智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

塩野七生女史「日本人へ」を読む

2013年11月20日 | 読書、観劇、映画
塩野先生の「ローマ人の物語」を拝読して以来、

私は、彼女の見識の深さ、明快さに、毎回感動し、

当代髄一の教養人と尊敬し、惚れ込んでおります。

さて、代記の「日本人へ 危機からの脱出編」の中から、

母国語と外国語の違いについて論じた章を紹介します。


まず、問題提起として、ユニクロと楽天が社内を英語オンリーにしたことについて。


外国語の読解レベルが満足すべき水準に達したか否かの目安として、

1.道ですれちがった外国人の会話が、聴くつもりも無いが、耳に入ってくる。

2.同じ外国語でも、方言を判別でき、更に、首相やスポーツ選手など、社会の属性が異なる人々の話し方に、対応できること。

3.書物を、母国語と同じスピードで、外国語でも読めること。


イタリアに40年暮らし、イタリア語の文献を読み、日本語で執筆される塩野女史ですが、

彼女をして、歴史用語はイタリア人以上に知っていても、イタリアの医学用語や経済用語は弱い。

「要するに外国語は、上達したように見えても所詮は、関心が向いている方向にだけ上達する言語なのだ。

反対に母国語は、たとえ個々の理解度では劣っていても、知らないうちに全般的に習得している。

つまり、必要に迫られなくても、ごく自然に学んでいるということだ。

だからこそ、母国語で話すときにには疲れを感じないのだと思う。」


そして、外国語と母国語では、道具の使い方が異なり、

外国語の場合、多くの人にとっては、意思・想いを他者に伝える水準に留まる。

母国語の場合は、伝達手段だけでなく考える道具になる。

あらゆる仕事にとって最も重要である「想像力」が、母国語なら自由に羽ばたかせられる。

いかに巧みに外国語を操る人でも、母国語以上の内容は話せないし、書けない。

と議論を展開しています。

結論は本著に譲るとします。

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