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宗教の本質 心の外に救いを求める

2025年08月18日 | これから何が起きるのか?

 最初に余談
 8時半頃、遠州灘でM6.1が発生した。ところが、不思議なことに数十分後に、M4.6に規模が小さくされてしまった。エネルギーで言えば50分の1くらいだ。
 https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/20250818083333.html

 こんなエネルギー規模の変更など、見たことがなかったので、気象庁が何らかの事情で意図的に事実を矮小化したのではないかと思った。
 遠州灘は、東海地震、南海トラフ地震の想定震源域なので、法令で警戒宣言が出ることになっている。

 M7以上だと、国が「警戒宣言」を出して新幹線や高速道路を封鎖する義務が成立してしまう。M6以上は明文化されていないが、警戒情報を出すことになっているはずだ。
 ところが、もし警戒情報でも出してしまえば、無為無策で、何もしなかった場合、もしも巨大地震の被害が発生したときに、訴訟を起こされて国に賠償義務が出る可能性がある。

 今はお盆の帰省タイミングで、新幹線も高速もフル回転なので、もし警戒情報を出せば、てんやわんやの大騒ぎとなるのは必至だ。
 そこで、気象庁が意図的に、遠州灘・南海トラフ震源域ズバリのM6.1をM4.6に矮小化したのではないかと、私は疑っている。
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 ここから本番

 高校生のとき、社会科学研究会で、エンゲルスの「フォイエルバッハ論」が語られた。
 https://wpll-j.org/mcgtext/annai/engels.html

 執筆されたのは1888年というから、137年ほど前だ。今から半世紀以上前の当時は、マルクス主義研究が戦後、もっとも盛んだったころで、日本中でエンゲルスが読まれ、若者たちは岩波文庫を片手に連日連夜、激論を交わしていた。

 「空想から科学へ」「家族国家私有財産の起源」「フォイエルバッハ論」などは、若者たちの基礎教養だったといえる。
 今のように、鬼滅の刃もなければ、北斗の拳もなかった時代だ。弁証法を知らざるは、知性の欠如を示すものだった。
 若者たちの教養も、ずいぶん変わったものだと嘆息してしまう。

 私は、「家族国家私有財産の起源」と「フォイエルバッハ論」こそ、若き私の思想的源流になったと確信している。
 今でも、私の書いているブログは、このエンゲルスの著書から巨大な影響を受け続けていると思う。

 それは、私の民俗学研究志向を作り出してくれた。そして、私の周囲にあった宗教的形象への疑問を解決してくれる考え方だった。
 なにせ、向かいの家の田中さんが、早朝から深夜まで、「南妙法蓮華経」の大合唱で、勉強に集中できなかったし、我が家でも母親が解脱会に入って、般若心経の読経を続けていたし、葬儀や法事があり、神棚があり、仏壇があったが、私にはその合理性がまるで理解できなかった。
 「神棚や仏壇など、ぶち壊してしまえ!」と内心思っていた。

 「宗教って、いったい何なのさ?」
 この疑問に真正面から答えてくれたのが、フォイエルバッハだった。
 
フォイエルバッハ『キリスト教の本質』あらすじと感想~マルクスに強い影響を与えた作品!「人間が神を作った」と主張するフォイエルバッハ 2022年7月26日
 https://shakuryukou.com/2022/07/26/dostoyevsky858/

 https://tetsugaku-life.com/2019/04/29/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%9A%84%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B5%81/

 ネットを見ていると、フォイエルバッハの解説に、宗教的歪曲を加えた不可解なものが多いので、とりあえず、私が当時、理解していた本質的解釈を述べる。

 神とはなにか?
 それは、人の心が作り出したものであり、人の外側にあるものではない…ということだ。
 ほぼ、すべての宗教は、人間の外側に、超人間的な偶像を設定し、それを崇拝させ、人間の外側に、人を救ってくれる権威が存在するかのように人々に思い込ませるシステムだ。

 フォイエルバッハは、人の外側に神があるわけではないと言った。神は、苦悩する人の心が、あたかも人の外に救済手段があるかのように、幻想=妄想を作り出してしまう結果だと指摘したのだ。
 すなわち、神は、人の外にではなく、心の内側に生み出されるものであった。

 モーゼもイエスも、このことを十分に理解していて、十戒の二項に「偶像崇拝の禁止」を明記し、これを絶対的に守るように言っていた。
 ところが、「キリスト教」が成立すると、たちまち、それはキリスト像やマリア像など偶像を作り出して、それを崇拝させるようになった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92

 死海文書に出てくるグノーシス派のイエスは、とりわけ偶像崇拝を強く拒絶する思想集団だった。
 だから、死海文書や、戦後エジプト発見された聖書、トマス福音書では、イエスは「石をどけても私はそこにいる。薪を割ってもそこにいる。石造りの建物に私はいない」と言い、教会キリスト教を厳しく否定している。
 バチカンは、これを恐怖して、死海文書もトマス福音書も「偽書」と決めつけ、隠蔽してしまった。

 フォイエルバッハは、神を心の外側(外にある偶像)に望む心とは、心の内側にある、苦悩であると指摘した。
 簡単にいえば、宗教は人の苦悩が作り出す虚構であり、自分のなかで解決できない苦悩を、自分の外側の偶像に解決を求めるシステムだということだ。

 これを知り、私は救われた。
 私は、小中学校でひどいイジメにあって、心がいじけてしまっていた。強烈な鬱病になってしまい、絶望のなかで暮らしていた。
 このとき、私は、自分を救済してくれるなにものかを、自分の外側に期待していた。それは、ときに荒唐無稽な幻想や妄想だった。
 自分が超人になったかのように、さまざまの妄想を重ねた。虚構の強い自分を作り出していた。

 鬱病を経験したことのある人ならわかる。
 解決できない苦悩に苛まれると、人は、あらゆる希望を失い、まず視界の色彩が消えてゆく。普通に見えているつもりなのだが、心のなかでは色彩が失われ、灰色の世界が広がっていた。

 次に、見ているものの秩序が見えなくなる。例えば、どんな汚れた場所、ぐちゃぐちゃに乱雑な場所であっても、それが汚いとか、異常だとかに気づく認識が失われ、カオスのなかにあっても平然としているようになる。
 片付けようとか、見栄えをよくしようとかが思い浮かばず、ゴミ屋敷であっても異常を感じなくなる。
 暗闇の世界に閉じこもって、出てこられなくなってしまうのだ。

