高橋幸宏さんの訃報でこんなことを思い出した。
それは桑田佳祐さんの「ILOVEYOU〜now&forever〜」ツアーで「波乗りジョニー」の前に何故か故西城秀樹さんの「ヤングマン」を歌うんだけど、途中の「YMCA」のふりで「YMO」では片山さんがドヤ顔で「ライディーン」のメロディーを演奏し、スクリーンに「高橋幸宏さん、還暦おめでとうございます」と出て、「YAZAWA」の時は自身もサポートメンバーだった深町さんが「止まらないHaHa」で客席がタオル投げ!!「YUMING」では金原さんがアホの子丸出しボイスで「恋人がサンタクロース」を熱唱の後で「波乗りジョニー」のイントロが流れて盛り上がるというもの。
ちなみに桑田さんと幸宏さんは仲良しで、彼の病気療養中に奥様の原由子さんと夫婦連名で「偉大なる尊敬する高橋幸宏様。大好きなゆったんに逢いたいなあ!!お帰りお待ちしておりますので。佳祐由子」と書いたメッセージカードを送り、幸宏さんのインスタに掲載されていました。
桑田さんのメッセージカードの願いは叶いませんでした…。
SNSではYMOを聴いた世代のお悔やみメッセージがいっぱい掲載されていました。
水木しげる氏の娘の原口なおこさんがアニメ以外のLPレコードで初めて買ったのがYMOだったとツイートしていました。ちなみに私はサザンの「人気者で行こう」です。
私はいわゆる「YMOチルドレン」世代で、彼らを初めて知ったのは昭和55年の小学4年生の時でした。
アニメが好きで田原俊彦さんを王子様だと思っていた私はYMOの音楽を聴いたときカルチャーショックを受けました。
テレビの音楽番組よりバラエティ番組には喜んで出演し、「ひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」のエンディングの大騒ぎの中でしれっと登場し「ミュージック・フェアのスタジオはどこですか?」とたずねるもの。
このほかに3人で「トリオ・ザ・テクノ」なる漫才トリオで登場したり、時代劇コントもやっていました。
幸宏さんに関してはサディスティックミカバンドの再結成時は高中正義さんと桐島かれんさんの3人で取調室コントに飛び入り出演していました。
昭和60年以後番組が終わるまで夜のヒットスタジオの本番とひょうきん族の収録日が同じ水曜日で、夜ヒットの本番前にひょうきん族の収録の見学をしていて大江千里さんのように無理矢理コントに飛び入り出演させられたこともありました。
You Tubeには取調室コントのはないんですよ…。モジモジ君のはあるのに。
幸宏さんの訃報以後急に音楽の配信サイトで「ライディーン」の2バージョンと「君に胸キュン」とサディスティックミカバンド再結成時の「ボーイズ&ガールズ」をダウンロードしてしまいました。
幸宏さんはYMOの良心的存在で、特に坂本龍一さんはダサい服装だったのをスタイリッシュなものにし、教授というニックネームの考案者でもあります。
教授もがんの末期で今日の誕生日に新しいアルバムが出ました。
YMOの最高傑作のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」はCDがAmazonで高値が付いています。原口なおこさんが買ったのもこのアルバムでした。
「ライディーン」はドコモの携帯電話の着信音の定番で、私が初めて持った携帯電話がF207で、人気のPやNのように着信音が作れない機種でしたがしっかり「ライディーン」が収録されていました。
片山敦夫さんがどや顔でキーボードを演奏していたのが懐かしいです。
「ライディーン」は高橋幸宏さんの最大の遺産です。
高橋幸宏さんのご冥福をお祈りします。