ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔07 読後の独語〕 【敵討】 吉村 昭 新潮社

2007年08月03日 | 2007 読後の独語
【敵討】 吉村 昭 新潮社
 
昨年の7月31日、作家・吉村昭さんが逝った。
 舌がんと宣告され、膵臓全摘の手術を受けた吉村さんは死の前日に、点滴の管や 首に埋め込まれたカテーテルポートを引き抜き、看病の長女に「死ぬよ」と告げて亡くなったそうだ。
 尊厳死選択のありかたとして当時、大きな話題になった。

 「新聞記者が見習うべきは吉村の調べ能力の丁寧さと確かさ」とは、先輩でOB記者飯田さんの口癖だった。
私と2人の出向先だった小伝馬町の飲み屋では吉村作品が肴になることが多かった。
 確かに吉村作品のどれを読んでも、助手も使わずにひとりでよくこれだけのものを調べることができるものだと感心するものが多かった。
特に、追われ、追い詰められる側の人間の状況や心理の描写には舌を巻いた。
 獄中に5年、放火・破牢の後に6年間日本各地を逃げ回る高野長英の悲劇を描いた「長英逃亡」の緊迫感は実にみごとで、 読んでいる途中に胸ドキドキの戦慄感さえ覚えた。
4度の脱獄に成功した無期刑の囚人を描いた「破獄」や軍用飛行機爆破に絡んで脱走し、身を隠し続けた少年整備兵を描いた「逃亡」など、スリルとサスペンスが交錯する実録の読み物としての冴えが隋所にあった。

今回の「敵討」はその対面にある作品だ。
追われる立場ではなく、追う側の立場に主人公はいる。
 伊予松山藩士の熊倉伝十郎が父と伯父を殺した犯人を追って脱藩、浪人となって敵を追う。
敵討の願書は聞き届けられ藩からは下賜金も出る。
敵は伯父を闇討ちにし、敵討の父を返り討ちにした本圧茂平次。
 茂平次は妖怪と江戸庶民から恐れられた鳥居耀蔵に重宝がられ彼の下働きをしている。
 殺された伯父の背後の事情に天保の改革で腹心を務めた南町奉行の鳥居耀蔵の画策が絡む。
 敵討は茂平次を追って江戸から長崎へ、その間に鳥居は水野忠邦を裏切りやがて復権した水野から罷免されてゆく。
 7年後にようやく伝十郎は茂平次への復讐を果たす。
乏しい路銀、耳と目だけが頼りの聞き込みなど地味な足取り捜しで敵を追った。
逼迫した幕府財政下の江戸や長崎の庶民の暮らしぶりが背景に添えられた小説となった。
ドラマとしての起伏には欠けるが、追う立場にあって索漠とした思いの伝十郎のあせりやいらだちの心根は伝わってくる。
作中の鳥居耀蔵の生涯にはますます興味が湧いた。

 逃げる立場も追う立場にもそれぞれの人間模様はある。
 吉村作品は、その模様の描き方が上手い。
まだ、吉村作品のすべてを読んだわけではない。
 最も信頼のおける作家の一人だし、これからも彼の作品は読み続けたい。                        (2007年 8月2日 記)


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