 ただ、飯を食うとか、排泄するとか、眠るとかの基本的な生命現象維持だけはできる。世間体を飾りたいとか、他人に嫌われたくないとかの価値観はひどく薄くなってしまう。

 こんな鬱病世界に生きていても、もしかして、自分を救ってくれるものがあるかもしれないという蜘蛛の糸のような希望は、残っている。
 私にとって、ブログを書き続けることだけが、かろうじて私を支えてくれる蜘蛛の糸だった。
 こんな鬱病状態の人がどれくらいいるのかというと、表向き約400万人だが、実際には、程度の差こそあれ、1000万人くらいはいると、私は思う。

 人は苦悩する。イジメられたり、失敗して糾弾されたり、求める希望が得られなかったり、愛を欲しいのに得られなかったり、不本意な評価を受けたり、さまざまな理由で、人は苦悩する。
 苦悩というのは、自分の心の内側、自分自身で解決するしかないものだが、ときに、自分の外側に解決の手段があるかのように、人を欺くものがある。

 それが宗教だ。与えられたことだけをこなす人生しか知らない若者は、とりわけ宗教に取り込まれやすい。
 人を疑わない素直な心の持ち主も、簡単に騙されやすい。

 オウム真理教に洗脳されてしまった若者たちは、幼い頃から優越感を心の支えにしてきた者たちだった。
 「自分たちが特別な存在でありたい」という優越要求が信仰に変わって、麻原の妄想を疑うことなく、反社会活動に引き込まれていった。

 統一教会に洗脳された若者たちも、世間知らずで、優越感に生きてきた者が多かった。疑うことを知らなかったのだ。幸福の科学も同じだ。
 創価学会の場合は、少し違う。あれは在日者たちの生活互助会の役割があり、宗教を通じた連帯感と、経済的安定が信者を引き寄せた。

 宗教でなくとも、赤軍派や新左翼党派も似たようなメカニズムだ。優越感という土台は、洗脳にひどく適している。
 自分自身の疑い深い思索が、人間の外側にある権威を容易に信用せず、その本質にある生成のメカニズムを理解し、社会や自分の人生に役立つ真実を見抜く目を育ててくれる。

 私の場合は、ひどい鬱病から自己疎外を起こし、妄想の世界をさまよったが、結局、自分に還ることができた。
 権威そのものが嫌いで不快だったから、人間の外側にある偶像に騙されて盲目的に洗脳されることはなかった。

 その私から見て、すべての宗教信者が宗教に取り込まれる原因は、生活や人間関係の苦悩である。フォイエルバッハの指摘どおりだ。
 苦悩があると、人の外側に、それを救ってくれる権威を求めるようになるのだ。
 宗教だけではない。天皇制だって同じだし、セレブやエリートの優越感や階級意識だって同じものだ。

 人は権威に騙される。その偶像を崇拝するようになる。真実が見えなくなる。
 学歴や権威、蓄財やセレブ生活に憧れ、他人を見下すことに快感を得られると信じるようになる。
 今、本当にあるものは、生きている自分と、生活だけなのに、虚構にすぎない権威や蓄財、偶像に振り回される人生を送るようになる。
 何が真実なのか、見抜く目だけが自分を守ってくれるのだ。


序列と洗脳

2025年08月17日 | これから何が起きるのか?

 私が70年以上を生きてみて、最大の感想をいうなら、人間社会を定めているものは「洗脳」であるということだ。
 それも、メディアや教育、周囲の発言、書籍などだけでなく、誰も気づいていない異世界の関与した洗脳も含まれる。

 ありとあらゆる常識が社会を支配し、人々の意識を定めているのだが、その90%は、行動様式であり、すなわち与えられ、教えられ、囁かれた「洗脳」であるということだ。
 ジェンダー問題だって、自分が女であるか男であるかを定めるのは、洗脳以外のなにものでもない。

 かつて、インドなどで、狼に育てられた少女が、成長してから発見されたのだが、人間社会に順応するためには、あまりに大きな体験上の大きな障害を抱えてしまっていた。
 彼女は、死ぬときまで、自分が人間であるという自覚を持てなかった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9

 犬に育てられた猫が、自分を犬だと思っている様子も公開されている。
 https://eureka.tokyo/archives/377502

 自分を女だと思い込んでいる男、男だと思い込んでいる女など、あまりに多すぎて話題にもならないが、それをバイデン政権が「ジェンダーフリー」と称して取り上げはじめたのが、ジェンダー法案の始まりだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91%E5%8F%8A%E3%81%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E7%90%86%E8%A7%A3%E3%81%AE%E5%A2%97%E9%80%B2%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B

 実は、性自覚意識を定めるのが、なんであるのかは、まだはっきりしていない。自分の肉体的な意味での性的特徴の自覚から、社会的な評価と行動、周囲による評価などが、知らず知らず性意識を自覚させ、洗脳してゆく。

 しかしながら、肉体的特徴に反感を抱き、性への違和感を感じ続ける理由について、前世、過去生の体験が現世を拘束しているという意見もあって、それには一定の説得力がある。
 ここまでは誰でも理解できると思う。しかし、私は霊的存在としての人間が、我々の想像よりも、はるかに大きな力を持っていることを思い知らされてきた。これを理解できる人はひどく少ない。

 体験からいうと、30歳代のとき、奥名張の国見山を登るつもりで近くで車泊した。このとき、突然、脳内の一部が硬直し、頭痛がするようになり、そのときから自分の性格が極端に変化したことを感じた。
 私は暴力団員のような戦闘的な意識になり、暴力団と木刀を持って立ち会おうとした。また、出会うあらゆる人に悪意的な因縁をつけようとした。

 数年間続いたが、ある夜、夢に祖父が出てきて、頭のなかに手を入れて、ガキンという音を立てて、憑依霊を外してくれた。それから、元の普通の私に戻った。
 このときの経験で、私は、霊憑依現象があることを確信した。
 その後、私は奥名張の車泊場所で、大阪の暴力団員が首吊り自殺したことを知った。それを見て、私は自分におきた事象の意味を理解することができた。

 また、私に嫌がらせを続けている自称富士宮市、萩敦彦の超執拗な誹謗中傷攻撃を見ていて、この男は間違いなく悪霊の憑依を受けていると確信した。
 20年以上もの悪意の連続は、まともな人間性とは思えず、これほど執念深く嫌がらせ繰り返すのは霊的問題しかありえないと思った。創価学会員の霊的集団の意思を感じた。

