中国が経済連鎖崩壊を来していて、今後、「国内矛盾を対外矛盾にすり替える」という破綻国家の常習手段として、周辺諸国への軍事衝突を繰り返す恐れが強まっている。
中国は、国家基盤が危うくなると、国境紛争を作り出して、相手が、どんなに強大でも、犠牲を惜しまずに戦争を作り出してきた。
対ソ・対印・対越の国境戦争は有名だが、チベットやウイグル(東トルキスタン)にも軍事侵攻をかけ、国土を強奪してしまった。
朝鮮戦争も、北朝鮮の要請とはいうが、事実上、国境拡大を狙ったものだった。
朝鮮戦争で有名なのは、「屍の橋」といわれ、まるで乃木希典の203高地作戦のように、何の防御手段も講ぜずに、雲霞が農薬の霧に突入するように、米軍に向かって自殺的突撃を繰り返し、後続の兵たちは、味方の屍を橋として河を渡ったといわれる戦闘スタイルで、中国共産党の指導の下で、数百万人ともいわれる戦死者を平然と出し続けた。
いくら中国で人口余剰問題があるとはいえ、自滅するように大量の戦死者を出す中国式戦闘スタイルは、普通の国では通用しないが、世界で、こんな無謀が容認される軍隊は、今では、人口余剰に悩み続けてきた中国とインドくらいかもしれない。
(昔は日本軍も英軍も、指揮官が突撃と命令したら、死んでも突撃させられた)
これでは、どんなに屈強な兵と高度兵器を持っていても、雲霞や飛蝗の巨大な群れを相手に持久的戦闘は続かない。これが、中国の本当の恐ろしさである。
4000兆円を超える債務を背負って、八方塞がりの糞詰まりになっている中国共産党政権が、延命のために何をするかといえば、「非常事態宣言」をかけて、「窮鼠猫を噛む」ような非常時の追い詰められた力を発揮する道しか残されていない。
https://www.epochtimes.jp/2018/01/30485.html
戦争までいかなくとも、国境紛争を仕掛けて、中国側に数万人程度の死者が出れば、これで「非常事態」であり、戦前の日本のように、大政翼賛体制をつくって完全な統制経済に持ち込むことができ、デフォルト連鎖を回避することも可能になるだろう。
その紛争を作り出す場所だが、この数ヶ月の習近平の発言を調べてみると、台湾への軍事侵攻に関する発言が多いことが分かる。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/218009/011600133/
もちろん、尖閣諸島の領有宣言をしていることから、いつ尖閣を占領するかもわからない。日本政府は「事を荒立てない」のが得意技であることくらい、中国は百も承知であり、今度こそ、「事を荒立てる」軍事侵攻を行い、大量の犠牲者を欲しがるかもしれない。
要は、中国共産党は人口爆発問題を解決するには、自国民の大量死が必要と信じているということである。
だから、三峡ダム崩壊で億単位の死者が予想されるにもかかわらず、すべての情報を隠匿して、堰堤が決壊するまで、だんまりを決め込んでいるのである。
そんな事情が分かっているから、アメリカは、中国との戦争において「大量破壊兵器」つまり核兵器に頼りたがっている。
トランプは、核兵器をコケオドシ=床の間に飾って脅しあう装飾兵器ではなく、実際に使える核兵器の開発を指示した。つまり戦術核兵器を実戦に使うと発言したのだが、これは、中国との武力衝突への準備である。
アメリカ軍は朝鮮戦争での記憶=屍の橋を恐怖の記憶としていて、中国と実際の戦闘が起これば、バズーカ核弾頭(広島原爆と同等の規模)を使うしかないと固く決意しているように見える。
https://diamond.jp/articles/-/162425?page=3
