未成年同士の性行為で逮捕なぜ?17歳少年“条例違反” 免責規定があるのに・・・警察に聞いてみると 富山 10/27(金)
https://news.yahoo.co.jp/articles/32a95dfe52e3b9ed63a8ccb1dc0f739bb8118cfd
18歳未満の少女と性行為をしたとして、富山県警が17歳の少年を県の条例違反の疑いで逮捕した事件について、10月19日にチューリップテレビが報じると「青少年には罰則は適用されないはずで、逮捕は必要なのか」といった声が寄せられるなど大きな反響がありました。
強制性交罪など刑法違反ではない「条例違反」での逮捕をめぐって、未成年同士の性行為が違法行為にあたるのかと少年の逮捕に疑問の声があがったのです。富山県警はなぜ17歳の少年を逮捕したのでしょうか?県警や専門家を取材しました。
富山県青少年健全育成条例違反の疑いで逮捕されたのは、富山県東部に住む会社員の17歳の少年で、少年を逮捕したのは富山中央警察署です。
同署によりますと、少年は2023年7月上旬、県東部で18歳未満の少女に対し、未成年であると知りながら性行為をした疑いが持たれています。被害にあってすぐに被害関係者から警察に届け出があり、警察の捜査で少年が浮上して今月19日、逮捕に至りました。少年は警察の調べに対し「間違いない」と話し、容疑を認めているということです。
警察は「被害者保護」を理由に、犯行時の状況や被害者の年齢などについて一切明らかにせず「富山県青少年健全育成条例違反」の疑いで逮捕した理由については「条例の15条(何人も、青少年に対し、みだらな性行為又はわいせつな行為をしてはいけない)に基づき、逮捕した」としていました。
「みだらな性行為」とは、過去の判例などで県がまとめた条例への見解によると「健全な常識がある社会人から見て、結婚を前提としていない、欲望を満たすためのみに行う不純とされる性行為」で具体的には性交、口淫、玩具使用などを指します。
■未成年の性行為をめぐる「免責規定」
条例違反による罰則は「2年以下の懲役、または100万円以下の罰金」とされていますが、その一方、26条では「この条例の罰則は、青少年に対しては適用しない」とする免責規定があります。
富山中央警察署によると、逮捕当時、少年は17歳で、免責規定の対象となります。
このことから、チューリップテレビに「罰則が適用されない免責規定があるのに17歳の少年を逮捕するのはおかしいのではないか」という問い合わせがあったほか、ニュースが掲載されたサイトには「違法な逮捕なのではないか」「警察官も裁判官も免責規定を知らなかったのでは」など逮捕に疑問を投げかけるコメントが多数掲載されました。
未成年の性行為をめぐっては今年、法律に大きな変化がありました。今年7月13日に刑法改正で性行為に関する「規定」が変更されたのです。
刑法改正で、性的行為に同意できるとみなす年齢が13歳から16歳に引き上げられました。16歳未満との性行為は、原則としてお互いの同意があっても処罰されることになりました。
ただし年齢の差が5歳未満の同年代の性行為は、お互いの合意があれば処罰されないことになっています。青少年の恋愛まで法律でしばってはいないということでしょうか。
今回の事件で17歳の少年が逮捕されたのは7月上旬なので、刑法改正前となります。その場合、性的行為に同意できるとみなす年齢は「13歳」です。
刑法改正前は13歳未満との性行為は、相手が何歳だったとしても強制性交罪として処罰されました。
13歳以上だった場合は、相手と合意があれば性行為をしても処罰されず、暴行や脅迫などを用いて合意がなく性行為をすれば強制性交罪で処罰されました。
今回の事件で17歳の少年が逮捕された容疑は、改正前の刑法違反ではなく「条例違反」です。条例では18歳未満の青少年と「何人も」性行為をしてはいけないとなっていますが、相手が青少年だった場合は免責規定があって罰則が適用されないはずです。
■改めて警察に逮捕の理由を聞くと
17歳の少年を条例違反で逮捕したことについて、富山中央警察署に改めて取材しました。
同署は「(容疑者が)青少年のため、より慎重に判断している」としたうえで、「免責規定について把握していたか」という質問には、「法令に基づいて逮捕している」としていると回答しました。
条例の「免責規定」については「‟罰則を適用しない”という規定に過ぎず、逮捕の必要性があるので法令に基づいて逮捕した」といいます。
つまり免責規定はあるものの、条例は逮捕を妨げるものではないという考えです。富山中央警察署はこれ以上の説明はしませんでした。
条例違反での逮捕について、少年事件に詳しい高岡法科大学の西尾憲子教授は被害者の年齢に分けてこう推察します。
(1)少女が13歳未満だった場合は、この事件が強制性交罪にあたる可能性があり、今後の捜査で新たな事実が認められることもあるのではないか。
(2)少女が13歳以上だった場合は、性行為とは別に、少年の背景に非行の可能性や犯罪につながる人間関係などがあったのではないか。
