Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

だみ声

2009年09月26日 | Weblog
あるとき娘が、
「大阪弁はだみ声になりやすいんだって」
といった。

そうかな?
とちょっと考えた。

だみ声の友達の顔が浮かんだ。
たしかに、大阪弁だ。

私も大阪弁のときののどの使い方が
ちがうかもしれない。

「そう・・。
そうかもね。
京都弁だと、だみ声にならないかもね。」

みんながあてはまるわけではない。
私の大阪の友人には、きれいな声や
やさしい大阪弁の人もいる。


今週、月曜日に大船の商店街をあるいていたら
すごく威勢がいい女性のだみ声がきこてきた。

魚屋さんである。
パナバ帽子をかぶって、濃い目のお化粧をしている。
お客さんと掛け合いながら、
魚を売っている。

「魚屋さんは、だみ声でなくっちゃ・・。」

生まれ育った商店街の魚屋さんのだみ声を思い出す。
活気があった、昔のことだ。

そういう風情が、懐かしい。
だみ声は、市場に必要なものである。


声が老ける

2009年09月26日 | Weblog
最近、のどが変だなあ・・。
とおもっていた。

声が低くなったというか、
発声練習をした後のような声が
でなくなった。

合唱の練習やカラオケで
うたったあとはあきらかに
ちがう。

今は、自分ののどがなにかいやだなあ・・。
とおもっている。
のども太って声帯が狭くなったのだろうか?
肥満でひょっとして、無呼吸になっているんじゃないだろうか?

いろんな想像をしている。

****

高校の先生で、美しい声の女性だった。
昨年、友人が
「先生に電話したら、おばあちゃんの声になっていた」という。

そのことばにびっくりした。
おばあちゃんの声になるって、どういうことだろう?
高校のときでも、そんなに若いわけではなかったので
私の頭では、あのまま、お年を召された姿しか想像できない。
声も、あの声で想像する。

声が年をとる、ということ。

その話をきいてから、いろんな人の声が気になった。
確かに、お年をとっても、若々しい声と
若くても、ふけて聞こえる声がある。

そういうわけで、もともと、声に自信がないのに、
これ以上、悪くなるのはいやだなあ・・。
と、おもっているのだ。

今さっき、合唱クラブにいたときのように
鏡をみながら、発声練習の「あ~」という声をだして
びっくりした。
発声すると、のどの筋肉があがる。
私って、のどの筋肉まで、たるんできたの!?
と思った。

最近は、カラオケにいっていないし、
家で、歌もうたっていない。
娘がピアノを休んでいるので
鼻歌さえしない。
友達とわいわい、おしゃべりすることも
少なくなった。

ああ、女の声は、しゃべっていないと年をとるのに
違いない。
うちの母は、お店だし、おしゃべりだし、おまけに唯一のお稽古が
合唱なので、声だけは、若いと思う。

のどの筋トレもしないと、おばちゃんの声になってしまうのね・・。
と思うと、ああ、忙しい。面倒くさい!
とおもってしまった。

ヨガで、いくら首をあげて、のどを伸ばして
若返りに効果があるといわれているポーズを
しても、声まで若く保つのは、努力が必要なのか?
ある意味、生活習慣なのだと思った。