終戦の日でした。
甲子園の中継を見ながら、黙祷。
続いて、チャンネルを替えて陛下のお言葉を。
国籍や立場はさておき、すべての方々に、合掌。
で、平和な時代の模型工作。
しばらく前から手元に置き続けていたパーツセットです。
少しだけ使っていたのですが、ようやく本番がきました。
側面には、K.T.R.の文字が入ります。
戦後、米軍の駐留とともに英語がブームになったそうで、
ローマ字で社名を略することが流行りました。
京王帝都電鉄を表記すると、K.T.R.となります。
高さと水平を揃えるために、マスキングテープを切り出し。
こんな按配。
社紋も転写します。
こちらは、高さを勘違いしていました。
当初は、社紋の下に車番があったためか、若干位置が高いのです。
2010系の2次車以降では、腰板中心線の高さにまで下りてきたようです。
気がついたときには、すでに遅し。
前面の車番も入れました。
いろいろあって、やや数字の端部が欠けてしまいましたが、数回やり直した結果ですから。
小学校1~2年生のときは、電車通学でした。
当時、世話になった時代の姿で仕上げるつもりです。
↑画像は、交友社刊「私鉄電車のアルバム2A」から。
甲子園の中継を見ながら、黙祷。
続いて、チャンネルを替えて陛下のお言葉を。
国籍や立場はさておき、すべての方々に、合掌。
で、平和な時代の模型工作。
しばらく前から手元に置き続けていたパーツセットです。
少しだけ使っていたのですが、ようやく本番がきました。
側面には、K.T.R.の文字が入ります。
戦後、米軍の駐留とともに英語がブームになったそうで、
ローマ字で社名を略することが流行りました。
京王帝都電鉄を表記すると、K.T.R.となります。
高さと水平を揃えるために、マスキングテープを切り出し。
こんな按配。
社紋も転写します。
こちらは、高さを勘違いしていました。
当初は、社紋の下に車番があったためか、若干位置が高いのです。
2010系の2次車以降では、腰板中心線の高さにまで下りてきたようです。
気がついたときには、すでに遅し。
前面の車番も入れました。
いろいろあって、やや数字の端部が欠けてしまいましたが、数回やり直した結果ですから。
小学校1~2年生のときは、電車通学でした。
当時、世話になった時代の姿で仕上げるつもりです。
↑画像は、交友社刊「私鉄電車のアルバム2A」から。