アンディの庭

アンディ小山です。自然の豊かな岩手から沢山のことを発信していきたいと思います。

大連 1

2010年05月23日 | 日記(出来事)
    ハルビンから到着した大連駅

2006年春、仙台の友人とそのご両親と中国の大連という港町へ
旅行しました。昨日ボクはハルビン生まれと書きましたが
日本へ引き揚げる日本人達は、先ずは貨車に乗り大連を目指したとの事
ハルビンから大連へは青森から名古屋まで位の距離があるそうです。
大連港へ生きて到着する事が何よりも大きな目標であったと聞きました。

この旅行は友人のお父さんが、大連の名誉市民である事と
ボクがこの港から両親と日本へ引き揚げて来た事を知る友人の
温かいお誘いでした。
ボクは何十年振リ?に父親達の決死の覚悟の目的地大連へと
行く事が出来深く感謝しています。

なにか不思議な期待感で体中が満たされながら到着しそれから
バスで市内に向かっている時に鉄道の線路が見えてきました。

ガイドさんから「これは日本が作った鉄道で、駅もレールもそのまま使っている!」
と説明を受けました。と云う事は何十年か前のあの時ボクは、母親の腕の中で
この線路を大連駅に向かっていたのだと、体中に電流のような衝撃が走ったのを
今でも昨日の事のように覚えています。

大連駅は上野駅と同じ作りなそうで、ホテルのボクの部屋が8階で
駅の正面だったのでよく様子が確認出来ました。

大連港では、昔のまま残っている桟橋が見られ、ガイドさんから
「日本人は皆ここから引き揚げ船に乗って日本へ向かった!」と聞いた時
憔悴しきった父が幼い妻とボクを必死で抱くようにして
船に向かっている姿が、ボクにはしっかりと見えました。

旅行の前には、特に具体的な計画をしたわけではありませんでしたが
思いがけず、すべてが清算されたかの様に色々な確認が取れた事で
心の底から不思議な思いが溢れて来ました。

引き揚げる日本人にとって日本に帰れる事が、何よりも大切で
重要だったあの頃、志半ばで命が途絶え帰国出来ず、中国の土になって
いった人たちも、数知れないと聞いています。その方々の思いが
ボクの体中にメッセージされたように思います。

大連に行けた事はボクと家族が、帰れなかった皆さんに恩返しを果たせた!と
信じています。
悲しみが喜びに変わりますように

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