■県警本部が取材対応…逮捕の理由は
今月25日、富山県警本部が取材に応じました。対応したのは生活安全部の人身安全・少年課です。
17歳少年を条例違反で逮捕したことについて、県警本部は「(少年が)青少年のため特に生活環境や補導歴、非行歴などのこれまでの行動について情報を集め、逮捕の必要性を慎重に判断した」と説明しました。
そのうえで免責規定については“認識していた”として、罰則が適用されなくても「犯罪の成立を妨げるものではない」として、今回は少年を「刑事罰ではなく、少年院送致や保護観察などの“保護処分”とする方針で進めるため逮捕した」といいます。
逮捕の理由が「保護処分」とするためだったいいます。どうやら条例違反となった容疑の「性行為」だけではなく、別の非行や犯罪を行うおそれなどの問題があったとみているようです。
「保護処分」とするためならば、逮捕ではなく任意の取り調べでもいいのではないかという質問に対して県警本部は、一般論と前置きをしたうえで「逃亡や罪証隠滅のおそれ、つまり警察の出頭要請に応じなかったり、被害者に被害届を取り下げろと迫るといった事情がある場合などには逮捕の必要性が生じる」として、「今回も逮捕の必要性があると判断した」としました。
未成年同士の性行為についても聞きましたが、「良いか悪いかというのは言えない。刑法上の同意年齢“13歳以上”だったとしても、富山県青少年健全育成条例の“何人も青少年とみだらな性行為をしてはならない”には違反する。そのため、個別の事情によって任意で事情を聞いたり、今回のように逮捕につながる可能性もある」と話しました。
■「条例違反」で逮捕…その狙いは
17歳少年を条例違反で逮捕したことについて、西尾教授も「条例は青少年の健全育成という観点に立って判断をしていて、刑法上の違反があるかどうかという考えとは別のものだ」として、青少年の将来の非行や犯罪の防止という観点で警察が介入する可能性もあるといいます。
高岡法科大学・西尾憲子教授:
「条例には(青少年を)逮捕してはいけない、取り調べしてはいけないとは書いていない。なぜ事件が起こったのか原因を調べる、その役割を果たすために逮捕したのではないでしょうか。
少年という特性上、非行に陥らないように、そこから犯罪に手を染めていかないように、早期介入の意味も込められている。このままだと犯罪に手を染めるかもしれないという意味に捉えると、納得できるのではないでしょうか」
また、条例に免責規定があることについては「免責規定で青少年に刑罰を前提としていないのは‟見守る“ということ。転んだ子どもを遠くから見ているのではなく、手を差し伸べるのと同じ」と、条例に込められた考えを説明しました。
今後、17歳の少年はどのようになるのでしょうか?
捜査の進展にもよりますが、保護処分となった場合は、少年は家庭裁判所に送致されたあと、更生させるために「保護観察」「少年院送致」「児童自立支援施設等送致」のいずれかになるとみられます。
■未成年の性をめぐる裁判所の判断は
未成年の「性」をめぐっては過去、全国に条例が作られ処罰規定が広がる中、1985年に最高裁大法廷で憲法判断が示されたことがあります。
条例の示す「みだらな性行為」について、「青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱っているとしか認められないような性交又は性交類似行為」だとして、「真摯な交際関係にある青少年との間で行われる性行為」とは線を引いたのです。
全国の警察もほとんどの場合、恋愛関係にあると認められる者同士の性行為については、処罰しないのが通例でした。
その一方、保護処分については、千葉県で条例違反として少年を少年院送致した決定について、免責規定の解釈を誤った法令違反かどうか争われたことがありましたが、2016年、東京高裁は保護処分に付することは可能であるとしています。
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引用以上
富山県警が、青少年の自由な性的要求を権力で弾圧したがる理由は、基本的に富山県が日本でも指折りの「保守王国」であることからだろう。
保守の思想的風土といえば「儒教」の身分序列主義である。民衆は、権力者のいいなりになっていればよい、はみ出せば権力で弾圧するという封建主義の風土だ。
江戸時代、越中富山10万石といわれ前田利家の子孫が領有したが、儒教が盛んな土地で、市河寛斎という有名な儒者がいた。彼は締め付けの好きな人間性だった。
この伝統が、封建的な風土を醸成したと考えられる。
例えば、立川志の輔が富山出身だが、極めて保守性の強い人物で権力にべったり寄り添う芸風であり、富山県人らしい。山本太郎のような革新的人物はちょっと思い浮かばない。
私は、この記事を見た瞬間、背後に統一教会勢力がいると直感した。
富山は全国でも統一教会勢力の強い地域である。自民党政治家の多くが、統一教会の直接の、金銭的、人的支援を受けている。
