ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔読後のひとりごと〕【獄窓記】山本 譲司 ポプラ社

2006年06月17日 | 2006 読後のひとりごと
【獄窓記】山本 譲司 ポプラ社 
 政策秘書の給与詐取事件で実刑判決を受けた衆院議員山本の名前にはかすかな記憶があった。
 だがその後の辻元清美や佐藤観樹元自治相、田中真紀子の秘書名義貸し事件のほうがはるかに記憶は鮮明だった。
 山本は永田町の世界で隠然と通じていた秘書名義貸しの常識をやって司直の手でスケープゴートにされた感さえある。
実刑433日間の獄窓記を読んで慄然としたのは刑務所という世界のすざまじい不自由さだった。

 「四ピン出所」というのは4分の3の刑期を勤めたところで仮出所となることを言う。
ムジコというのは懲罰や取調べを一切受けないことを言い、隠忍自重した山本はムジコで模範生となっている。
「テッポウを背負わされた」というのは懲罰を受けて皮手錠となったことを言うそうだ。
 八溝、帝釈山地と那須連峰に囲まれた盆地の一角に黒羽刑務所がある。
1500人のところ1700人が収容され定員は常にオーバー状態。
 入浴は週2~3回であり1回の入浴時間はたった10分。
浴槽に入る時間はほとんど持てない。
ポケットに紙屑が入っていても咎められる。
流しやトイレの水を流すと懲罰の対象になる。
舎房で体を拭いたり洗顔、洗濯すればこれも懲罰。看守に抗弁すればこれも懲罰。
看守は収容者にとっては専制君主のようで受刑者への生殺与奪の権利を握っているような感じの日常である。
懲罰を受けた期間中は「工場出役」「入浴」「運動」「面会」「差し入れ」「書籍新聞の閲覧」「手紙」などすべてが禁止となる。
これを秋霜烈日と筆者は表現したが私の読後感は厳寒凍日だった。
 基本的人権の尊重をうたった憲法のよりも監獄法が重視され適用されている。
さながら堀の中の治外法権がまかり通っている日々が実態としてある。
模範収容者でも手紙は検閲にさらされ、いったん懲罰になれば作業賞与金が削られ、食事が減らされ、別の暗い罰室内に閉じ込める。受刑者に対して若い看守は怒号と虚勢をはって下品なことばを飛ばして叱咤する。
短気を起こさないことを山本はまず学ぶ。
のちに慈悲深い人情家の看守や刑務官を天職としている立派な看守も登場するが、それはあくまでも少数派でしかないようだ。

 「堀の中の懲りない面々」阿部譲二(文芸春秋)を読んだことがある。受刑者の様子を笑いにまぶして紹介しているので娯楽映画的であったが、リアル感は残らなかった。
だが山本のこの本を読んだとき慄然とするものを覚えた。
 冤罪であれなんであれ、もし自分がこの堀の内側に放り込まれれれば到底、このお勤めは持ちそうもない。
この世界の命令は絶対であり、逆らえば懲罰。懲罰となれば掌ほどの自由さえ奪われる。
こうした受刑者の日常の紹介にゾクッとする恐怖感さえ覚えた。

  山本は刑務官の補佐をする指導補助という役割を命じられる。
一般工場には置いて置けない障害だらけの寮内工場で作業をする。障害のある受刑者の世話係がその実態なのだがこれが並大抵なことですむ作業ではない。
 食事中、全盲者が前にいる。
左に痴呆老人がいて、右は箸すら使えない手が不自由な男がいる。揃って頑固なその人たちの昼食の世話をしていると自分の食事は5分間だけというありさまで、挨拶の声をかけても暖簾に腕押しの状態だったと山本は回想している。
障害者の排泄も手伝うが自分の子供のウンコと考えて接する。
自閉症、知的障害、聴覚、視覚障害、肢体不自由の受刑者の世話というのはたいへんな作業だったと思う。
寮内工場への一般見学例はなかった。世間からの人の目に触れさせないようにする意図が刑務所の上層部にはあったようだ。
出所後、この介助経験から、受刑者に対する更生プログラムの必要性を訴えその仕事を模索する山本の生き方に脱帽する。
 右足硬直になった国大の講師が寝たきり妻の介護に専念中、妻を絞殺。
毎日、手を合わせ泣く様子が描かれているが、罪と罰を受けながらの人間ドラマがいくつも重ねられている現実がある。

 山本が模範生として過ごし仮出所が指呼の間に迫ったとき国会では辻元清美事件が連日取りざたされる。
辻元と山本は早大の同級生であり大学2年に同じゼミを受講している。
山本と同じ秘書疑惑に包まれた彼女は身の火の粉をはらうために自分は「山本とは違う。詐欺ではない」と語り、他人への人身攻撃で自らの保身を図った。
山本の場合は、政策秘書から持ちかけられてきた話であり、私的流用ではなく事務所経費に充当した点は明白で、詐欺よばわりにされることに怒り獄中から抗議をしたい。
目立つ行動はするなと看守の忠告もあって悩むが決断する。
妻を通じて弁護士から正式に抗議、彼女も国会の中で非を認め、形だけの陳謝をする。
脛に疵を持つ辻元が、自分だけが悪いのではなく誰でもやっていると抗弁した様は連日のテレビで流れていたが見苦しかった記憶がある。
弁明が利いてか辻元は懲役2年 猶予5年の判決(04年 2月12日)となっている。
いま辻元は国政に復帰し、山本は知的障害福祉施設で働くなかで受刑障害者への支援活動に力を注いでいる。
どちらが清清しい生き方かを考えさせられた。
山本が秘書疑惑で過剰なマスコミ取材に追われたとき彼の妻は臨月のなかでの判決を迎え、母はやがて車椅子の生活となり、山本の出所後に今度は父がガン告知されたという彼の身辺の記録もまた重い。
この「獄窓記」は第3回新潮ドキュメント賞を受賞したそうだ。
それだけの熱く重いメッセージがこの本にはある。
10刷の重版も、またうなづける。



■■ジッタン・メモ
【塀の中の懲りない面々】安部 譲二 文春文庫 
安部の顔は知っていたが関心はなかった。
昭和12年生まれ、麻布中学2年でぐれ、安藤組で長い渡世のスタートがはじまり25年勤めた稼業で破門になる頃、府中刑務所入り。
22歳で夜学高校を卒業とあるが、これは渡世人になってからなのか、不思議な経歴といえる。
刑務所工場の前で日向ぼっこをする懲りない面々。
地面の虫を「右から」「いや左から来た」「上から落ちた。俺は見た」で結局、大乱闘になることがある。
「親孝行なんて一生分の親孝行はすんでいるのさ 5つまでの可愛さでな」の名セリフを口にする老エゴイストの極道。
密告爺さんに謎の一言で脅す男。「寝てる間に両目をハリで射されればだれがやったとチクルにはいかねえだろう。気をつけなよ」
こうした怖い極道を「用便願います」には知らん顔をし、「直れ」とは言わず、頭を下げさせっぱなしのお辞儀を強要する看守という現場権力者のいやらしさの描きも巧みだ。
こうした看守に対し不良外人をつついてスラングを覚え、口コミで流行らせ刑務所中を英語ブームにしたりする場面は映画素材にぴったり。ソープ嬢に「ボッとして忘れていたんだ。そっちの足は水虫があるんだよ」と口説く冴えない竿師や腹巻を種にチーム4人のなきばい芝居など傑作。
創作もあるだろうが面白かった。
(2001年7月13日 記)  


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