【名画読本】赤瀬川源平 知恵の森文庫
● 鹿鳴館 北斎までも白眼視
● 陶器より北斎漫画の切れっ端
江戸っ子が楽しんだ浮世絵版画は江戸期の陶器輸出の包装紙となった。
そこに広重や北斎の絵が大量につかわれた。
明治期に入ると浮世絵などはハイカラの邪魔とされた時期があったらしい。
見る角度でものごとの評価が違ってくるわけだ。
西洋では陶器より浮世絵版画が人気で印象派の画家を輩出した。
● 洋画には時間の影がついている
日本画には陰影がない。洋画には陰影がある。一日のどの時間を描いたものであるかがはっきりしている。
● 富獄には波間の船が1.2.3
● 控え目に海の向こうに富士の山
● 大波にあばれさせ小船に脅えさせ
● 舶来のベロリン藍で富士染める
北斎の「神奈川沖浪裏」は、それを見たゴッホが手紙で賞賛し、ドビュッシーが交響詩「海」を作曲したそうだ。
波頭が崩れる様に眼を奪われるがよく見ると波に脅えている船が三隻。その向こうの富士は小さい。
出せなかった青色が輸入の藍でようやく実現できたとのこと。
● 広重齢 あと10年で御一新
広重は安政5年9月6日(1858年10月12日)に没した。
幕末に近いわけで時の認識があらたまった。
● 浮世絵の画風を決めた版元屋
広重絵に見られる何かを手前に入れて描く遠近感は案外、意匠と商業性にこだわった出版元の注文でもあったかもしれない。
それが意匠の意外性を生んだ。
● マッチ絵の五十三次どこ消えた
われわれの少年時代にあった薄い小さなマッチに東海道五十三次の絵があった。
100円ライターなどが登場し、いつのまにかあのマッチとあの絵が消えた。
● 土地ごとの人のドラマが配されて
東海道 五十三次の絵にはこうした楽しさがあった。
● サロンではその大きさにあこがれて
● 貴婦人はウタマロの春に仰天し
歌麿や春信の実用ともいえる危な絵、枕絵の中に無意識の芸術性が潜む。
女の生え際の髪や着物の柄は専門の彫師たちにまかせられている。 こうした絵に誇張されて描かれた一物にであった西洋の貴婦人たちはびっくりしたろう。
● 縁先で頬っぺたくっつけふみ渡し
● 春信の人はつるつる くにゃっくにゃ
鈴木春信の絵はなめらかな人体の線と背景の建物などの直線と平面の構成のとりあわせが面白い。
● 光琳のあそび心は扇子襖絵
「紅白梅図屏風」は何回か見ている。
カミさんの親族旅行でMOA美術館へ行ったことがある。 そこでも見たが上野の美術館でも出合った。
梅の木の弓なりになった樹形が画面の外へ飛び出しまた戻って描かれていた。
こうした遊び感覚は屏風絵だけではなく扇子や団扇、着物、茶碗という実用の品々のデザインにあった。四方を海に面した鎖国日本の表現が海外に伝わり印象画の作画に大きな影響を与えた。
● 深爪のすごい役者は写楽の絵
● あの顔に圧倒されて爪を見ず
大見得をきった写楽のあの役者絵。
著者、 赤瀬川の讃があった。
「色のきしみ 形のうねり 絵膚の底光り 剃刀のような線の滑り・・・・」
● 芸術か商品かそれが江戸の問題だ
● 路上の美その正体はわびとさび
赤瀬川さんの路上観察学はよく知られている。
そこで見た面白いなと感じたもの、その正体は「侘び寂び」にあったと気づく。
目からうろこだったとこの巨匠はあとがきでのべている。
● 文庫本もっと大きな絵で見たい
絵が小さすぎたが、北斎、広重、歌麿から雪舟、等伯、 光琳までの
赤瀬川流「名画鑑賞法」が紹介された。
面白い文庫本だった。
● 鹿鳴館 北斎までも白眼視