https://minpo.online/article/post-303.html
https://newsdig.tbs.co.jp/list/tut/feature/%E8%BF%BD%E8%B7%A1%EF%BC%81%E6%97%A7%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%A8%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E6%94%BF%E7%95%8C%E3%80%80%E7%8C%AE%E9%87%91%E3%81%A7%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E5%B4%A9%E5%A3%8A
統一教会の本質は、教祖の文鮮明が李朝でも知られた儒者の家系だったことから、教義は儒教そのものであるといってもいい。
それは、人間に生まれながらの序列を定め、上意下達のみの秩序を求め、社会差別を正当化する価値観だった。つまり代表的な封建思想である。
孔子が作った儒教は、「人には生まれながらに貴賤がある。下の者は上の者を敬い、無条件に従え」と決めつけた、権力者にとって実に都合のよい思想だったので、中国はじめ、朝鮮半島、ベトナム、モンゴルなどでも広く権力思想として用いられた。
日本の場合は、奈良時代には入っていたが、「国教=国是」ともいえるほど思想的に普及したのは、家康が林羅山に命じて、朱子学という体系を各藩に強要してからだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99
日本で統一教会思想が勢力を持っている理由は、朱子学の序列差別思想が文鮮明の教義と合致しているからだろうと私は思う。
実は、日本の歴史的な、天皇制や藩主制度は、儒教の「人には生まれながらに貴賤あある」という差別思想を前提にしている。
儒教がなければ、天皇制や藩幕制度も存在しなかっただろう。また警察や消防など権力機関に見られる理不尽な序列制度も存在できなかっただろう。
現代、なお儒教の序列主義を前提に成立しているのが、警察・消防・自衛隊である。
これらには上意下達はあっても下意上達は存在しない。一方通行の非民主的組織である。
これらの組織が序列主義である根拠として、一方通行の命令系統がなければ緊急時に対応できない……とするものだが、本当にそれが有効であるのか、それとも序列なない方が有効なのかは実は証明されていない。
実際の運営にあたって、序列主義が有効である理論的根拠はない。
これらの組織に民主化が遅れている本当の理由は、序列が大好きな保守的、封建的風土にあるのだ。
民主主義による合理的運営は、最初から嫌悪されて拒絶され、民主的警察、消防、軍事活動など、一度も運営されたことがないのだが、「役に立つはずがない」と決めつけられているのが実情である。
つまり、儒教による序列と上意下達システムは絶対視され、一度も検証されたことがない。
今回、冒頭に紹介した富山中央警察署の未成年者の性行動への弾圧は、まさに儒教社会である富山らしい国家権力の干渉である。
私は、もしかしたら、この担当警官は統一教会関係者ではないかと疑った。
警察組織というのは、とにかく上意下達の硬直した序列社会で、一般社会に比べてひどくメンツを重視する社会であることを、私は自身の窃盗被害問題で思い知らされている。
昨日から始まった清水市の袴田事件でも、警察は証拠を捏造してまで、自分たちの見込み筋書きを守り、袴田さんが無罪であることを百も承知で、死刑台に送り込もうとした。
検察も、自分たちの恥知らずな証拠捏造を非難されているなかで、袴田さんの冤罪を否定する詭弁にしがみつき、真犯人は袴田さんであると、すでに完全崩壊した論拠で再審に臨んでいる。これは司法の闇=汚点として後世にまで伝えられるだろう。
ちなみに、再審で被告が有罪になった例は存在しない。
検察が20年にわたって有罪を主張し続けているのは、公判期間中に袴田さんが死亡することを望んで、事件をうやむやにしたいとする意思を表明しているに他ならない。
つまり、袴田事件も警察のメンツ主義の典型的な反映である。
冒頭の、条例が年齢免罪を既定しているのに、無理矢理逮捕し、免責条項から起訴できないため、少年院に送り込んでやると表明している本質も、自分たちの間違いを正当化するためのメンツに他ならない。
逮捕された被害者の人格を貶め、あたかも犯罪予備軍であるかのように発表し、少年院に送り込む「保護」が必要だと主張している。
警察組織は、何が何でも自分たちを正当化したいのだ。そのためには、平気で証拠を捏造したり、私の場合は、中津川警察署が私を捕獲したときの監視カメラのデータを非合法に破壊していった。データを復活させることさえできないほどにだ。
また、岐阜県警監察課に訴えたが、仲間のメンツを守るという凄まじい執念によって、私の主張を何一つ取り上げようとしなかった。
私は「儒教社会」なのだと深くため息をついた。
