ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔10 七五の読後〕 俳句のひねり方 新版 ・ 楠本 憲吉 編 ごま書房新社

2010年06月30日 | 〔10 七五の読後〕
【俳句のひねり方】楠本 憲吉 編 ごま書房新社

 昭和40年代に11PMという人気番組があった。
ゲストに和服姿の楠本がしばしば出演していた。  
この人の実家は大坂の料亭・なだ万。
話しぶりが垢抜けていて粋な人だった。
この本から印象に残った句やできごとをメモ。
また、この本は活字が大きい。めがねがいらない。そこもいい。

★ 白藤や揺りやみしかばうすみどり /芝 不器男
黄昏どきの白藤。
風が、ふとやんだ時、辺りはうす緑に。

● 浮かぶ句が最高ですと万太郎  
昭和21年、楠本は久保田万太郎主催の「春燈」句会に参加。  
師の万太郎は心に浮かんだ句が最高と。



● 3時間 浮浪者撮ってた土門拳
著者が銀座に所用があって、その往復の道でみかけた光景という。
 レンズで表現するその集中力に楠本は脱帽。
土門の写真集「筑豊のこどもたち」や仏像などを撮った「古寺巡礼」は胸打つものがあった。
土門はすばらしい映像作家だった。

★ 滝の上に水現れて落ちにけり /後藤夜半
旅先の宿で見た滝のあれこれに、たしかにそう見えるのがあった。
仰角でカメラを据えたらこういう風に見えるのではないか。
この人は虚子の弟子。

● 日本人 心のなかに沼がある
「日本人はアジアモンスーン地帯に生を享けたきわめてウエットな人種である。ウエットな日本人はだれでも心の中に”沼”を持っている」 「沼は種まき、苗植えをしなくても水草は自生する。俳句はこの「水草」や花、ススキのようなもの」

これはジャーナリスト大宅 壮一のことばと本は紹介。
確かに五、七、五の定型リズムは日本人に古来から備わっている気がする。


★ 銀行員ら朝から螢光す烏賊のごとく /金子兜太
この人、昭和18年に帝大を繰り上げ卒業して日本銀行に入行。
南方ラバウルなどでの従軍経験を持ち復職、昭和49年に退社。
朝から蛍光灯の下で算盤を弾く行員生活へ作者の目が注がれる。
なんとなく白黒映画のファストシーンのような光景だ。
今後、この人に関するものを読んでみたい。


■■ 子規

★ いくたびも雪の深さを尋ねけり/子規
今年は暖冬との予想を裏切って雪がずいぶん降って驚かされた。
そのため、掘りあげたタマネギの出来がよくなかった。
これは、義兄のいる佐渡でもこの埼玉周辺でも話題になったほどだ。
そんなことはどうでもいい。
病床にあっての子規の気持ちを十分忖度できる歌。

★ 鶏頭の十四五本もありぬべし/子規
これもそうした感想が生まれる。

★ 毎年よ彼岸の入りに寒いのは/子規
母が子規に話した詞をそのまま自らの句に。
この句は楠本本ではなく「60歳からの楽しい俳句入門」(鴇田 智哉著)という本のなかで紹介されていた。

■■ 絶筆三句    
          糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
           痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず
          をとゝひの へちまの水も 取らざりき 

明治35年(1902)9月19日。
享年36歳の若さで子規は逝った。  
死の13時間前に詠んだ辞世三句。
死への瀬戸際でこれだけの句を詠む。
凄いと想う。
人生訣別の時、かくありたいと思う。  

■ 一字
● 「ぶ」を「べ」にされて小雀遊んでる
我と来て遊ぶや親のない雀/一茶
この原句が「遊ぶ」だったことを知った。
「我と来て遊べや親のない雀」 やはり、「べ」のほうがその心情似合ってるようだ。
わずか一字の違いで受けとる世界がまるで違う俳句世界の不思議さ。  

★ 何とはなしに何やら床し菫艸/ 芭蕉
出典は「野ざらし紀行」。 
貞享2年(1685)、京都から大津に至る山路を越えて行く時に詠んだ句とされる。
これが、有名な
山路きて何やらゆかし菫草
となった。

