今日は、現代ビジネスに梨本野宮方子の記事が出ていたので、それを紹介しようとも思ったのだが、私の知る方子に関する情報が、あまりにも巨大で、現代日本にとっても深刻なので、何か特別な切り口を見つけて、系統的に書くことにした。
https://gendai.media/articles/-/156138
ちなみに、李方子の4子(5子?)といわれる横田早紀恵さんを見ていると、母親の方子さんの人間性の素晴らしさ、品格も伝わってくると思う。
https://livedoor.blogimg.jp/hirukawamura/imgs/1/e/1ef1c856-s.jpg
いずれ、まとめて方子さんの、物凄い運命と高貴な人間性を紹介するつもりだ。
今回は、羅臼岳で起きたヒグマ襲撃事件から、これから野生動物との共存をどうするのかを問題提起したい。
【捜索再開】クマに襲われて安否不明の20代男性 両足の太もも付近から大量出血か 北海道羅臼岳 8/15(金)
https://news.yahoo.co.jp/articles/95c3a85718fee81b9c5db0a5ccb53b43839db377
北海道知床半島の羅臼岳で、クマに襲われた20代の男性の捜索が再開しました。
14日午前11時ごろ、羅臼岳の斜里町側で、友人の男性と2人で登山中だった20代の男性がクマに襲われました。
警察によりますと、襲われた男性は友人の200メートルほど先を歩いていて、友人が突然、自分の名前を叫ばれたため駆け寄ったところ、男性がクマに襲われ、抵抗しているところを目撃しました。
男性はそのままクマに登山道の脇の茂みに引きずり込まれ、その際、両足の太もも付近から、かなりの出血があったということです。
現場は標高約550メートル付近とみられ、警察やハンターが15日午前5時半から男性の捜索を再開しています。
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この原稿を書いている、15日敗戦記念日の昼までに、まだ彼は発見されていない。
私は、100名山を完登する目標をたてて、1970年ころから、20年くらいかけで日本全国を歩き回り、1990年ころ、一応の全山踏破の目標を果たした。
北海道は、五回くらいに分けて歩いたが、最初に登ったのは恵庭岳で、最後はトムラウシだったかもしれない。古い話なので正確に覚えていない。
北海道の名山潰し旅で、思い起こすのは、ほぼすべての山にヒグマの影がちらついていたことだ。
恵庭岳も、山頂付近にヒグマ独特の獣臭が漂っていて薄気味悪かった。
ヒグマが滞在した空間には、独特の獣臭が残る。とりわけ強かったのが、斜里岳と幌尻岳、そして夕張岳だったと思う。
これらの山には、整備された登山道がなくて、多くは沢登りを強いられる。歩行距離も本土の数倍の長さで、人も少なく、登山道沿いにヒグマ臭を感じる場所が多かったので、いつでも恐怖を感じていた。
十勝岳では、ホロカメットクに向かう縦走路を歩いていると、バケツをひっくり返したような熊糞が次々に出てきて、緊張しながら歩くと、山頂付近で、牛ほどの大きさの金色漆黒に光輝く熊と出くわした。
彼は、目が合うと笹原を静かに下っていったが、そのとき、笹がまったく音を立てなかったことに驚かされた。
なお10歳以上の成獣は漆黒になるが、陽光を浴びると、毛皮がワックスがけしたように、きらきらと金色に光り輝く。これを「金熊」と呼ぶらしい。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828612.html
トムラウシでは、山頂小屋の近くで藪に入って用を足そうとしたとき、まるでふいごのような低い音が聞こえた。
「クマが近くにいる!」と私は驚き、出すべきものが引っ込んでしまって、私は逃げ帰った。
今回、非常事態に陥っている羅臼岳では、登山道の右手、下の方の沢筋で、ヒグマが鹿を食べている現場に遭遇した。たぶん、今回登山者が引きずり込まれたあたりだ。
クマは赤毛だったので、3歳くらいの若い個体だろうと思った。若い熊は人間を怖がらないので、トラブルを起こしやすいのだ。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6078361.html
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6080201.html
私は、このニュースを聞いて、心胆寒からしめるものだったのだが、その最大の理由は、最後の命綱と信じてきた、熊対策スプレーが約に立たなかったという記述だ。スプレーをかけても逃げなかったという。
これには少しビビッてしまった。
私は、永久に治らないで悪化する一途の持病、間質性肺炎(肺線維症)にかかっていて、呼吸トレーニングをしなければ、すぐに息切れを起こしてしまう。