 どういうことかというと、私は「霊媒体質」で、死んだ人の霊に憑依されやすい。もしかしたら私に固有の現象かもしれないが、これまでの人生経験の数割が、憑依現象と関係あるような気がしている。
 それは、絵を描いたり、楽器を弾いたり、あるいは性的妄想に浸るときなどに、自分が女性の霊に影響されていると感じることがある。
 ときに、いわゆるハイ現象になって興奮の極地になって演奏することがあった。

 しかし厄介なことに、人間には「逆洗脳」もあって、私は小中学生のとき、同級生の朝鮮系ヤクザ子弟からひどいイジメに遭って、PTDSトラウマを発症し、容易に鬱病を発症するようになった。それは、習性になってしまう。
 これは、現実世界から逃げ出したいという望みが、異世界の解放された自分の妄想を作り出し、現実逃避による虚構の自分を作り出してしまう結果を招いていた。

 例えば、「自分が美しい女性だったなら」、と妄想し、そのように思い込んでしまうようなことだ。
 これが「逆洗脳」として作用し、妄想世界に浸り込んでしまうことがある。
 PTDSは、いつでも現実逃避を作り出すのだ。
 私は、間質性肺炎→肺線維症になったとき、自分の将来が存在しないことを知り、ひどい鬱病を発症し、現実逃避の世界に入り込んだ。

 私は、実は男性である自分よりも、女性であったほうがしっくりくるという問題に、子供の頃から悩まされてきた。
 だから男性として結婚して父親になるというビジョンに、とうとう迎合できなかった。
 この年になるまで、一度も結婚せず、父親にならなかった理由の一つは、自分自身のパーソナリティにしっくりこないという問題がある。
 自分の精神性、価値観を振り返ると、女性であったほうが違和感が少ないのだ。

 まあ、私は蛇年生まれで、執念深い性格と言われてきたのだが、確かに、いつまでも問題を引きずってクヨクヨする内向的な性格に苦しんできた。
 自分は、父親になるよりも、母親になったほうが、向いているかもしれないし、男としての性欲よりも、女性的、受動的な性欲に憧れを感じる。
 かといってトランスジェンダーになってチンチンを切断するほどの勇気もないし、環境によって定まった男性としての観念に拘束されていることもわかっている。
 
 もしかしたら、私は、ごく単純な現実逃避に迷い込んでいただけかもしれないのだが、一方で、過去生に私が女性であった証拠が、少なくなかった。
 それは歩き方とか、感受性とか、孤立感とか、他人からの視線を意識するとか、さまざまだ。
 今では、今生でのトランスは諦めて、せめて來世、女性として生まれ子どもを産んで育ててみたいと思うこともある。

 しかし、このような性的自覚は、私の住む中津川市のような封建的社会では、嘲笑、迫害の対象になる。
 この土地では、普通の人と違うと判断されると、激しく迫害される。いわゆる常識人であることを強要される社会だ。言い換えると、「保守風土の社会」なのだ。

 住民は、トランスジェンダーを見ると、「人と違うことをやっている」と恐怖を感じて、心を閉ざして軽蔑し、排斥しようとする。
 誰もが、周囲にあるあらゆる存在を「理解可能なもの」としておかないと安心できない。新しいもの、異なるもの、違和感を感じるものを強烈に排斥しようとする。
 いわゆる異端者狩り=魔女狩りを行う社会であり、議員も、選挙で保守系だけが選択される。それは心が自由なはずの若者たちでさえ、そうなのだ。
 https://www.youtube.com/shorts/RD83xmUzAas

 まあ、トランスジェンダー法案が通ろうが、日本全体が理解できないものを排除する「魔女狩り社会」である現実は変わりそうもない。
 それは、神谷宗幣の参政党が大きく支持されるようになって、ますますそうなってしまったと私は感じている。

 参政党神谷の思想は、違和感による排斥を利用して、人々を一定の思想枠内に閉じ込めるものだ。
 「日本人である以上、天皇を戴くのは当然であり、天皇のために命を捧げる社会と共有すべき思想」
 これが参政党、神谷宗幣が我々に押し付けようとしている洗脳である。

 魔女とは誰を指すのか? それは違和感を与える人であり、トランスジェンダーであり、ホームレスであり、また共産主義者とレッテルを貼られてしまった人もそうだ。ヤマギシズムも同じだった。
 人々は、自分の教えられた価値観で計算できないものを異端者=魔女と決めつけて、排除するのである。

 たとえば、鬱病で精神不安定になっている者、学校や会社で虐められて解決の出口が見つからなくて絶望している者、社会秩序の強要に強い違和感を感じている者など、「みんなに従わない者たち」「思い通りに動いてくれない者たち」を意味する。
 彼らを理解し、連帯しようとする者は、たぶん滅多にいない。ただ排除しようとする者ばかりが日本社会を動かしている。

 阿川佐和子や有本香が、「共産主義」を攻撃し、地上の悪魔のように決めつけている姿を何度も目撃しているのだが、彼女らが共産主義の本当の意味を理解しているとはとても思えない。いどい無知蒙昧にしかみえない。
 彼女らは、ソ連や中国共産党崩壊の本当の意味をまるで理解していない。

 ただ「自由が束縛される体制」と洗脳されているだけに見える。マルクスの定めた「一党独裁」思想が、腐敗や人権弾圧問題の根源にあることを知らない。 民主主義を破壊する正体が官僚独裁主義であることに気づかない。
 現在の日本政治が、財務省の官僚独裁によって日本社会を破滅させていることにも気づかない。

 これは上念司や、堀江貴文、渡邉哲也もまったく同じだ。彼らは、自分の反共思想が、一党独裁共産主義とまったく同じ結果を招くことに気づいていない。
 彼らは、日本社会がソ連や中国と同じように、官僚制度によって破壊され国民が窮乏していることを理解できないから、完全にピントの外れた反共主義を口にするばかりで、何一つ問題を解決できない。

 彼らは、人間が洗脳されて生きていることを理解していないのだ。
 そして、その洗脳の根底に、儒教がもたらした「序列思想」があることにも気づいていないし、気づこうともしていない。
 「自分は他人より上だ」という高慢な思い上がりと序列主義が、彼らの反共洗脳をもたらしていることも、たぶん死ぬまで、死んでも気づかないだろう。