★ 雪は降り明治は遠くなりにけり/草田男
初案は「雪は降り」だったそうだ。
呟いてみると、やはり「降る雪や明治は遠くなりにけり」のほうが断然良い。
この句は昭和6年の作品という。
明治は45年までだから24年経っての感慨ということになる。
振り返れば、昭和の歳月は62年間。
いま平成22年の梅雨。 ● 降る雨や昭和という字を書いてみる


★ 流れ行く大根の葉の早さかな /虚子
「流れ行く」ということばの卓抜な仕掛け、と著者。なるほど。
この大根の葉は、よく料理する。
微塵切り生姜を混ぜ油で炒め、少しの酒と秘伝ニンニク醤油で味付け。 生卵をはらりと落とし、炒め込んで皿に盛れば、あ~ら不思議の味になる。
冬の年金生活には欠かせない一品だ。

■ 恋
★ 有る程の菊抛げ入れよ棺の中/漱石
楠緒子という人は才色兼備の人だったようだ。
「それから」「門」「心」「明暗」等に、親友と昔の恋人をめぐる葛藤と罪の意識がテーマになっている。
修善寺の大患後、静養入院をしていた漱石へ楠緒子急逝の報が届く。 その時の漱石の日記。

 「11月13日晴。新聞で楠緒子さんの死を知る。9日大磯で死んで、19日東京で葬式の由。驚く。大塚(夫)から楠緒子さんの死んだ報知と広告に友人総代として余の名を用ひて可いかといふ照会が電話で来る」

「11月15日(火)晴。床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る 棺には菊抛げ入れよ有らん程 有る程の菊抛げ入れよ棺の中 ひたすらに石を除くれば春の水」


★ 貞家忌や勤めやすまず川田順 /山口 誓子
川田順という名前を聞いて浮かんでくるのは「老いらくの恋」ということば。
 「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」
昭和24年、67歳の川田が歌人の京大教授夫人と恋におちいり、自殺未遂もあったがのちに結婚したという話。
先日、昔海軍で経理をやっていた先輩と公民館で対局する。
85歳だそうだ。
この先輩が、数日前にどこかの紅灯の巷に迷いこみ青春が蘇ったと聞いたときには、ビックリして打つ石を落としそうになった。

★ 雪はげし抱かれし息のつまりにと /橋本多佳子
多佳子という人は、美しく気品のある未亡人だったそうだ。
俳句の手ほどきを杉田久女にうけ、前述の山口誓子が終生の師匠だったとのこと。


★ 切に愛せば妻声洩らす朧かな /読み人不知
楠本の懇意にしている著名な文人の作句だが、あえて名を伏せるという配慮があった。

● 天城越え 寝乱れての隠れ宿

タイトル名と歌詞の一部を並べただけ。
不倫情炎の極めの歌詞だと想う。
ここにも五、七のリズムがある。
作詞家・吉岡治さんは先月半ばに亡くなった。

舞い上がり 揺れ堕ちる肩のむこうに  あなた・・・山が燃える  
何があっても もういいの  くらくら燃える 火をくぐり  
あなたと越えたい 天城越え

2人で越えたいとするあの瞬間を堂々と歌いこみ、大ヒットさせた。
言葉の持つ暗喩の力。
歌詞であって俳句ではないが見事としかと言いようがない。

■■ ジッタン・メモ

● この一句より盤上この一手
俳句の本を読むことはは嫌いではない。
でも作るとなると、先ず逃げる。
舌頭千転ということばがあり、何度も口にして、「この一句」はできるそうだ。
才の無い頭を絞って苦吟するこの一句より囲碁・将棋の次の一手をどうひねりだすか、それが興味となってるリタイアの日々だ。

  先日、町の公民館で将棋大会があって、初段クラスのB級で5戦全勝で優勝。
昨日は鬼怒川温泉へ二段から四段までの懇親旅行があって、全勝。
これはできすぎだが、優勝ごとに段位が上がる仕組みと加齢も加わって実力段位がインフレになっているようだ。
公民館クラブのレベルと本格的な将棋道場では腕の差は歴然。

俳句の道もこの道も、日暮れてまだ遠い。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