智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

鉄砲伝来

2013年11月22日 | 読書、観劇、映画
BS103「歴史館」を楽しみに見ていますが、今回は鉄砲伝来について。

1543年に、ポルトガル人によって種子島にまず伝来した・・・・

私の知識はこの程度でしたが、

今回、「なるほど!」と納得できましたのは、

それは、なぜ信長や秀吉は大陸進行を目論んだか?

勝算はいかに???無謀ではないか??? と不思議に思っていました。

大河ドラマを見ても なぞのままでした。


その答えのヒントとして、番組で、当時の日本の軍事力について、分析しています。


火縄銃はヨーロッパで作製され、インド、中国、各地にもたらされましたが、

どの地でも複製まではいたらず、大量生産に漕ぎつけたのは日本だけだったそうです。

ヨーロッパでは、1職人が1丁ずつ仕上げていく方式でしたが、

日本では、まず種子島の領主が領内の刀鍛冶にコピー製作を命じて、1年で成功し、

その後、大阪・堺の会合衆によって、部品ごとの分業生産体制が敷かれ、

大量生産が可能となり、戦国時代の日本各地に広まり、

ついには日本で30万丁を保有するにいたり、ヨーロッパ全土の保有数を超え、

輸出するまでになり、一大軍事大国になっていたそうです。


番組では、朝鮮出兵のことまで論じていませんので、私見ですが、

当時、明との朝貢貿易、倭寇との密貿易、ポルトガル人との交易を通じて、

最新兵器である銃の流通情報は、堺商人や秀吉の知るところでしょう。

だから、小さな島国で人口も大陸にはるかに及ばないけど、

巨大な軍事力を手にしたことで、朝鮮出兵も、あながち無謀ではなかった、

ということですね。


いやーすっきりしました。

それにしても、この時代から、輸入、コピー、改良生産、輸出、

「モノ作り日本」の原点は 出来上がっていたのですね。

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2 コメント

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good shotさんへ (智の庭)
2013-11-24 15:23:06
そうですね。

それから番組では、日本は技術が日本全土に広がるが、ヨーロッパや中国では、技術の囲い込みがされたのが特徴、とのこと。

例えば、陶磁器の窯元は、ドイツはマイセン、中国では景徳鎮など、場所を限定して技術の流出を防止しますが、日本は全国各地に窯元が広がります。

島国ゆえに、技術が他民族に流出することで、痛い目に会う、民族滅亡の憂き目に会う心配が少ないからでしょうか・・・
領地が狭いがゆえに隠し切れず、流出するのでしょうか・・・
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Unknown (good shot)
2013-11-22 23:59:07
なるほど、鋭い洞察ですね。

こうしたモノ作りの力を持ちながら、その一方で鎖国によって武器の近代化は欧米列強から遅れることになり、後に黒船がやって来て腰を抜かす事になります。

技術に限った事ではありませんが、外から新しい物が入ってくることで内の物と化学反応を起こし、そこでイノベーションが産まれるのではないかと。

戦後日本の奇跡的な発展も、軍のために働いていた技術者が一斉に民間に入り、そこで軍事技術と民間技術が混ざったことが技術大国日本と言われるまでに至った原動力になったのではないかと思います。

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