年が明けて初めての新着UPは15年戦争の本棚から~
『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑/池田貞枝著/戦没遺体収揚委員会』は昭和52年7月10日、限定3000部で刊行された。著者の池田貞枝氏は元戦艦武蔵航海長にして海軍大佐、エリート軍人でありながら何の栄誉も求めず戦後30年の余生を只実直に戦時遭難した沈没艦船の記録収集に努められたが惜しい哉、出版を目前に昭和50年10月3日病没した。本書には戦艦大和以下連合艦隊戦闘艦艇688隻、商船等戦時徴用船舶2,956隻、合計3,644隻の沈没経緯(沈没年月日/原因/沈没位置)が収録してある。徴用船等については100トン以上の船を精査したが、海軍徴用船で100トン未満であっても最前線で稼動したものについては、わずか10数トンの雑用船舶に至るまで取り上げている。軍艦・徴用船の分け隔てなく一冊に収められたことに本書の価値は大きい。正にこれは戦争で沈んだ艦船たちの忠霊録に他ならない。

A4(296X210)判上製本ホローバック、表紙は豪華クロス巻きで本文は全て上級厚紙を使い534頁、重さ4kgにもなる。付属として沈没艦船の位置精密図が別途函入りで5枚付いている。

◎精密位置図は次のとおり
・捷一号海戦図(560X420)
・ガ島北、彼我艦隊沈没位置図(560X420)
・海軍艦艇の沈没位置精密図(1060X740)
・日本商船隊沈没位置精密図(1060X740)
・終戦時の各地戦力数および戦没者数(1060X740)
◎沈没艦艇種類と隻数
【一】艦艇
(1)軍艦
・戦艦 12隻(478,900t)
・航空母艦 22隻(445,710t)
・一等巡洋艦(主砲口径15,5糎を越えるもの)20隻(165,200t)
・二等巡洋艦(〃15,5糎以下)22隻(118,455t)
・水上機母艦 3隻(26,950t)
・潜水母艦 2隻(6,290t)
・練習巡洋艦 2隻(11,800t)
(2)駆逐艦
・一等駆逐艦(基準排水量1,000t以上)133隻
・二等駆逐艦(〃1,000t未満)9隻
(3)潜水艦
・一等潜水艦(基準排水量1,000t以上)98隻
・二等潜水艦(〃1,000t未満)47隻
(4)砲艦 6隻(3,985t)
(5)海防艦 88隻(70,225t)
(6)輸送艦
・一等輸送艦(基準排水量1,000t以上)16隻
・二等輸送艦(〃1,000t未満)30隻
(7)水雷艇 10隻(5,790t)
(8)掃海艇 31隻(20,500t)
(9)駆潜艇 49隻(19,050t)
(10)敷設艇 20隻(11,921t)
(11)哨戒艇 16隻(16,043t)
※以上小計 644隻(2,051,425t)
【二】特務艦艇
(1)特務艦
*工作艦 2隻(20,440t)
*運送艦
・給油艦 17隻(217,530t)
・給炭艦 2隻(16,430t)
・給炭油艦 1隻(14,050t)
・給兵艦 1隻(10,360t)
・給糧艦 5隻(29,320t)
*砕氷艦 0隻
*測量艦 2隻(2,940t)
*標的艦 2隻(23,210t)
*練習特務艦 2隻(16,260t)
(2)特務艇
*敷設特務艇 4隻(1,570t)
*哨戒特務艇 0隻
*駆潜特務艇 0隻
*掃海特務艇 10隻(2,035t)
*電纜敷設艇 3隻(4,692t)
(3)雑役船 0隻
※合計 688隻(2,409,765t)
◎商船隊沈没(輸送船他)2,956隻(8,864,150t)は全て次の種別に分類される。
*陸軍徴用船
*海軍徴用船
・自営船
・貨物船
・貨客船
・敷設船
・特設監視艇
・漁船
・特設巡洋艦
・特設水上機母艦
・特設航空母艦
・特設潜水艦母艦
・海底電線敷設船
・特設兵器運搬船
・貨物運搬用雑役船
・潜水艦捕獲網運搬船
・救難船
・掃海船
・水雷兵器運搬船
海上で戦死戦没した者には墓標は立たない。今なお広大な太平洋の海原深く数千隻の大小船舶艦艇が傷ついた姿で横たわり、幾十万の英霊は収揚も叶わぬままその船内に閉じ込められている。池田氏はこうした英霊に対し沈没艦船の所在を突き止めることで哀悼の意を表し、それが戦争で死ななかった職業軍人としての責務であると考えていた。「若い世代の人々が戦没した父や兄の終焉の地をこの書により知得できれば本書刊行の大半の意義は達することになる」と氏は結んでいる。戦後60余年を経て戦争の記憶は風化の一途を辿る。本書を頼りに一体でも多くの遺骨収揚が望まれてならない。
寅の子文庫の、15年戦争の本棚から
『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑/池田貞枝著/戦没遺体収揚委員会』は昭和52年7月10日、限定3000部で刊行された。著者の池田貞枝氏は元戦艦武蔵航海長にして海軍大佐、エリート軍人でありながら何の栄誉も求めず戦後30年の余生を只実直に戦時遭難した沈没艦船の記録収集に努められたが惜しい哉、出版を目前に昭和50年10月3日病没した。本書には戦艦大和以下連合艦隊戦闘艦艇688隻、商船等戦時徴用船舶2,956隻、合計3,644隻の沈没経緯(沈没年月日/原因/沈没位置)が収録してある。徴用船等については100トン以上の船を精査したが、海軍徴用船で100トン未満であっても最前線で稼動したものについては、わずか10数トンの雑用船舶に至るまで取り上げている。軍艦・徴用船の分け隔てなく一冊に収められたことに本書の価値は大きい。正にこれは戦争で沈んだ艦船たちの忠霊録に他ならない。