 人間に序列をつける思想、それが上の人間を畏敬し、下の人間を見下す差別ヒエラルキー社会をもたらしているのだが、それは、現実の人間性を反映することはない。
 見下される人々のなかに、優れた高貴な人間性があるからだ。真実を反映しない序列主義と社会体制を肯定するために、「洗脳」が必要になる。白を黒と言いくるめる虚構のことだ。

 人を差別せず、なんの先入観も持たず、目の前に現れた人に感謝し、連帯する無垢な心を持った人に、序列や差別を肯定するための洗脳が必要だろうか?
 「ホームレスは人間のクズだ、トランスジェンダーは異常者だ、セレブは凄い、共産主義者は破壊者だ」 などの先入観を洗脳されていない人には、そんな決めつけはなんの意味も持たない。
 洗脳された結果、はじめて意味を持つのである。

 「天皇は特別にエライ人だ」というのも100%洗脳である。それ以外の意味はない。
 天皇は、生物学的に、我々と何一つ変わりない、同じ人間である。だから、彼らが特別にエライ理由など、洗脳以外に存在しないのだ。
 その洗脳は、ホームレスをクズと決めつけるものと、まるで同じ意味しかない。同じ人間の、それぞれの姿なのだから。

 我々は、洗脳社会に生きていて、さまざまな価値観を先入観として洗脳教育されている。
 このことに気づかないうちは、人間が解放された社会は決してやってこない。
 人間は自由だ。誰も、何一つ変わらず、人生を謳歌し、カルマに従って生きるのだ。人間性を毀損すべき特別なものなど一切ない。


全体主義とウソつき社会、何が真実か?

2025年08月16日 | これから何が起きるのか?

 全体主義の定義とは?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 全体主義(ぜんたいしゅぎ、英語: Totalitarianism、イタリア語: Totalitarismo)とは、個人の自由や社会集団の自律性を認めず、個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想または政治体制である。対義語は個人主義である。

 政治学においては権威主義体制の極端な形とされる。通常、この体制を採用する国家は特定の人物や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く公私を問わず国民生活の全ての側面に対して、可能な限り規制を加えるように努める。
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 引用以上

 私の世代では、私自身、「戦後」がまだ生々しい、戦争遺体の回収さえ終わっていない8年後に生まれ、この時代の特徴としては、人々が地獄を彷徨うことを強要された「戦争」がなんであったのか? 何が間違っていたのか、人々の意識に鮮明に描かれはじめていた時代だった。

 もしも、「戦争を総括することのできた時代」を「戦後」と呼ぶなら、それは1960年ころまでは、はっきりと続いていた。
 幼い私が、戦争から命からがら帰還した両親に連れられて、当時の繁華街、大須や名古屋駅にでかけると、周辺には、「傷痍軍人」という物乞いがいて、軍歌を歌いながら、これ見よがしに、戦争で失った手足のない姿をさらけ出して金を乞うていた。

 当時、日本国民のだれもが、身内に戦争犠牲者を抱えていたから、通りすがりの市民たちは、彼らの姿を、まるで親族のように思い、涙ぐんで、なけなしの金を彼らに与えていた。
 真実をいえば、本物の傷痍軍人は少なかったが、そんなことはどうでもよかった。彼らが、手足を失って苦しんでいたのは事実だったのだから。

 私の子供時代、1950年代、人々には残酷な戦争が起きた本当の理由が、はっきりと見えていた。
 それは、日清日露戦争の戦勝以来、日本社会に根付いていた日本民族優越主義と全体主義であった。

 間違った政策や、理解のできない命令であっても、人々は権威ある者、権力者に従わねばならなかった。日本の人々は、ずっとそうしてきた。
 もしも納得できずに反抗し、我が道を行こうとすれば、「出る杭は打たれ」、激しく弾圧された。正しいと信じたことを主張すれば、その結果は、小林多喜二や大杉栄の運命が待っていた。

 日本には歴史的な「全体主義」が根付いていた。
 それは民俗学でいえば、家康の設定した「五人組制度」、明治以降、農村社会に定着した「結共同体」、都市部に定着した「隣組」などの上から与えられた「共同体」に加えて、「親族共同体」があって、地域社会や親戚同士で助け合うシステムが機能していた。

 こうした共同体システムは、生活の困窮から人々を救済する一方で、他方で、人々の行動や思想、価値観を強く束縛するものだった。
 とりわけ、神道と仏教、その習合などが、日常生活に戒律を持ち込んでいた。
 人々は、権力者の指示に従順に従う隷属的な価値観を強要されていた。

 維新以降、松下村塾生が国家権力を支配するようになると、山縣有朋が、それまで伊勢神宮の神主程度に見られていた天皇に絶対的な権威を洗脳するための社会的な工作を行った。
 
  2018-09-25 戦争責任…(4)日本を滅亡に導いた山縣有朋
 https://sawady07.hatenablog.com/entry/2018/09/25/173805

 天皇制国家の設計者・山縣有朋の実態・・・『象徴の設計』 2018年8月8日
 https://enokidoblog.net/talk/2018/08/29727

 2016.01.31「軍国主義」の原型はこうして作られた ~山県有朋という“絶対的権力者”誕生の瞬間
 https://gendai.media/articles/-/47478

 山縣は、全国の神社神道を「天皇制の宗教」として体系化しようとした。ランキング付けして、伊勢神宮を最高位に置き、天皇を宗教的に絶対権威と位置付けた。
 学校教育に、「修身=道徳」という科目を最上位に設定し、天皇を絶対権威として国民に崇拝する義務があると洗脳したのだ。
 https://mkbkc.forestsendai.jp/wp-content/uploads/2018/08/40b2bb5dab0a110b78a63dab333a1903.pdf

 この工作は大成功をおさめ、多くの無知な人々が、「天皇様のおかげで日本国民が生きていられる」と信じるようになった。
 まさに「天皇制全体主義」の完成であり、こうした価値観の統一を前提にして、「日本人は優秀なのだから、世界の支配者になるべき」と教えられ、無謀な戦争に突入していったのだ。

 なんで、こんなことをブログにしているのかというと、山縣有朋のマネをしている神谷宋幣という人物が登場し、現在、劇的に日本を全体主義化しようとしているからだ。
 https://note.com/booskanoriri/n/n7b726987aa2c

