【老いて賢くなる脳】エルコノン・ゴールドバーグ/著 藤井留美/訳
日本放送出版協会
著者はニューヨーク医大教授で58歳。70年代のレーガン二期目の政権時に大統領のテレビ会見を見ていてアルツハイマーと診断を下した認知神経科学者でもある。
1000人の名前と顔を記憶できたスターリンが晩年は側近の名前が出てこなかったという。
脳の運動神経がやられて、何を話しているかがわからなかった最期の毛沢東。
そのほかチャーチル、ブレジネフ、エリツインも老化する脳患いの槍玉に上げられた。
大政治家の脳も老化することは避けられない事実は、いやおうもない。
ただ、かれらは過去の経験上、問題解決ができる選択パターンを左脳に貯めていてこれが「知恵」となって引き出され、指針が組めたという。
非凡と凡脳との違いらしい。
左は論理脳、右は運動脳とはっきりとさせている本が多いが、この本は違った。
右脳は新しいこと、未知のことを学習できるが、学ぶプロセスは左脳を使い蓄積してゆく。
認知の重心が右から左に揺れ動いてゆくという説明は納得できた。
左に移動された認知情報はパターン化されて保存される。
左右の脳は新旧情報の分担をしているわけだ。
神経伝達物質が右脳に多く、ドパーミンが左脳に多いという事実もこの説を裏付けた。
また一定の年代がくれば必ずニューロンは無くなっていくという今までの主張にも、脳は使えば使うほど幹細胞からニューロンが生まれ成長し続けるのだという事実を紹介して、われらシニアを勇気づける。
年齢がすすめば右脳は左脳より劣えるのだが、左脳の方は生涯を通じて右脳より精神活動の恩恵を受けるのだそうだ。
成長し成熟しやがて老化する脳は、老化を受けにくい左脳をうまく使うことで経験が高められ「知恵」は広げられるとする。
スポーツやアートを脳ドリルとし、知的活動の質と規模をどうするかが、これからの老いの暮らしのヒントになるらしい。
左脳、右脳は人間だけの特権ではない。
動物にとっても生きる上で、その情報が未知なのか旧知なのかを判断することは重要だ。
脳の新旧分担説とからめて今後の動物脳の解明がすすめばより面白い展開となりそう。
ただ単なるボケとアルツハイマーとの違いについては、もっと頁を割いて欲しかった。
(2006年12月20日)
【日本語のうまい人は英語もうまい】角行之 講談社α新書
いかに情報システムを構築し理解させるかがSEの仕事だそうだ。
著者の角さんは日立で20年間SEをして技術教育の責任者となり今明大大学院の講師をしている人。
いわゆる仕事ができる人らしく海外赴任の経験もたっぷりとある。
英語自慢の日本人が海外の場で巻き舌使ってヒュルヒュルとやると、かえって通じにくいと彼は言う。
それは自作・自演・自滅への道をたどることにも通じるゾ、ときびしい。
意思疎通が会話の要なのだ。双方が探し通じるキーワードを会話に活かせ。そのためにまず日本語を磨けと指摘。英文などは勢いで読めとも。
技術者として国際舞台のあれこれを踏まえた挿話も多い。
各章ごとに、だから「日本語のうまい人は英語もうまい」と結ぶ。
ユーモア調でつける結びことばも、何度となく繰り返されば、くどくなる。
日立SE、キーワードと言えばY在社時代の記事データベース草創のころを思い出した。
ライバルA社はIBM、我々の社の新聞制作システムは富士通が担当していていたが、記事データベースは、制作システムから独立して立ち上げ、その技術は日立が担当した。
日立のSEさんと同僚、先輩たちは日夜奮闘。
仕事を終えて酒と熱い議論の日々もあった。
記事DBの中心も、いかに検索キーワードをヒットさせるかのシステム化にあった。
結果、他社にないキーワード辞書構造システムが作れたのも日立の技術陣の知恵に与ることが多かったと思う。
著者の説くキーワード式英会話術を読みながら、20年前のあのころを思い起こせたという点で、私には収穫があった。
