ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【大山康晴の晩節】河口 俊彦 飛鳥新社

2005年09月10日 | 2005 読後のひとりごと
【大山康晴の晩節】河口 俊彦 飛鳥新社

作家の書いた将棋観戦記、新聞記者の観戦記は、いずれも読ませる話題があるが表現の誇張や、逆の遠慮もある。
河口は現役の高齢、高段棋士。
棋士であるだけに将棋を指す、棋士の心の奥に住んでいる勝負へのうめき、うごめき、男たちの嫉妬心や勝負所を巡る心理の綾を知っている。
読後メモ
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藤井竜王の棋歴は知らない。
しかし、いつの間にかトップに君臨している人として、興味はあった。この藤井が大山の棋譜を丹念に調べ、吸収したとある。
 「いやなものがヨミがえったね」とする米長のつぶやきもリアルなせりふだ。

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大山は、肉薄する二番手の棋士を徹底的につぶす。
それが、終生変わらぬ彼の勝負哲学だったらしい。
神武以来の天才として登場した加藤、白面の貴公子然として同時期に活躍した二上、東海の鬼と異名をとった妖刀使いの花村、ことごとく叩き潰して、天下に棋力の差をみせつける。  
大山が出征する時の最期の対局に彼が勝てば、七段になる。
相手の棋士にとっては進退を賭ける対局ではないだけに死を覚悟して出征する大山へのはなむけとして、「緩める」ことが予想された。
しかし、大山はこの一番に負け、昇段の勲章なしに赤紙召集となる。勝負の酷薄さ、自分の人気のなさ、復員後の彼の心の襞に、「勝負はゆるめない」という重い誓いが宿ったのではないか。

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大山の死後、棋界はタガが緩んだ。
中原と林葉のスキャンダル。痛飲する森安と親子関係めぐる奇怪な死の事件。
艶福家で女関係をうまく裁いた大山の力量は戦後世代には持ち合わせていない技。
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大山の超人的な強さ。
関西会館、千駄ヶ谷の将棋会館など金策に駆けずり回って、その間に対局していた印象は「将棋世界」などを読んでも知っていたがそれでも勝ち星は抜群だった。
強かった。たしかに強かった。

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木村と升田の名人戦を巡る挿話。
南洋の戦地で升田が「木村ッ 死ぬなよ。死なずに待ってろ」と叫んだとか、名人戦で木村に負け、「名人をゴミ」自らを「蝿」に譬えた話は有名だが、ラジオでの対談は意外な二人の関係を浮かび上がらせた。ともに軽妙洒脱で、ウイットに富み、話しに余裕があって、ギラギラした棋士の匂いがない。

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著者・河口が三段で記録係だった頃、大山対升田の試合に立ち会った。
五味康祐が観戦記者をつとめ、試合終了あと、彼はズカズカと感想戦の場に現れ、升田に次の手を解説する。
素人解説をやんわりと升田は受け、五味は周囲の関係者を連れて飲みに誘う。
華がある二人が取り巻きを連れ、ゾロゾロと切り上げたとき、大山の憤怒は頂点に達する。
シーンとした静かな座敷には残ったのは大山と河口。
その河口もできれば、早くここを切り上げて早くみんなの後を追いたい。
生涯の「落ちこぼれ」はここで決まったと河口は自省している。
この回想は好感が持てた。
名人大山と記録係りの河口が感想戦を繰り広げていれば、のちの成長への足がかりは計り知れない。
「たら、れば」の類にはなるが、運命の女神の微笑みは酒を優先したとき冷笑に変わったという教訓か。

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大山の無類の強さは昭和30年代後半を制した。彼に続くNO2はことごとく討ち死にされるのだから、あとの棋士たちには、大山は屹立した断崖のような聳え方に見えたに違いない。

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加藤の意外性3つ。
南口師匠とうまくいかなかったこと。
梅原龍三郎が結婚の仲人だったこと。
早稲田大学に行っていたこと。
賛美歌で対戦相手に引導を与え、秒読み将棋でズボンをたくし上げるイメージからは想像もつかない。

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「大山は催眠術を使う」半ばこのことを真顔で受け止めていたのが、田中寅彦であり、森鶏二だった。
術中に陥ることを恐れ、部屋を離れ、大山の着手をモニターで確認してから戻って指し継いだという。
プロ野球の野村のささやき戦術にも似て、催眠術と思った瞬間から合理的判断はくずれ、大山の呪術に落ちた。

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山田道美にはストイックな印象がある。
遊郭吉原を嫌い、洋楽が好きで、おまけにドイツ文学を原著で読んで、将棋を指す。
しかし、かの大山に、クラシックの旋律を鼻歌でうたったという点は、たじろがない剛毅さをもっていたのかも知れない。
「と金」を使って攻めるのではなく、「と金」を引いて自陣に使う大山流を山田は使って棋聖戦を制した。
 夭折した山田の影響を最も受けたのは中原だったのかも知れない。
 
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毎日の名人タイトル戦で挑戦者になった米長は観戦記者の「山口瞳」を嫌って、断りの申し入れをした。
どこが勘に触ったのか、興味のあるところ。

■■ 名人戦。大山4-1山田との初顔合わせの名人戦の内容だった。
しかしスコアほど、内容は離れず、僅差の勝負。
そのため次の顔合わせで、大山の方にウッカリの筋が出る。
ウッカリは決して出さない人に出たところが二人の取り組みを印象づける。
山田道美、惜しい 棋客だった。

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佐藤大五郎。薪割り大五郎と異名をとって「将棋世界」などを飾っていた頃が懐かしい。
「示現流」というあだ名にふさわしい濃い眉の無頼じみた風貌を思い出す。
絶食道場の山梨で修養中の日々を送っていた写真をみたことがあるが、この人はいまどこに。
 しかし、花村とか大五郎とか勝負師然としたタイプは大山の餌食になりやすいらしい。
升田の強さと弱さを知っていた大山にとって、升田以上ではなかった棋士の弱さをつかんでいたからか。                              


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