 少なくとも、私の生まれた時代、1950年代~60年代に、神谷宋幣が登場して同じことを主張したなら、戦争の惨禍を思い知らされていた日本国民は、絶対に許さなかっただろう。
 当時は、日本軍の横暴さと人命軽視に激怒させられながらも、何も言うことができないで悔しい思いをしていた人たちが、寄ってたかって神谷のような人物を激しく攻撃し、かれは日本社会から追放されたにちがいない。

 全体主義の本質をいえば、私の時代では「ファッシズム」という思想であり、これは、国民が一丸になって同じ目標に向かって突っ走ることを意味しているのだが、その根拠は、「国民が優秀だから」ということで、別の言い方をすれば、「選民主義」とか「優越主義」とかいうことになる。

 「自分たちは優秀なのだから、何をやっても許される」という傲慢な思い込みこそ、ファッシズム=全体主義の本質といえるだろう。
 ちょうど、アシュケナージユダヤ人たちが、「優秀な自分たちが世界支配をするべきだ」と思い込んでいるのも、同じ理屈である。
 パレスチナの先住民を皆殺しにしても、自分たちがイスラエルに住む権利があると思い込んでいるのも、まさにファッシズムの典型である。

 神谷宗幣=参政党は、まさに戦前の全体主義を再構築しようとしている。
 2025.07.29やはり参政党・神谷宗幣の哲学は「ヒトラーの考え方」に酷似している…グローバル資本を「悪魔化」する「わかりやすさ」の危険性 朝香豊
 https://gendai.media/articles/-/155377

 私にいわせれば、朝香豊のグローバリズムも、新自由主義という全体主義の一種であって、人類を滅亡に導く思想以外の何物でもないのだが、その朝香から見ても恐怖を感じるほど極端な全体主義が神谷の思想である。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6209508.html

 それが、参院選で、突出した得票を獲得し、この現象に恐怖を感じている人が多いことが、上の朝香の記事に見えている。
 https://diamond.jp/articles/-/370409
 神谷は、天皇制絶対化を復活させようとしている。再び、天皇を神に祭り上げようとしている。それは、山縣有朋の再来といっていい。
 神谷宗幣は、山縣有朋の生まれ変わりなのか?

 だが、山縣の時代と、神谷の時代では、全体主義を成立させる土壌がまるで異なっている。
 明治時代は、情報量がひどく少なかった。得られる情報は、日常的な人間関係の会話、学校教育、ラジオくらいしかなかった。
 ただ儒教的な秩序が生き残っていた時代なので、親や先輩、教師、地域の権力者の話を真に受ける人が多かった。

 今は、テレビのようなメディア情報に加えてネット情報という莫大な情報の洪水に翻弄されている。
 私は、参政党の躍進の本当の理由は、メディアとネット情報の洪水のなかに溺れて、本質を見失ってしまった人々が、軽々軽薄なポピュリズムに流されて、見せかけの利益を掲げた参政党に迎合してしまったと考えている。

 簡単にいえば、大衆は莫大な情報を整理したり分析したりすることを放棄し、目先の分かりやすい=安易な興奮に溺れてしまった。
 ヒトラーが、第一次世界大戦の賠償に困窮させられた時代、ヒャルマル・シャハト経済相のアウトバーン建設による大成功の上に乗って、経済が劇的に回復したとき、大衆の軽々軽薄な優越感と興奮を煽りに煽った結果、民族ぐるみのファッシズムに突っ走ったのに似た、浮遊感現象が起きているように私には見える。

 これで、もし日本社会が、トランプ独裁や中国共産党独裁、プーチン独裁に勝利して、国家的優越感に浮遊したなら何が起きるのか?
 それは、日清日露戦争の戦勝に興奮し、酔いしれた人々が、日本全土を提灯行列で席巻した結果、国家的狂信、優越感の浮遊に至った時代が再現されるのではないかという恐怖さえ抱かせる。

 それこそ、ファッシズム戦争の再現をもたらすことになってしまう。
 だが、大衆を浮遊させる興奮がもたらされたとしても、今の情報社会の底は浅い。明治時代のように、国家主義に洗脳されきった人々の時代ではない。
 
 今、財務省のクズ官僚たちを追放して、消費税を廃止させたなら、まるで第一次大戦後、疲弊しきったドイツが復興を遂げたのと同じ、全国民的興奮と浮遊が始まり、それを参政党が主導するとすれば、日本は再び、戦前のような全体主義国家になる可能性がある。

 天皇制に主権が戻され、悠仁君のように人間性が欠損した若者が天皇に就任し、再び独裁国家が成立するとすれば、それは恐ろしいことだ。
 まあ、悠仁君は養子秋篠宮の子なので、皇統資格は愛子ちゃんに戻されると思うが、そもそも、天皇といえども、我々と何一つ変わらない生物学的本質が特殊な権威を帯びることの合理性、正当性など存在しないのだから、天皇制が廃止されることだけが、唯一の正当な結末である。

 ダブススタンダードの天皇歴が押し付けられ、我々が、どれほど迷惑しているかについて、ちゃんと物言える社会がやってくることだけが、我々の希望である。
 そこに神谷宗幣が登場して、天皇の超越的権威を押し付けてくるなんて、私でさえ想像もしていなかった。
 まして、悠仁天皇なんて事態になったなら、とてつもない恐ろしい社会になってしまうのだ。この意味を理解できるだろうか?
 


危険な生活

2025年08月15日 | これから何が起きるのか?

 今日は、現代ビジネスに梨本野宮方子の記事が出ていたので、それを紹介しようとも思ったのだが、私の知る方子に関する情報が、あまりにも巨大で、現代日本にとっても深刻なので、何か特別な切り口を見つけて、系統的に書くことにした。
  https://gendai.media/articles/-/156138

 ちなみに、李方子の4子(5子?)といわれる横田早紀恵さんを見ていると、母親の方子さんの人間性の素晴らしさ、品格も伝わってくると思う。
 https://livedoor.blogimg.jp/hirukawamura/imgs/1/e/1ef1c856-s.jpg
 いずれ、まとめて方子さんの、物凄い運命と高貴な人間性を紹介するつもりだ。

 今回は、羅臼岳で起きたヒグマ襲撃事件から、これから野生動物との共存をどうするのかを問題提起したい。
 
【捜索再開】クマに襲われて安否不明の20代男性 両足の太もも付近から大量出血か 北海道羅臼岳 8/15(金)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/95c3a85718fee81b9c5db0a5ccb53b43839db377