(2006年12月16日)
【日記力】阿久 悠 講談社α文庫
「二十一世紀は映像催眠の世紀。それに対する抗体をどう体内に培養するか。降り注ぐ情報やイメージに個人が対決する世紀」 と彼は位置づけた。
彼とは作者、阿久 悠。1937年に生まれ、2001年に癌で入院。
その入院中のベットでテレビニュースの映像「9・11テロ」を知る。
彼は違った100の世界を歌詞にして、人生を語る「ことば」をうまく紡ぎだせる人だった。
阿久はバブル直前に河島英五に頼まれ「時代遅れ」の詞を書く。
「時代遅れ」はカラオケで歌おうと思っても歌えない難しい歌だ。でも、歌いたくなる歌ではあった。
この歌は、作ったときは流行らなくて、流行りだしたのはバブル真っ盛りの時だった。
バブル絶頂期でも、これでよいのか日本人、とふりかえってみようとする人々の心情をたくみに歌いあげた。
だが今、時の流れは容赦なく、また早い。
新たに歌謡時代を作ろうとする人々は、百曲書ける彼のような作詞家より、一曲書ける作詞家を100人求めつつある。
人をつなぐ、詞のことばよりも時代は映像化、バーチャル化を求める。
その風潮がやがてたどっていく怖さを指摘。
「本を読む母の姿がイメージにない子どもは不幸だ。それとともに、もの想う父の姿が浮かばない子どもも」
との指摘は、淡路島の派出所に勤める警察官の父を持った昭和12年生まれの男の家族原風景なのだろう。
23年間書き続けてきた阿久 悠の日記は自らを見つめ、社会を見つめ、その一方で、他から見られている自分を表わした存在の証だ。
この本には珠玉のような歌謡詞のことばの綾はない。文中に(笑い)などと記した跡があり「語り下ろし」の本である。
だが、一時代の寵児の名を欲しいままにした作詞家が、六十の半ばを過ぎようとした地点で「日記」を通じて語り継ぐ「遺書」を意識するというその感性に、自分もうなずけるものがある。
(2006年12月14日)
日本放送出版協会
著者はニューヨーク医大教授で58歳。70年代のレーガン二期目の政権時に大統領のテレビ会見を見ていてアルツハイマーと診断を下した認知神経科学者でもある。
1000人の名前と顔を記憶できたスターリンが晩年は側近の名前が出てこなかったという。
脳の運動神経がやられて、何を話しているかがわからなかった最期の毛沢東。
そのほかチャーチル、ブレジネフ、エリツインも老化する脳患いの槍玉に上げられた。
大政治家の脳も老化することは避けられない事実は、いやおうもない。
ただ、かれらは過去の経験上、問題解決ができる選択パターンを左脳に貯めていてこれが「知恵」となって引き出され、指針が組めたという。
非凡と凡脳との違いらしい。
左は論理脳、右は運動脳とはっきりとさせている本が多いが、この本は違った。
右脳は新しいこと、未知のことを学習できるが、学ぶプロセスは左脳を使い蓄積してゆく。
認知の重心が右から左に揺れ動いてゆくという説明は納得できた。
左に移動された認知情報はパターン化されて保存される。
左右の脳は新旧情報の分担をしているわけだ。
神経伝達物質が右脳に多く、ドパーミンが左脳に多いという事実もこの説を裏付けた。
また一定の年代がくれば必ずニューロンは無くなっていくという今までの主張にも、脳は使えば使うほど幹細胞からニューロンが生まれ成長し続けるのだという事実を紹介して、われらシニアを勇気づける。
年齢がすすめば右脳は左脳より劣えるのだが、左脳の方は生涯を通じて右脳より精神活動の恩恵を受けるのだそうだ。
成長し成熟しやがて老化する脳は、老化を受けにくい左脳をうまく使うことで経験が高められ「知恵」は広げられるとする。
スポーツやアートを脳ドリルとし、知的活動の質と規模をどうするかが、これからの老いの暮らしのヒントになるらしい。
左脳、右脳は人間だけの特権ではない。
動物にとっても生きる上で、その情報が未知なのか旧知なのかを判断することは重要だ。
