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この厄介な人間を相手にしなければ生きられない人生

2025年08月06日 | これから何が起きるのか?

 数回前のこのブログで、私が物忘れの激しい認知症気味であることを書いた。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6209165.html

 自分が、どこで生まれて、どうやって育ち、どうして今があり、そして、何をしようとしているのか? どこに行こうとしようとしているのか?

 この自分についての「見当識」が、自分の人生を「認識」している状態なのだが、この「自覚」が年齢とともに曖昧に、虚ろになり、私の年代になると、突然、自分がいったい誰なのか、何をしようとしているのか? どこにいるのかという見当識を見失うことがあるのだ。

 若い人には理解ができにくいと思うが、老人になって脳の機能が衰えると、ある瞬間に、今の自分の見当識を見失うことがある。最初は、わずか数秒で、ぼーっとした状態にはっと気づいて、自分がどこにいて、何をしようとしているのか思い出すのが普通だ。
 ところが、この段階で危機意識をもって脳を改善できないと、見当識を失う時間が伸び、機会も増えてしまう。それが認知症状態なのだ。

 私の場合は二十歳前にバイクで転倒し、まだヘルメット着用義務のない時代だったので、頭蓋骨折、大脳委縮という状態になり、一見、普通に治癒したように見えるが、後遺症は今でも自分を苦しめている。
 何が起きるかというと、突然、意識が朦朧として、まっすぐ立っていることも困難になる。この「めまい」の状態は、わずか数秒~数十秒だが、事故後10年以上、頻繁に起きた。
 原因は、脳出血の固まった破片が少しずつ剥がれて、小さな血管を詰まらせる。これをラクナ脳梗塞と呼んでいる。
 https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/lacunar_infarction/

 私の場合は、単独でロッククライミングや沢登りをするのが趣味だったので、危険な場所で平衡感覚が失われたりして、何度も危機を感じた。
 非破壊検査の仕事で30mの高さで50万ボルト鉄塔の検査をしているとき、さすがに不安になった。あれは、はしごを上下しているときの安全装置が存在しないのだ。強い意志と筋力だけが安全装置だ。

 そのうち治るだろうと安易に考えていたが、ほとんど症状が消えたのは60歳過ぎてからだった。しかし、ラクナ脳梗塞とともに記憶障害がやってきていた。楽譜などが暗記できなくなったのだ。

 たぶんだが、交通事故や格闘技をやって頭部に打撲を負っている人の多くが、同じ後遺症を抱えているのではないだろうか?
 これは怖いことで、脳を打撲する競技など本当はやってはいけないのだ。
 父は、軍隊にいるとき頻繁に上官に頭を殴られたせいで、70~80才のころ、後遺症で認知症になった。本人にその自覚はなかったが、散歩中、見当識を失って家に帰れなくなったことが数回もあった。

 老後、認知症になりたくなければ、頭部を打撲するような競技は避けるべきだ。一時はボクシングの禁止も考えられていたが、格闘技に熱狂する大衆が多くて、結局、頭部打撲競技は抑制されなかった。

 なんで、こんなに、人々は殴り合い、殺し合いが好きなのだろう?
 たった今も、世界は殴り合いに熱狂し、選手が脳出血を起こして病院に運ばれる事態が後を絶たない
 https://news.yahoo.co.jp/articles/9a23ceef7774abb5997ce903c50c89bc62700cf6

 さて、今回は、「この厄介な人間を相手にしなければ生きられない人生」と、奇妙な表題をつけたのだが、私は、認知症を自覚しながら、実は、日本社会、そして世界全体が認知症に陥っていると感じている。
 この年まで生きていると、この認知症世界を動かしている人間の厄介さに、ほとほと絶望してしまうのだ。

 人類に明日がないことを、これまで何回もブログにしてきた。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6191194.html
 
取り返しのつかないほど、痛い目に遭わなけりゃわかんないんだな……2025年01月22日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6184851.html

 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6208958.html

 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6190468.html

 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827574.html

 そもそも、安全な処理法、始末の確立していない高レベル核廃棄物を、世界で50万トン以上作り出してしまい、それは人類を何万回も何十万回も絶滅させることのできる規模だ。
 90年前、アメリカは、アインシュタインの上申によって、日本に原爆を落とすため、核開発を始めた。

 このときは、「戦争だから仕方ない」と言い訳された。実は、日本側も、湯川秀樹によって原爆開発に成功していたのだ。どちらが早いかという問題だった。
 敗戦が確定して、海軍興南道核開発基地では、証拠隠滅のため、沖合で不完全爆発させたといわれる。

 核被害に匹敵する、細菌爆弾も、731部隊、登戸研究所が開発し、風船爆弾にくくりつけて御前会議で許可を得ようとしたとき、裕仁天皇は真っ青になって拒否した。
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/seibutsugakushi/97/0/97_8/_pdf