 北海道知床半島の羅臼岳で、クマに襲われた20代の男性の捜索が再開しました。
 14日午前11時ごろ、羅臼岳の斜里町側で、友人の男性と2人で登山中だった20代の男性がクマに襲われました。

 警察によりますと、襲われた男性は友人の200メートルほど先を歩いていて、友人が突然、自分の名前を叫ばれたため駆け寄ったところ、男性がクマに襲われ、抵抗しているところを目撃しました。
 男性はそのままクマに登山道の脇の茂みに引きずり込まれ、その際、両足の太もも付近から、かなりの出血があったということです。

 現場は標高約550メートル付近とみられ、警察やハンターが15日午前5時半から男性の捜索を再開しています。
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 この原稿を書いている、15日敗戦記念日の昼までに、まだ彼は発見されていない。

 私は、100名山を完登する目標をたてて、1970年ころから、20年くらいかけで日本全国を歩き回り、1990年ころ、一応の全山踏破の目標を果たした。
 北海道は、五回くらいに分けて歩いたが、最初に登ったのは恵庭岳で、最後はトムラウシだったかもしれない。古い話なので正確に覚えていない。

 北海道の名山潰し旅で、思い起こすのは、ほぼすべての山にヒグマの影がちらついていたことだ。
 恵庭岳も、山頂付近にヒグマ独特の獣臭が漂っていて薄気味悪かった。
 ヒグマが滞在した空間には、独特の獣臭が残る。とりわけ強かったのが、斜里岳と幌尻岳、そして夕張岳だったと思う。

 これらの山には、整備された登山道がなくて、多くは沢登りを強いられる。歩行距離も本土の数倍の長さで、人も少なく、登山道沿いにヒグマ臭を感じる場所が多かったので、いつでも恐怖を感じていた。

 十勝岳では、ホロカメットクに向かう縦走路を歩いていると、バケツをひっくり返したような熊糞が次々に出てきて、緊張しながら歩くと、山頂付近で、牛ほどの大きさの金色漆黒に光輝く熊と出くわした。

 彼は、目が合うと笹原を静かに下っていったが、そのとき、笹がまったく音を立てなかったことに驚かされた。
 なお10歳以上の成獣は漆黒になるが、陽光を浴びると、毛皮がワックスがけしたように、きらきらと金色に光り輝く。これを「金熊」と呼ぶらしい。
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828612.html

 トムラウシでは、山頂小屋の近くで藪に入って用を足そうとしたとき、まるでふいごのような低い音が聞こえた。
 「クマが近くにいる!」と私は驚き、出すべきものが引っ込んでしまって、私は逃げ帰った。

 今回、非常事態に陥っている羅臼岳では、登山道の右手、下の方の沢筋で、ヒグマが鹿を食べている現場に遭遇した。たぶん、今回登山者が引きずり込まれたあたりだ。
 クマは赤毛だったので、3歳くらいの若い個体だろうと思った。若い熊は人間を怖がらないので、トラブルを起こしやすいのだ。

 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6078361.html
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6080201.html

 私は、このニュースを聞いて、心胆寒からしめるものだったのだが、その最大の理由は、最後の命綱と信じてきた、熊対策スプレーが約に立たなかったという記述だ。スプレーをかけても逃げなかったという。
 これには少しビビッてしまった。

 私は、永久に治らないで悪化する一途の持病、間質性肺炎(肺線維症)にかかっていて、呼吸トレーニングをしなければ、すぐに息切れを起こしてしまう。
 だから、週に4~5回くらいのペースで山道を歩いている。
 歩くルートは人が敬遠する「クマ出没」警告看板の出ているところばかりで、この5年で数回程度遭遇している。最近も糞を確認した。

 特にクマが多いのは、笠置山の瞑想小屋ルート、二ッ森、保古山西などだ。
 こんな山道を歩くとき、私は、①ダブルストック ②小型ハンドベル ③熊スプレー ④爆竹 などの対策グッズを持参している。
 実は、我が家の裏山の果樹園やブルーベリー栽培所などにもクマがよりついていて、たまに目撃情報が流れ、敷地内で獣臭が漂うこともある。

 私としては、クマと遭遇しても、首からぶら下げている熊スプレーに望みを託して信仰していたのだが、今回の羅臼岳襲撃事件では、それが効果をあげなかったことに大きなショックを受けた。今は、もうスプレーなしでは山に入れないほどなのに。
 岐阜県の山という山、森という森には、すべてクマが居ついている。
 
 私は、いつか、こんな日が来ることを20年くらい前から予感していた。
 それは、2007年のリーマンショックのときだ。このころ、私の住む中津川市では、突然のように、田畑が獣たちに荒らされるようになった。
 それまで、田畑に獣害対策など見たこともなかったのに、突然のようにイノシシが爆発的に増えて、イネや大豆まで食い荒らすようになった。

 2009年になると、獣害対策をしない田畑では農作が不可能になった。ほぼすべての田畑に、ワイヤーメッシュによる防壁が設置された。
 もちろん、我が家でも同じように、ワイヤーメッシュで敷地を囲った。
 イノシシやカモシカが畑に入ると、結構な量の作物が1時間も経ずに消えてしまうのだ。最近では鹿も増えてきた。奴らはヤマビルを置いてゆく。

 私の住む蛭川は、笠置山とつながっているので、熊の出没が多い。すぐ上のブルーベリー畑のフェンスが叩き壊されて大量のブルーベリーが食い荒らされた。
 どうして、2007年を境に、急激に野生動物の進出が多くなったのか?
 このころから、山に入る人が急に少なくなったのだ。言い換えると、過疎化が急激に進行した。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6142617.html

 山の手入れが大きく減ったので、野生動物が住みやすくなった。
 私は、福岡町、高山大橋の少し上で、幼稚園児がバスを待っているすぐ脇に全身光り輝くクマがいるのを見つけて言葉を失った。
 ここには、老齢化で放棄された大きな栗と柿の林があった。

 このとき、私は若者を追放した過疎の田舎町の未来が鮮明に見えた。
 「金がすべて」の新自由主義社会が日本を席捲し、自民党・維新・公明党・立憲・国民まで、竹中平蔵ビジョンの洗脳を受けて、田舎社会を追放しようとしている。
 とりわけ、立憲の米山隆一の、過疎地方の廃止を示す論説にはショックを受けた。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6114659.html

 熊が増えて人間生活を脅かすようになった最大の原因は、このような地方軽視、切り捨て論の成果である。
 若者たちが住みづらくなったことが、そのまま熊被害の増大をもたらしている。

