線の、歴史的風景。
布田駅まで来ました。
このカーブも外側に空き地があって、
もとはもっと急カーブだったのではないかと思うのだけれでも、
判りやすい写真は撮れずじまい。
国領手前の架線柱。
1998年建植の、近年よく見るタイプ。
14年ほどで、役目を終えます。
移植でもするのだろうか?
その隣の架線柱。
上半分を切り取っているけれども、
もとは横のビームが2段あった、大きな門型だったもの。
すなわち、先ほど取り上げた上空に送電線を支えていたタイプ。
戦前製。
70年間、架線を支え、電車と乗客を通してきました。
まだ探せばあると思うけれども、少しづつ減ってきた京王電気軌道の遺産。
お世話さまでした。
国領付近の旧甲州街道。
ちょっとだけ、古い建物が残っていました。
国領駅に隣接する狛江街道踏切。
あ。
隣でも撮っていらしたかたがいたのですね。
いま気がつきました。
逆光でもいいや、記念撮影だもん。
盆休みのおさんぽでした。
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西暦に直したら、1925以前ですねぇ。
さすがに、無いでしょう。
こんど乗るときに、探してみよう!
調布付近地下化で、いつも見ていた風景が消えてしまう
ますます自分の知らない京王になってしまうんだなと思ってしまいます。
架線柱の日付がいつの間に西暦になっていたのですね。
私がよく見ていたときは「H」や「S」と数字2桁が書かれていたように記憶しています。
自分が高校生の頃通学している頃、国領~柴崎間の調布警察署付近に「T」の文字が書かれている物がありました。
今はもうないんでしょうが、移設当時からの物だったのでしょうね。
平山の京王資料館には機銃射撃で被災した架線柱を保管しているそうです。