だから、週に4~5回くらいのペースで山道を歩いている。
歩くルートは人が敬遠する「クマ出没」警告看板の出ているところばかりで、この5年で数回程度遭遇している。最近も糞を確認した。
特にクマが多いのは、笠置山の瞑想小屋ルート、二ッ森、保古山西などだ。
こんな山道を歩くとき、私は、①ダブルストック ②小型ハンドベル ③熊スプレー ④爆竹 などの対策グッズを持参している。
実は、我が家の裏山の果樹園やブルーベリー栽培所などにもクマがよりついていて、たまに目撃情報が流れ、敷地内で獣臭が漂うこともある。
私としては、クマと遭遇しても、首からぶら下げている熊スプレーに望みを託して信仰していたのだが、今回の羅臼岳襲撃事件では、それが効果をあげなかったことに大きなショックを受けた。今は、もうスプレーなしでは山に入れないほどなのに。
岐阜県の山という山、森という森には、すべてクマが居ついている。
私は、いつか、こんな日が来ることを20年くらい前から予感していた。
それは、2007年のリーマンショックのときだ。このころ、私の住む中津川市では、突然のように、田畑が獣たちに荒らされるようになった。
それまで、田畑に獣害対策など見たこともなかったのに、突然のようにイノシシが爆発的に増えて、イネや大豆まで食い荒らすようになった。
2009年になると、獣害対策をしない田畑では農作が不可能になった。ほぼすべての田畑に、ワイヤーメッシュによる防壁が設置された。
もちろん、我が家でも同じように、ワイヤーメッシュで敷地を囲った。
イノシシやカモシカが畑に入ると、結構な量の作物が1時間も経ずに消えてしまうのだ。最近では鹿も増えてきた。奴らはヤマビルを置いてゆく。
私の住む蛭川は、笠置山とつながっているので、熊の出没が多い。すぐ上のブルーベリー畑のフェンスが叩き壊されて大量のブルーベリーが食い荒らされた。
どうして、2007年を境に、急激に野生動物の進出が多くなったのか?
このころから、山に入る人が急に少なくなったのだ。言い換えると、過疎化が急激に進行した。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6142617.html
山の手入れが大きく減ったので、野生動物が住みやすくなった。
私は、福岡町、高山大橋の少し上で、幼稚園児がバスを待っているすぐ脇に全身光り輝くクマがいるのを見つけて言葉を失った。
ここには、老齢化で放棄された大きな栗と柿の林があった。
このとき、私は若者を追放した過疎の田舎町の未来が鮮明に見えた。
「金がすべて」の新自由主義社会が日本を席捲し、自民党・維新・公明党・立憲・国民まで、竹中平蔵ビジョンの洗脳を受けて、田舎社会を追放しようとしている。
とりわけ、立憲の米山隆一の、過疎地方の廃止を示す論説にはショックを受けた。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6114659.html
熊が増えて人間生活を脅かすようになった最大の原因は、このような地方軽視、切り捨て論の成果である。
若者たちが住みづらくなったことが、そのまま熊被害の増大をもたらしている。
私は、北海道や秋田県の熊被害を見て、ある程度の熊駆除は、待ったなしでやむをえないと思っている。可哀そうとかの問題ではない。
このまま放置すると、交通事故並みの死傷者が出る事態は避けられないからだ。交通整理は必要である。
カモシカも増えすぎているが、まだ害獣とレッテルを貼るには気の毒な気がする。そのうち、ヤギと交配して、生物草刈機として利用する時代が来るかもしれないと思っている。
私は、山でカモシカと友達になっているので、情が移ってしまって駆除という感覚が理解できないのだ。
ただ、人間の側の問題として、過疎地方に住む人が少なくなっていることが、クマなど野生動物激増の最大の理由であることは間違いのない事実であり、自然の秩序を回復するには、山岳境界、過疎地方に若者たちが生活することが問題解決の基本だと確信している。
このままでは、熊の出る過疎地方が中国人に買い占められ、大量の中国人が移住してくるが、彼らは、動物虐待の習性を持っているので、野生動物被害を軽減することに役立たない気がする。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6209273.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250727/k10014875711000.html
この事件は、日本の野生動物を捕獲して肉を販売する計画で、カモシカを捕獲しようとした、中国人、ベトナム人がカモシカを怒らせたという噂がある。
中国人は徹底した利己主義なので、彼らを過疎地域に住まわせても、よい結果にはならない気がしている。