私は、埼玉県の「子供の留守番は虐待犯罪条例」を提出したのは、たぶん統一教会が議員を動かしたのだと考えている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e371091829735ee1d2ccc93ea244829b517e9077
統一教会(世界平和統一家庭連合)の活動は、基本的に封建社会への回帰であり、序列社会の復活である。
家庭にあっても、主人を長とし、妻と子を隷属させる封建秩序にに日本社会を回帰させる運動と断言してもよい。
これは世界でもっとも激しい序列社会である韓国(朝鮮)の価値観を日本社会にも拡大させようとする意図がある。
韓国人は、序列が死ぬほど好きで、学歴や身分、地位、立場などに過剰に敏感で、すぐに他人を序列化して見下したい人が非常に多い。
だから、見下されることを嫌って、どんなに無理をしてでも高級車に乗りたがり、家や服装を豪華にしたがり、高級品に包まれたがる。
学歴差別も世界でもっとも激しいといわれる。
私がFC2ブログを追われる原因を作ったのは、lovelovemac(アカウント停止のたびに少しずつ記号を付け加えて変えている)と称する、自称多摩美大卒の萩敦彦を名乗る静岡市の人物で、FC2に免許証を提示したらしいので、公文書偽造を行ったことになる。もちろん、そんな人物は実在しない。
https://ameblo.jp/love2mac2002jp/
https://twitter.com/2003jpLove2m
この男が、いつでも私を「中卒野郎」と侮蔑することから、いまどき、これほど露骨な学歴差別をするのは、韓国系の人物しかいないし、よくもこれほど悪質な嫌がらせを続けられるものだと思うほどで、統一教会員ではないかと思われる内容が多く含まれていた。
自民党青年部の大半が統一教会員といわれるので、私の反原発主張を嫌がらせによって排除しようとしていることは確実である。
https://www.instagram.com/love2mac2002jp/
韓国社会は見栄と差別の社会であって、そこで育った人間は、必ず序列を強烈に意識し、自分が目の前にいる人間よりも上か下かを絶えず意識し、相手に対してマウントを取ろうとするのだ。
そうした序列の根拠として、彼らは封建的な人間の序列秩序にしがみついているわけだ。
韓国が、「普通の国」になるときは、韓国から儒教の価値観が消えるときである。まだ当分ダメだろう。
今回、富山中央警察署が、普通の少年を性犯罪者に仕立て上げ、免罪既定を無視して少年院に送り込もうとしている事情の背景には、富山県における統一教会と自民党政治家の結びつきがあると考える。
旧統一教会関連団体が富山政界に 県議4人が「選挙応援受けた」独自直撃 知事選に市長選も応援
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tut/102231
https://www.youtube.com/watch?v=tpTT8wjRPhM&ab_channel=%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93
https://minpo.online/article/post-303.html
自民富山県連「旧統一教会との接点調査せず」方針決定の異様…ズブズブすぎて見ないふり? 2022/10/11
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/312674
上に挙げたように、富山県の自民党議員は、ほぼ全員が、実は統一教会とズブズブの関係にあって、冒頭の青少年条例も、ほぼ確実に、統一教会の封建社会回帰への圧力によって設定されていると思うしかない。
富山を含む、大昔の西日本弥生人文化圏では、そもそも性に対して実に寛容な社会だった。西日本では九州や山陽道を中心に、「夜這い文化」が1960年頃まで存在した。
初潮がくれば、一人前の女性として、娘は離れに寝かされ、近所の青年が通ってきて性行した。
子供が生まれれば、娘は夜這い者のなかから結婚相手を指名することができた。
断れば村八分になって村から出て行かねばならなかった。
実は、この習慣のため、夜這い文化圏では、父親と血がつながっていない家族が無数にあった。子供は両親の子ではなく、「集落の子」だったのだ。
こうした長江照葉樹林帯文化圏の民俗習慣が、日本の多くを占めていたのだが、ここに、百済から騎馬民族(秦氏)が渡来してきて、武家の文化を伝えた。
これは多く東日本に伝えられた。
朝鮮系(元を正せば、弓月=キルギスタンから来た人で、その前は「失われたユダヤ十支族」だった可能性が強い)の人々は、封建秩序を重視したので、西日本の自由な性風土が抑圧されるようになったのだ。
1970年代以降は、日本は完全に、儒教の影響を残した封建的価値観に染まっていった。
今、我々が目撃している富山の青少年の性の背後には、そんな儒教との戦いがあることを理解する必要がある。