なお、安倍政権による憲法の解釈変更で、米軍が中国軍と実際に戦闘状態になった場合、自動的に自衛隊は米軍指揮下の一部隊として機能することになっている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-20/2015052002_01_0.html
中国との実際の戦闘が、もしかしたら年内に起きる可能性がある。
戦後、自衛隊を「就職先」と考えてきた人々にとって、もしかしたら、自分の命を賭して「敵国を破壊する」仕事を、初めて強いられるかもしれない。
そうなれば、自衛隊は就職先ではなく軍隊であり、自分の人生とは何なのか? 深刻に問われる時代が訪れている。
同時に、「敵国」という概念も、戦争という概念も、すべて自分の論理のなかで厳しく問われなければならなくなる。
このまま、政府のいいなりになって死んでゆくことがいいのか? と……。
「自衛官」や「警察官」という、自分個人より一段階上に位置する帰属的洗脳を受けた人たちは、日露戦争で乃木希典の指揮下に編入されたようなもので、どんなに理不尽であっても、「組織の論理」で動く義務を強いられ、逃げだそうとすれば「死刑か懲役300年」=石破茂 の罰を受けることになる。
帰属する国家による戦争の必然性と、自分自身の論理が一致していれば問題は起きないのだが、「相手を殺したくない」と思っている人が、無理矢理、戦闘に駆り出されて前線に配属されると、自分自身を殺して無感情な殺戮ロボットに変身させられるわけだから、それによるトラウマ、心理的葛藤は極めて過酷である。
太平洋戦争では、良心的兵役拒否なんて概念はなくて、「人殺しなんか絶対に嫌だ」と自分の論理を貫こうとすれば、自殺するか、戦闘中に相手に自分を撃ってもらうしかなくなる。
そうして自ら命を失った日本兵も大量にいたといわれるが、もちろん政府は完全に隠蔽している。
この立場で、戦争に無理矢理投げ込まれた人々にとって、「本当の敵」は、決して国が定めた「敵軍」ではなく、人殺しをしたくない自分に無理矢理、人殺しをさせる国家権力ということになる。
もう少し突き詰めれば、「本当の敵」とは、自分自身の生きるための論理=良心という言葉を使ってもいい=を、無理矢理破壊する国家の論理だという回答も見えてくる。
国のいいなりになって、やりたくもない人殺しをするのは、まっぴらご免という自分の論理を貫こうとすれば、自由な外国に逃げたり、あるいは、やむをえず自殺したりの選択肢も理解できよう。
江原啓之は、戦争で自分の良心を貫くために自殺することは、人殺しをさせられるより、尊いことだと語っている。
要は、「愛国心」なんて真っ赤な嘘教育に洗脳されて、国の捨て駒として死んでゆくのが正義だと勘違いした右翼青少年がたくさんいるのだが、本当の正義は、巨大企業の利権のためだけに動いている嘘つきの国を信じて盲目的に死ぬことではなく、自分の世界観から後悔しない人生を選ぶことである。
それに、「敵国人」とはいうが、中国も朝鮮も、ロシアも、一人一人の個人は親切で憎めない人が少なくない。戦争というのは国家の都合だが、個人の都合としては、暖かい人間性だと分かっている人たちを殺すことはできない。
そんな命令に従うくらいなら、サイコパスで知られたトランプや安倍晋三を撃った方がマシだ。
我々は、戦争を前にして、いったい、どのような価値を守らなければならないか、今からじっくりと考えておくべきだ。
不正で固めた嘘つき安倍政権のために死ぬのか? 最悪のサイコパス、トランプの思いつきに振り回されて死ぬのか? それとも、自分が正しいと信ずる価値観に殉ずるのか?