● 陶器より北斎漫画の切れっ端
江戸っ子が楽しんだ浮世絵版画は江戸期の陶器輸出の包装紙となった。
そこに広重や北斎の絵が大量につかわれた。
明治期に入ると浮世絵などはハイカラの邪魔とされた時期があったらしい。
見る角度でものごとの評価が違ってくるわけだ。
西洋では陶器より浮世絵版画が人気で印象派の画家を輩出した。
● 洋画には時間の影がついている
日本画には陰影がない。洋画には陰影がある。一日のどの時間を描いたものであるかがはっきりしている。
● 富獄には波間の船が1.2.3
● 控え目に海の向こうに富士の山
● 大波にあばれさせ小船に脅えさせ
● 舶来のベロリン藍で富士染める
北斎の「神奈川沖浪裏」は、それを見たゴッホが手紙で賞賛し、ドビュッシーが交響詩「海」を作曲したそうだ。
波頭が崩れる様に眼を奪われるがよく見ると波に脅えている船が三隻。その向こうの富士は小さい。
出せなかった青色が輸入の藍でようやく実現できたとのこと。
● 広重齢 あと10年で御一新
広重は安政5年9月6日(1858年10月12日)に没した。
幕末に近いわけで時の認識があらたまった。
● 浮世絵の画風を決めた版元屋
広重絵に見られる何かを手前に入れて描く遠近感は案外、意匠と商業性にこだわった出版元の注文でもあったかもしれない。
それが意匠の意外性を生んだ。
● マッチ絵の五十三次どこ消えた
われわれの少年時代にあった薄い小さなマッチに東海道五十三次の絵があった。
100円ライターなどが登場し、いつのまにかあのマッチとあの絵が消えた。
● 土地ごとの人のドラマが配されて
東海道 五十三次の絵にはこうした楽しさがあった。
● サロンではその大きさにあこがれて
● 貴婦人はウタマロの春に仰天し
歌麿や春信の実用ともいえる危な絵、枕絵の中に無意識の芸術性が潜む。
女の生え際の髪や着物の柄は専門の彫師たちにまかせられている。 こうした絵に誇張されて描かれた一物にであった西洋の貴婦人たちはびっくりしたろう。
● 縁先で頬っぺたくっつけふみ渡し
● 春信の人はつるつる くにゃっくにゃ
鈴木春信の絵はなめらかな人体の線と背景の建物などの直線と平面の構成のとりあわせが面白い。
● 光琳のあそび心は扇子襖絵
「紅白梅図屏風」は何回か見ている。
カミさんの親族旅行でMOA美術館へ行ったことがある。 そこでも見たが上野の美術館でも出合った。
梅の木の弓なりになった樹形が画面の外へ飛び出しまた戻って描かれていた。
こうした遊び感覚は屏風絵だけではなく扇子や団扇、着物、茶碗という実用の品々のデザインにあった。四方を海に面した鎖国日本の表現が海外に伝わり印象画の作画に大きな影響を与えた。
● 深爪のすごい役者は写楽の絵
● あの顔に圧倒されて爪を見ず
大見得をきった写楽のあの役者絵。
著者、 赤瀬川の讃があった。
「色のきしみ 形のうねり 絵膚の底光り 剃刀のような線の滑り・・・・」
● 芸術か商品かそれが江戸の問題だ
● 路上の美その正体はわびとさび
赤瀬川さんの路上観察学はよく知られている。
そこで見た面白いなと感じたもの、その正体は「侘び寂び」にあったと気づく。
目からうろこだったとこの巨匠はあとがきでのべている。
● 文庫本もっと大きな絵で見たい
絵が小さすぎたが、北斎、広重、歌麿から雪舟、等伯、 光琳までの
赤瀬川流「名画鑑賞法」が紹介された。
面白い文庫本だった。
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