A4(296X210)判上製本ホローバック、表紙は豪華クロス巻きで本文は全て上級厚紙を使い534頁、重さ4kgにもなる。付属として沈没艦船の位置精密図が別途函入りで5枚付いている。

◎精密位置図は次のとおり
・捷一号海戦図(560X420)
・ガ島北、彼我艦隊沈没位置図(560X420)
・海軍艦艇の沈没位置精密図(1060X740)
・日本商船隊沈没位置精密図(1060X740)
・終戦時の各地戦力数および戦没者数(1060X740)
◎沈没艦艇種類と隻数
【一】艦艇
(1)軍艦
・戦艦 12隻(478,900t)
・航空母艦 22隻(445,710t)
・一等巡洋艦(主砲口径15,5糎を越えるもの)20隻(165,200t)
・二等巡洋艦(〃15,5糎以下)22隻(118,455t)
・水上機母艦 3隻(26,950t)
・潜水母艦 2隻(6,290t)
・練習巡洋艦 2隻(11,800t)
(2)駆逐艦
・一等駆逐艦(基準排水量1,000t以上)133隻
・二等駆逐艦(〃1,000t未満)9隻
(3)潜水艦
・一等潜水艦(基準排水量1,000t以上)98隻
・二等潜水艦(〃1,000t未満)47隻
(4)砲艦 6隻(3,985t)
(5)海防艦 88隻(70,225t)
(6)輸送艦
・一等輸送艦(基準排水量1,000t以上)16隻
・二等輸送艦(〃1,000t未満)30隻
(7)水雷艇 10隻(5,790t)
(8)掃海艇 31隻(20,500t)
(9)駆潜艇 49隻(19,050t)
(10)敷設艇 20隻(11,921t)
(11)哨戒艇 16隻(16,043t)
※以上小計 644隻(2,051,425t)
【二】特務艦艇
(1)特務艦
*工作艦 2隻(20,440t)
*運送艦
・給油艦 17隻(217,530t)
・給炭艦 2隻(16,430t)
・給炭油艦 1隻(14,050t)
・給兵艦 1隻(10,360t)
・給糧艦 5隻(29,320t)
*砕氷艦 0隻
*測量艦 2隻(2,940t)
*標的艦 2隻(23,210t)
*練習特務艦 2隻(16,260t)
(2)特務艇
*敷設特務艇 4隻(1,570t)
*哨戒特務艇 0隻
*駆潜特務艇 0隻
*掃海特務艇 10隻(2,035t)
*電纜敷設艇 3隻(4,692t)
(3)雑役船 0隻
※合計 688隻(2,409,765t)
◎商船隊沈没(輸送船他)2,956隻(8,864,150t)は全て次の種別に分類される。
*陸軍徴用船
*海軍徴用船
・自営船
・貨物船
・貨客船
・敷設船
・特設監視艇
・漁船
・特設巡洋艦
・特設水上機母艦
・特設航空母艦
・特設潜水艦母艦
・海底電線敷設船
・特設兵器運搬船
・貨物運搬用雑役船
・潜水艦捕獲網運搬船
・救難船
・掃海船
・水雷兵器運搬船
海上で戦死戦没した者には墓標は立たない。今なお広大な太平洋の海原深く数千隻の大小船舶艦艇が傷ついた姿で横たわり、幾十万の英霊は収揚も叶わぬままその船内に閉じ込められている。池田氏はこうした英霊に対し沈没艦船の所在を突き止めることで哀悼の意を表し、それが戦争で死ななかった職業軍人としての責務であると考えていた。「若い世代の人々が戦没した父や兄の終焉の地をこの書により知得できれば本書刊行の大半の意義は達することになる」と氏は結んでいる。戦後60余年を経て戦争の記憶は風化の一途を辿る。本書を頼りに一体でも多くの遺骨収揚が望まれてならない。
寅の子文庫の、15年戦争の本棚から
①日本海軍のシーレーン無策が主たる敗因?愚論サイトhttp://www.geocities.jp/kaneojp/04/0410.html
②光人社NF文庫発売「撃沈された船員たちの記録」(底本;ダンピールの海)は九死一生船員の生なましい証言は涙なくして読めません・・・その中に終戦近くに日本海で米潜に撃沈され筏で漂流中別の米潜に助けられた秘話・・・この船と向日丸が接点があったので一文を下記に追加しました。
http://www.geocities.jp/kaneojp/03/0374.html
先刻、「海なお深く」の記事へコメントいたしました。まったくの余談ですが、家内の勤め先に大和特攻の生還者が入所していましたが高齢の為、先日お亡くなりになりました。家内を通じてアレコレ断片的に話を聞いていましたが残念でした。
菊池様、今後とも宜しく御願い申し上げます。