私個人の世界観=原理原則を述べておくと、もし、命を捨てることを強いられるとしたなら、巨大資本の金儲けに利用されて死ぬなんて真っ平ご免だ。
嘘で固めた日本政府の虚構のために死にたくもない。アメリカの大金持ちの利権のために利用されたくもない。
それでは何があるかというと、まずは、純真な子供たちの未来を守りたい。金持ちや権力者は大嫌いだから、どうせなら、底辺に住む心温かい貧乏人のために死にたい。
私が命を奉仕する相手は、金持ちや権力者ではない。地球と大自然を愛し、人類の未来を大切に保全しようと努力している人たちである。
子供たちの未来のために死ぬことができるなら、どうせボロボロではあるが、有意義な死に方ができると思う。
本当の敵は、子供たちの未来を破壊して利己主義の金儲けに没頭する、大金持ちや権力者であることを、大声で叫んでおきたい。
中国は、国家基盤が危うくなると、国境紛争を作り出して、相手が、どんなに強大でも、犠牲を惜しまずに戦争を作り出してきた。
対ソ・対印・対越の国境戦争は有名だが、チベットやウイグル(東トルキスタン)にも軍事侵攻をかけ、国土を強奪してしまった。
朝鮮戦争も、北朝鮮の要請とはいうが、事実上、国境拡大を狙ったものだった。
朝鮮戦争で有名なのは、「屍の橋」といわれ、まるで乃木希典の203高地作戦のように、何の防御手段も講ぜずに、雲霞が農薬の霧に突入するように、米軍に向かって自殺的突撃を繰り返し、後続の兵たちは、味方の屍を橋として河を渡ったといわれる戦闘スタイルで、中国共産党の指導の下で、数百万人ともいわれる戦死者を平然と出し続けた。
いくら中国で人口余剰問題があるとはいえ、自滅するように大量の戦死者を出す中国式戦闘スタイルは、普通の国では通用しないが、世界で、こんな無謀が容認される軍隊は、今では、人口余剰に悩み続けてきた中国とインドくらいかもしれない。
(昔は日本軍も英軍も、指揮官が突撃と命令したら、死んでも突撃させられた)
これでは、どんなに屈強な兵と高度兵器を持っていても、雲霞や飛蝗の巨大な群れを相手に持久的戦闘は続かない。これが、中国の本当の恐ろしさである。
4000兆円を超える債務を背負って、八方塞がりの糞詰まりになっている中国共産党政権が、延命のために何をするかといえば、「非常事態宣言」をかけて、「窮鼠猫を噛む」ような非常時の追い詰められた力を発揮する道しか残されていない。
https://www.epochtimes.jp/2018/01/30485.html
戦争までいかなくとも、国境紛争を仕掛けて、中国側に数万人程度の死者が出れば、これで「非常事態」であり、戦前の日本のように、大政翼賛体制をつくって完全な統制経済に持ち込むことができ、デフォルト連鎖を回避することも可能になるだろう。
その紛争を作り出す場所だが、この数ヶ月の習近平の発言を調べてみると、台湾への軍事侵攻に関する発言が多いことが分かる。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/218009/011600133/
もちろん、尖閣諸島の領有宣言をしていることから、いつ尖閣を占領するかもわからない。日本政府は「事を荒立てない」のが得意技であることくらい、中国は百も承知であり、今度こそ、「事を荒立てる」軍事侵攻を行い、大量の犠牲者を欲しがるかもしれない。
要は、中国共産党は人口爆発問題を解決するには、自国民の大量死が必要と信じているということである。
だから、三峡ダム崩壊で億単位の死者が予想されるにもかかわらず、すべての情報を隠匿して、堰堤が決壊するまで、だんまりを決め込んでいるのである。
そんな事情が分かっているから、アメリカは、中国との戦争において「大量破壊兵器」つまり核兵器に頼りたがっている。
トランプは、核兵器をコケオドシ=床の間に飾って脅しあう装飾兵器ではなく、実際に使える核兵器の開発を指示した。つまり戦術核兵器を実戦に使うと発言したのだが、これは、中国との武力衝突への準備である。
アメリカ軍は朝鮮戦争での記憶=屍の橋を恐怖の記憶としていて、中国と実際の戦闘が起これば、バズーカ核弾頭(広島原爆と同等の規模)を使うしかないと固く決意しているように見える。
https://diamond.jp/articles/-/162425?page=3