 このおかげで、原爆は東京・大阪・京都を避けて広島・長崎に落とされた。
 もしも日本が原爆をアメリカに投下していたなら、核被害が100倍以上起きて、今の日本も天皇制もなかったと思う。

 「戦争だから仕方がない」と弁解されて始まった核開発は、戦争でもないのに、幾何級数的に拡大した。大半は、核武装を目的にしたものだったが、そのうち、「平和利用」を口実にした核開発が始まった。それが、原子力発電である。

 実は90年前に核開発が始まってから、現在に至るまで、使用済み核燃料、高レベル廃棄物の安全な処理に、人類が成功したことは皆無である。
 https://www.nuketext.org/mansion.html
 ウランやプルトニウムを核分裂させると、数百万倍の危険な放射能が生成される。しかも、その猛毒性の寿命は100万年を超える。
 人類の寿命なんて、せいぜい数万年~数十万年程度と考えられているので、それよりもはるかに長い。
 企業や政府が、猛毒物質を管理できるのは、世界史の組織や政権の寿命をみれば、せいぜい数百年が限度だ。
 その後は、超猛毒物質が環境に拡散し、人類や生物の未来を奪うのだ。

 これは、放射線のことを少しでも学んだ人なら、誰にでも理解できる簡単なことだ。つまり、今ある50万トンの高レベル放射能廃棄物を、人類が管理できるのは、せいぜいあと数十年か数百年のことであり、その後は、高レベル放射能が地球全土の環境を汚染することが明らかなのだ。

 非常に簡単な理屈なのだが、それでも核開発者たちは、「未来の科学技術の発展がなんとかしれくれるだろう…」と、問題解決を勝手に、未来に先送りして、核開発、原発稼働を進めた。
 だが、90年を経ても、ただの一人として、核廃棄物問題を解決してくれる科学者も政府も現れなかった。

 原発は、その最初から「トイレなきマンション」といわれていたが、今になってもなお、トイレのないまま、将来、超汚染物質が環境に拡散し、人類と生物を危機に陥れることが避けられないというのに、いまだに原発を作り続け、稼働させ続けている。

 私は、これを見て、これこそ、人類が認知症に陥っていて、自分が認知症であることさえ気づかない、正真正銘の認知症患者であると確信した。
 なぜ気づかない? それは核兵器を所有し、意見の異なる相手を武力で脅したい人が政権を執り続けているからだろうと思う。
 つまり、認知症患者たちが、政府と原発と核兵器を運営しているのである。

 子供たちの未来に対する見当識を見失った人ばかりが、世界を動かしている。
 人類が滅亡することよりも、核兵器で相手を「皆殺しにするぞ!」と、脅すことの方が大切な人たちなのだ。
 これを認知症といわずに、何を認知症というのか?

 彼らのほとんどが、人類が永遠に続くと勘違いしている。文明が永続すると信じている。そのなかで、自分が主導権をとるべきだと思い込んでいるのだ。
 だが、人類は、そんなに丈夫く、高能力ではない。いってみれば、自分たちの未来すら理解できないほどのアホなのだ。

 ちょうど、若い人たちが、認知症を患う老後が避けられないことを理解できずに、老人たちを「邪魔だから勝手に死ね」と安楽死に追い込もうとしているように、今の、健康や能力が永遠に続くと勘違いしている者が大半なのだが、実際には、誰でも50歳を過ぎれば固有名詞が出なくなり、70歳を過ぎれば見当識を見失う老化現象が避けられないのだ。

 もし、若い人が、自分の将来に起きる老化現象や認知症を正しく予測できるなら、きっと、老人たちを収容所に押し込めて安楽死させるような(老人ホームのこと)人情のないことはしないだろう。
 自分の未来さえ理解できないアホだから、老人たちから免許証を取り上げたり、交通手段を奪ったりして、施設に押し込める虐待を平気でできるのだ。

 自分の未来を理解できる若者なら、国家の未来や核廃棄物の運命も理解できるはずだ。国家も認知症になって、管理能力を失うことを理解できるはずだ。
 人類全体が認知症になるのだ。そして暴走し、正常な判断力を見失って滅亡するのである。

 我々が、自分の未来に耐えがたい老化現象や認知症が待ち構えている運命を理解できる者ならば、組織や国家の未来にも、同じことが起きることが分かるはずだ。
 日本政府は認知症になっている。だから原発を増設すると平気でいえるのだ。

 なぜこうなるのか?
 それは、我々が、幼い頃から競争の嵐に投げ込まれ、他人を見下すことが人生の目標であるかのように思わされてきたからだ。
 どんなものにも序列がつけられ、上位の者は羨まれ、下位の者は蔑まれていた。
 だから、みんな「蔑まれない人生」が欲しかった。そんな妄想が核開発、原発開発に結び付いてしまったのではないのか?
 この厄介な人間たちを相手にしなければ生きられないのが、今の我々である。
 


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