 私は、北海道や秋田県の熊被害を見て、ある程度の熊駆除は、待ったなしでやむをえないと思っている。可哀そうとかの問題ではない。
 このまま放置すると、交通事故並みの死傷者が出る事態は避けられないからだ。交通整理は必要である。

 カモシカも増えすぎているが、まだ害獣とレッテルを貼るには気の毒な気がする。そのうち、ヤギと交配して、生物草刈機として利用する時代が来るかもしれないと思っている。
 私は、山でカモシカと友達になっているので、情が移ってしまって駆除という感覚が理解できないのだ。

 ただ、人間の側の問題として、過疎地方に住む人が少なくなっていることが、クマなど野生動物激増の最大の理由であることは間違いのない事実であり、自然の秩序を回復するには、山岳境界、過疎地方に若者たちが生活することが問題解決の基本だと確信している。

 このままでは、熊の出る過疎地方が中国人に買い占められ、大量の中国人が移住してくるが、彼らは、動物虐待の習性を持っているので、野生動物被害を軽減することに役立たない気がする。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6209273.html

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250727/k10014875711000.html
 この事件は、日本の野生動物を捕獲して肉を販売する計画で、カモシカを捕獲しようとした、中国人、ベトナム人がカモシカを怒らせたという噂がある。
 中国人は徹底した利己主義なので、彼らを過疎地域に住まわせても、よい結果にはならない気がしている。


白骨街道

2025年08月14日 | これから何が起きるのか?

これは「インパール作戦」のことで、今から約80年あまり前の話だ。
 国鉄の機関士だった私の父親が、三河地区から徴兵されて、中支戦線からビルマ戦線に転戦し、インパール作戦に従軍した。新潟から嫁いだ母と結婚し、名古屋市覚王山で一緒に暮らし始めた直後のことだった。

 父は、幸い奇跡的に帰還することができたが、父の所属した大隊(たぶん第15師団、名古屋師管区)で、3000名のうち帰還者は100名に満たなかったと言っていた。
 以下の証言は、今年105歳になる元兵士の証言だ。父は1923年生まれなので、この人より3歳若かった。しかし、太平洋戦争に徴兵されて、最も苛酷な運命を生きた同じ世代だ。

 この世代の人たちは、亡くなった戦友の分まで、しっかり生きねばばらないと決意した人が多かった。
 地獄の戦場で鍛え抜かれた精神力には、みんな凄みがあったと思う。

 【特集】戦後80年 “白骨街道
”生き抜いて インパール作戦参加の105歳元兵士 「生きることがモットーだった」 ≪テレビ新潟≫ 8/13(水)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/3689b1b61e4017cdc7aa8f2c9c52de19c58b8047

 日本軍が3万人の死者を出したインパール作戦から生きて帰った105歳の元兵士の証言です。

【動画で見る】「白骨街道」生き抜いて インパール作戦に参加 105歳元兵士の証言
 https://www.youtube.com/watch?v=_08qq3MV5ew&ab_channel=TeNY%E6%96%B0%E6%BD%9F%E4%B8%80%E7%95%AA%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

 飢えと病で兵士が次々と倒れ、「白骨街道」と呼ばれた撤退の道。戦禍の記憶を物語るのは、消えない傷跡と「命の恩人」と呼ぶ中将の存在です。

 ◆傷跡が語る「白骨街道」
 インパール作戦に参加した当時は20代前半。あれから80年以上が経ちました。
 105歳の元兵士、佐藤哲雄さんです。脚には飛行機の砲弾で受けた深い傷跡が残ります。
 (佐藤哲雄さん)
 「砲弾を出すための間、病院がないものだから20日か1か月も経ってやっと病院に行って出したんだ。その代わり砲弾が腐ってここまできた」

 作戦は失敗し、撤退戦も凄惨を極めました。
 (佐藤哲雄さん)
 「死んでる死んでる!撤退する時だってコヒマから撤退する時だって弾丸に当たって死んだ人もいるけれど栄養失調で亡くなった人がいっぱいなんだ。食うものがない、なんでもいいから食うから下痢を起こしてマラリアになる。だからインパール街道は白骨街道になってしまった」

 ◆「生きて帰って国を守れ」
 高田歩兵第五十八連隊に所属(前列右が佐藤さん)
 新潟県の最北部にある村上市の山北地区。佐藤さんはこの場所で生まれ育ち、戦場へと旅立ちました。
 “赤紙”の召集を受け、新発田の歩兵第十六連隊に入ったのは20歳の時。翌年から高田歩兵第五十八連隊に所属。1944年、インパール作戦に参加します。

 新発田を発つ前、上官から受けた訓示はいまも覚えています。
 (佐藤哲雄さん)
 「“死ぬばかりが国のためじゃない。死んでは国は守れない。生きて帰ってきて国を守れ” これが最後の訓示だった」

 ◆物資補給で「無謀」 インパール作戦
 インパール作戦は、ビルマを占領した日本軍が連合軍の拠点だったインド北東部の攻略を目指した作戦です。
 武器や食料など物資が考慮されず、いまでは「無謀な作戦」とされています。
 戦死者は3万人。日本軍が撤退した道には多くの遺体が残され「白骨街道」と呼ばれました。

 「インパール作戦みたいに負け戦になると人間は固まって逃げるようになる。1人では心細いから、2人、3人と固まる。これはダメなんだ。戦車でも飛行機でもそれを追っかけていく。固まるな、固まるなと俺は指導していた」

 佐藤さんは当時、伍長。かつて上官からもらった言葉を部下に伝えていました。
 「自分が指揮している人に戦死者はいない生きることをモットーに指導していたから」
 しかし襲ってくるのは敵軍だけではありません。

 「みんな熱を出してふらふらして歩いているわけだ。ハゲタカがその元気ない人に 追突してくる。“エサ”を獲るために。倒れた兵隊の上にのしかかって殺されてしまう」

  ◆中将の「抗命」で救われた命
 佐藤幸徳中将(庄内町立図書館所蔵/1930年に岡山県で行われた陸軍特別大演習。当時は陸軍少佐)
 日本だけで死者310万人と言われる太平洋戦争。

 「インパール作戦が始まってから勝てる見込みはないと思ったな」
 山形県の庄内町「乗慶寺」に、佐藤さんが「命の恩人」と呼ぶ人の追慕碑があります。
 佐藤幸徳中将。佐藤さんが所属する第31師団を率い、軍司令部から物資の補給がなかったことから独断で撤退を決めた人物です。