脳の新旧分担説とからめて今後の動物脳の解明がすすめばより面白い展開となりそう。
ただ単なるボケとアルツハイマーとの違いについては、もっと頁を割いて欲しかった。
(2006年12月20日)
【日本語のうまい人は英語もうまい】角行之 講談社α新書
いかに情報システムを構築し理解させるかがSEの仕事だそうだ。
著者の角さんは日立で20年間SEをして技術教育の責任者となり今明大大学院の講師をしている人。
いわゆる仕事ができる人らしく海外赴任の経験もたっぷりとある。
英語自慢の日本人が海外の場で巻き舌使ってヒュルヒュルとやると、かえって通じにくいと彼は言う。
それは自作・自演・自滅への道をたどることにも通じるゾ、ときびしい。
意思疎通が会話の要なのだ。双方が探し通じるキーワードを会話に活かせ。そのためにまず日本語を磨けと指摘。英文などは勢いで読めとも。
技術者として国際舞台のあれこれを踏まえた挿話も多い。
各章ごとに、だから「日本語のうまい人は英語もうまい」と結ぶ。
ユーモア調でつける結びことばも、何度となく繰り返されば、くどくなる。
日立SE、キーワードと言えばY在社時代の記事データベース草創のころを思い出した。
ライバルA社はIBM、我々の社の新聞制作システムは富士通が担当していていたが、記事データベースは、制作システムから独立して立ち上げ、その技術は日立が担当した。
日立のSEさんと同僚、先輩たちは日夜奮闘。
仕事を終えて酒と熱い議論の日々もあった。
記事DBの中心も、いかに検索キーワードをヒットさせるかのシステム化にあった。
結果、他社にないキーワード辞書構造システムが作れたのも日立の技術陣の知恵に与ることが多かったと思う。
著者の説くキーワード式英会話術を読みながら、20年前のあのころを思い起こせたという点で、私には収穫があった。
(2006年12月16日)
【日記力】阿久 悠 講談社α文庫
「二十一世紀は映像催眠の世紀。それに対する抗体をどう体内に培養するか。降り注ぐ情報やイメージに個人が対決する世紀」 と彼は位置づけた。
彼とは作者、阿久 悠。1937年に生まれ、2001年に癌で入院。
その入院中のベットでテレビニュースの映像「9・11テロ」を知る。
彼は違った100の世界を歌詞にして、人生を語る「ことば」をうまく紡ぎだせる人だった。
阿久はバブル直前に河島英五に頼まれ「時代遅れ」の詞を書く。
「時代遅れ」はカラオケで歌おうと思っても歌えない難しい歌だ。でも、歌いたくなる歌ではあった。
この歌は、作ったときは流行らなくて、流行りだしたのはバブル真っ盛りの時だった。
バブル絶頂期でも、これでよいのか日本人、とふりかえってみようとする人々の心情をたくみに歌いあげた。
だが今、時の流れは容赦なく、また早い。
新たに歌謡時代を作ろうとする人々は、百曲書ける彼のような作詞家より、一曲書ける作詞家を100人求めつつある。
人をつなぐ、詞のことばよりも時代は映像化、バーチャル化を求める。
その風潮がやがてたどっていく怖さを指摘。
「本を読む母の姿がイメージにない子どもは不幸だ。それとともに、もの想う父の姿が浮かばない子どもも」
との指摘は、淡路島の派出所に勤める警察官の父を持った昭和12年生まれの男の家族原風景なのだろう。
23年間書き続けてきた阿久 悠の日記は自らを見つめ、社会を見つめ、その一方で、他から見られている自分を表わした存在の証だ。
この本には珠玉のような歌謡詞のことばの綾はない。文中に(笑い)などと記した跡があり「語り下ろし」の本である。
だが、一時代の寵児の名を欲しいままにした作詞家が、六十の半ばを過ぎようとした地点で「日記」を通じて語り継ぐ「遺書」を意識するというその感性に、自分もうなずけるものがある。
(2006年12月14日)
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