なお、安倍政権による憲法の解釈変更で、米軍が中国軍と実際に戦闘状態になった場合、自動的に自衛隊は米軍指揮下の一部隊として機能することになっている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-20/2015052002_01_0.html
中国との実際の戦闘が、もしかしたら年内に起きる可能性がある。
戦後、自衛隊を「就職先」と考えてきた人々にとって、もしかしたら、自分の命を賭して「敵国を破壊する」仕事を、初めて強いられるかもしれない。
そうなれば、自衛隊は就職先ではなく軍隊であり、自分の人生とは何なのか? 深刻に問われる時代が訪れている。
同時に、「敵国」という概念も、戦争という概念も、すべて自分の論理のなかで厳しく問われなければならなくなる。
このまま、政府のいいなりになって死んでゆくことがいいのか? と……。
「自衛官」や「警察官」という、自分個人より一段階上に位置する帰属的洗脳を受けた人たちは、日露戦争で乃木希典の指揮下に編入されたようなもので、どんなに理不尽であっても、「組織の論理」で動く義務を強いられ、逃げだそうとすれば「死刑か懲役300年」=石破茂 の罰を受けることになる。
帰属する国家による戦争の必然性と、自分自身の論理が一致していれば問題は起きないのだが、「相手を殺したくない」と思っている人が、無理矢理、戦闘に駆り出されて前線に配属されると、自分自身を殺して無感情な殺戮ロボットに変身させられるわけだから、それによるトラウマ、心理的葛藤は極めて過酷である。
太平洋戦争では、良心的兵役拒否なんて概念はなくて、「人殺しなんか絶対に嫌だ」と自分の論理を貫こうとすれば、自殺するか、戦闘中に相手に自分を撃ってもらうしかなくなる。
そうして自ら命を失った日本兵も大量にいたといわれるが、もちろん政府は完全に隠蔽している。
この立場で、戦争に無理矢理投げ込まれた人々にとって、「本当の敵」は、決して国が定めた「敵軍」ではなく、人殺しをしたくない自分に無理矢理、人殺しをさせる国家権力ということになる。
もう少し突き詰めれば、「本当の敵」とは、自分自身の生きるための論理=良心という言葉を使ってもいい=を、無理矢理破壊する国家の論理だという回答も見えてくる。
国のいいなりになって、やりたくもない人殺しをするのは、まっぴらご免という自分の論理を貫こうとすれば、自由な外国に逃げたり、あるいは、やむをえず自殺したりの選択肢も理解できよう。
江原啓之は、戦争で自分の良心を貫くために自殺することは、人殺しをさせられるより、尊いことだと語っている。
要は、「愛国心」なんて真っ赤な嘘教育に洗脳されて、国の捨て駒として死んでゆくのが正義だと勘違いした右翼青少年がたくさんいるのだが、本当の正義は、巨大企業の利権のためだけに動いている嘘つきの国を信じて盲目的に死ぬことではなく、自分の世界観から後悔しない人生を選ぶことである。
それに、「敵国人」とはいうが、中国も朝鮮も、ロシアも、一人一人の個人は親切で憎めない人が少なくない。戦争というのは国家の都合だが、個人の都合としては、暖かい人間性だと分かっている人たちを殺すことはできない。
そんな命令に従うくらいなら、サイコパスで知られたトランプや安倍晋三を撃った方がマシだ。
我々は、戦争を前にして、いったい、どのような価値を守らなければならないか、今からじっくりと考えておくべきだ。
不正で固めた嘘つき安倍政権のために死ぬのか? 最悪のサイコパス、トランプの思いつきに振り回されて死ぬのか? それとも、自分が正しいと信ずる価値観に殉ずるのか?
私個人の世界観=原理原則を述べておくと、もし、命を捨てることを強いられるとしたなら、巨大資本の金儲けに利用されて死ぬなんて真っ平ご免だ。
嘘で固めた日本政府の虚構のために死にたくもない。アメリカの大金持ちの利権のために利用されたくもない。
それでは何があるかというと、まずは、純真な子供たちの未来を守りたい。金持ちや権力者は大嫌いだから、どうせなら、底辺に住む心温かい貧乏人のために死にたい。
私が命を奉仕する相手は、金持ちや権力者ではない。地球と大自然を愛し、人類の未来を大切に保全しようと努力している人たちである。
子供たちの未来のために死ぬことができるなら、どうせボロボロではあるが、有意義な死に方ができると思う。
本当の敵は、子供たちの未来を破壊して利己主義の金儲けに没頭する、大金持ちや権力者であることを、大声で叫んでおきたい。