 インパール作戦について中将は「大失態」、「実行不可能」と、批判的に述べています。
 中将が撤退を決めたことは軍に逆らった「抗命」とされ、評価が分かれる面もあります。しかし将軍に感謝する元兵士たちが追慕碑を建立し、「撤退決断により生かされた我ら」と刻みました。

 ◆2年近い抑留経て帰国 父からは…
 「“お前たちはこうして剣術の稽古をしていて大変、大変大事なことだ。ただし、たまにはあの向こうに流れている川で釣りでもして、心を癒しておけ”。
 こういう言葉をかけられた。偉ぶらない人だった。親とか友達みたいな喋り方だったな。軍隊式みたいに、偉い人が話すような、そんなしゃべりではなかった」

 1944年6月に撤退は始まり、佐藤さんはバナナの根を食べるなどして飢えをしのぎなら命を守りました。
 終戦後は2年近い抑留を経て、帰国を果たしますが、父からは冷たい言葉を浴びました。
 「帰ってきた時は、親父から“負けてきたような兵隊は来るな”と言われた」

 ◆「白骨街道」生き抜いて
 戦後は農業や林業に就いた佐藤さん。
 保管する古びた紙には軍歴が連なります。戦犯とされることをおそれ、公にできるまで時間がかかりました。

 (佐藤哲雄さん)
 「いまは時代が流れ、変わったからいいけれど、当時は長く(戦争に) いたなんていうと、ああだこうだいう人がいた。ずっとこういう戦争はしないようにしてもらいたい」

 戦後80年。白骨街道を生き抜いた元兵士は、過酷さを伝える貴重な証言者です。
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 引用以上

 インパール作戦 ウィキ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6

 1944年3月より、同年7月頃まで約4か月間の作戦。
 作戦を立案し、実行したのは、牟田口廉也中将だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F

 牟田口は、後の戦争評論家たちから、日本軍史上最低最悪の司令官と評された。
 彼の特異性としては、「大和魂」が大好きな精神主義が挙げられる。彼は盧溝橋事件の主犯ともいわれた。
 インパール作戦で、ビルマからインパールに向かって3000mの峻険な山脈を10万人の兵士が超えるのに、ろくな食料も兵器も兵站支援部隊も用意せず、ひたすら大和魂をけしかけて、兵士たちに無理難題を押し付けて、作戦を失敗に終わらせた。  
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5957588.html

  公式な戦死者は約3万人だが、餓死、病死者を含めれば、犠牲者はその2倍に達するという評価もある。日本側の動員者は約10万人といわれた。
 それは、ガダルカナル作戦と並んで、太平洋戦争史上最悪の戦いだった。

 傷口からダラダラとウミを流す者、手榴弾で自決する者…“白骨街道”と呼ばれた“地獄のインパール撤退戦”《兵士の証言》
 https://bunshun.jp/articles/-/72335

 上に紹介した、佐藤哲雄さんの所属は、高田歩兵連隊で、第31師団所属。
 司令官は、佐藤幸徳中将、彼が、最初に牟田口指揮官の愚かさを見抜き、作戦の失敗を確信して戦線離脱を決定した。
 当時は、軍部から独断で戦線離脱を果たし、反逆者の扱いを受けた。彼の指揮下にあった日本海側の部隊からは生還者が多く出た。

 父親は、もっとも犠牲者の多かった15師団だったが、父は少しだけ英語が話せたおかげで、初期に通訳としてインパールの英軍と交渉にあたり、そのまま拘束され捕虜になったおかげで、生き延びることができた。
 1年以上拘束され、まるでナチスの生き残り囚人のように骨皮筋衛門となって舞鶴に帰還することができた。
 60㎏あった体重は、30Kg以下に減っていたという。

 父が、老人ホームに入ってから語ったことだが、当時の陸軍は、部下を殴ることをコミュニケーションと勘違いした上官が多くて、父が蒸気機関車運転免許を持っていたことや、英語が少しだけ話せたことで、上官から妬まれ、殴られたことが多かったという。頭を殴られて気を失うことも珍しくなかった。

 後に、父が老いて認知症になった理由の一つが、軍隊でさんざん殴られたことだったと私は思う。脳挫傷を起こすと、年老いてから結果がやってくる。
 軍隊では、「生意気だ」という言葉を「しゃらくさい=洒落臭い」と言い換えることが多かった。その方がダイレクトな感情が薄まり、かっこいいと思ったのだろうか?

 父は私を叱るときも、よく「洒落臭い」を連発した。
 儒教の序列主義の価値観のなかで、自分より格下、目下だと思った相手が、自分より価値の高いことと評価されるとき、人は生意気=洒落臭いを多用するのだ。
 ちょうど、韓国人にとって、日本人は自分たちより格下であり、見下すべき人間と信じている者が多い。それが、自分たちより上の生活をしていたり、価値あるものをもっていたりすると、優越感が棄損されて「洒落臭い」という感情になる。

 儒教というのは、人間をランキング付けするヒエラルキー社会なので、序列が下の者が、豊かだったり、優れたりしていると激怒してしまうことになる。
 日本人は、序列より人情を優先する人が多いので、朝鮮半島のこの価値観はわからないだろう。
 父が徴兵された日本軍も、ヒエラルキー社会の典型で、まさに儒教組織だった。

 「生意気=洒落臭い」という表現こそ、ヒエラルキー社会の代名詞であり、本質的な価値観だと私は思う。
 この言葉を持っている人は、儒教の序列思想に毒されている人であり、他人を見下すことを、人生のモチベーションの根源に置いてしまった人だ。
 我々は、次の世代に対し、生意気という言葉の意味を、否定的に伝えてゆかなければならないだろう。

 私個人の体験でいえば、母親が新潟美人だったことで、学校でいじめられる原因になった。母が美人であることは「生意気」だったのだ。
 父は優秀だったことで、脳を損傷するほと殴られる原因になった。
 これがヒエラルキー社会なのだ。

 インパール作戦の最高司令官、すべての責任を負うべき牟田口廉也は、動員された10万人の兵の大半が死亡した責任を負う立場だが、彼は、連合軍に投降し、生き延びた。A級戦犯にもならなかった。
 牟田口は、作戦の失敗を、「兵に大和魂がなかったせいだ」と自己弁護を続けた。
 1966年まで生き延びた、この男の死を追悼する者はいなかった。