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精神科医師のブログ。
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11月14日を「いい医師の日」に。その4

2009年11月08日 | Weblog
「いい医師の日」は「いい医療を考える日」でもある。

医療をたまにしか利用しない人も、毎日のように利用している人も、よりよい医療とは何かを考えることを通じて、死や老い、健康やいのちのあり方について日頃から考えておくことは大事なことだ。
それは、よりよく生きて死ぬことにつながるだろう。

我が国の医療や福祉にかける予算自体が他の先進諸国に比べても少ないが、医療のコスト(30兆円というパイ)の中での配分もいびつだ。
コストの多くが直接的なケアや人ではなく、検査機械や薬など医療の周辺産業にやや流れすぎている現状がある。

薬や各種検査や高額の医療を充実させるかわりに、直接的なケアや医学的知識の普及にお金を重点的に回すほうがトータルのハピネスには貢献しそうだ。

知識や知恵を持つものはだまされない。
そのためには市民が医療の有用性や限界性を医療従事者と共有する必要があろう。
健康情報をみきわめ、医療と上手につきあう力、メディカルリテラシーを身につけることが必要だ。

パートナードクターやファミリードクターを持とうと呼びかけられている。
気軽に相談できる医師をもっておくことで、いろんな科の様々な医療や医師へのコンタクトが容易になる。
医師とは医学情報や技術、自分の体の調子、高度な医療、社会などと自分を結ぶのメディア(媒介者)なのだ。

精神医療の世界には「精神医療ユーザー」という言葉がある。
医療者にお任せではなく、主体的に医療を使おうということが見えてとても好ましい。
精神病の患者さんは自分の考えたこと、感じたことを一生懸命訴え、フィードバックを求めてくる。
こうなってくると医師も自分と社会とを結ぶメディアの一つともいえるし、自助具の一つであるともいえる。

メディアは監視しておく必要があるし、道具は常日頃から磨いておく必要がある。


そこで「いい医師の日」にあたって2つの提案がある。

一つは医学をもっとみんなのものにするきっかけとするいうこと。
医療者も地域での講演会や健康を考える会などで住民との対話につとめてはいる。
しかし「おもいっきりテレビ」のみのもんたや、「本当はこわい家庭の医学」のビートたけしなどバランスのわるい、時には間違った情報が広まりがちである。
学校教育の中でも、健康や医学的知識については保健体育という授業のみである。
これではいけない。
できれば学校教育のなかに「雨の日の保健体育」ではなく、もっと若い頃から、保健や福祉、医学を制度や社会のあり方まで含めた教科(たとえば人間科)をしっかりと根づかせるべきであろう。
その第一歩としていい医師の日を、公開講座や出前授業、意見交換会をおこなうなど医療者と市民との交流を持つ機会とするのはどうだろう。


二つ目はしっかり考えて医療をえらぶことで、よい医療を育てていくということ。

医療のあり方を考えるきっかけに、普段お世話になっている医師にハガキを送っていい気分にさせて(安く)こき使おうというアイディアはどうだろう。
柏原病院あたりのキャンペーンがヒントだが、最終的には医師を登録(投票)して(中心となる医師(主治医)1人と専門医必要数)、その登録に応じた報酬などもありかなとも考える。
(フリーアクセスは制限せず。)

・・・ちなみに報酬は「ありがとうハガキ。」だけ。

それでも患者さんからの一言は医師のモチベーションをあげるのに絶大な効果がある。

医師の中にはもちろん金銭がモチベーションとなる人もいるだろうが、仕事から生まれるやりがいをモチベーションとしている人のほうが多かろう。金銭をもとめる人には、もっと効率のよい仕事はいくらでもあるから。

選挙のときにあわせて、あまり良く知らない裁判官の投票もあるくらいだから、そのくらいやってもバチはあたらないだろう。
お互いに医師患者のパートナーシップを強めるきっかけになると思う。
そのコストを国や地方自治体が負担するとしても対してコストもかからないだろうが効果は絶大であろう。

(おわり)


11月14日を「いい医師の日」に。その1
11月14日を「いい医師の日」に。その2
11月14日を「いい医師の日」に。その3