車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

柳田國男ゆかりの町を歩く~Ⅰ~ in 兵庫県福崎町

2023年12月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

明治8年(1875)、田原村辻川(現福崎町西田原)の松岡家の6男として生まれた『柳田國男』。上京し東京帝国大学卒業後、農商務省などに勤めるかたわら各地を旅して、地方に残る習俗や伝承に注目し、【後狩詞記(のちのかりことばのき)】【遠野物語】などの民俗学への道となる書を著しました。

氏の故郷である福崎町には、國男氏自ら「私の家は日本一小さい家だ」と述べたという「県指定文化財:柳田國男生家」が残されています。

間口5間、奥行き4間、土間、3畳間と4畳半の座敷、4畳半の納戸、3畳の台所・・当時ここには両親と長兄鼎(かなえ)夫婦、國男、弟の静雄と輝夫(映丘)の7人が住んでいました。国男少年は、10歳くらいまでこの家で暮らしていたと言います。後に國男の母の実家がある加西市北条町へ移り、次に千葉県布佐へ移住することになります。

もとは辻川の街道沿いにあった生家は、昭和49年(1974)に国男少年にゆかりの「鈴の森神社」のそばに移築され一般公開されています。家だけを考えれば、日本一小さくは無いのですが、ここに7人の人間が暮らすとなると・・・日常のこまごま、あれこれを考えれば考えるほど、それは想像の域を超えます😔 

この肖像画は「鈴の森神社」に奉納された絵馬。上段中央左から「松岡鼎先生」「柳田国男先生」「松岡静雄先生」下段左から「松岡映丘先生」「井上通泰先生」。いずれも写真から描き起こされたもののようです。

柳田國男が子どもの頃によく遊んだと云う「鈴の森神社」。御祭神は『彦瓊々杵命(ヒコホノニニギノミコト)』配祀神『天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・太玉命(フトタマノミコト)』

「創建年代は不詳。社名に含まれる「すず」とは聖地の意味であるとされており、播磨鑑には大己貴命が峯相山より宍粟郡へ遷座したときに播磨の神々がここに集まったという記述がある。また、元々は現在の社地より北西にある古宮跡に神社があったという伝承がある。」現地案内より

松岡家ゆかりの神社として知られており、その関連から学業成就・合格祈願のご利益があるとされ、また、安産の神様としても信仰されているそうです。

開放的な拝殿の奥。本殿に続く神域の左右より守護される随身様。これほど全身がくまなく拝見できる配置は、かなり珍しいですね。

拝殿前より神域を守護されるのは耳垂れ浪花タイプの狛犬さん一対。国男少年はこの狛犬さんの背中に乗って遊んだそうですが・・・それはもうずっと昔の話なので、現代に生きる良い子は真似をしちゃいけません😅

【 うぶすなの 森のやまもも 高麗犬は 懐かしきかな もの言わねども 】

「町指定天然記念物:拝殿前のヤマモモの木」樹高約13m、幹回約3.3m。「国男は子供の頃、ヤマモモの木に登って実を食べようとしましたが、他の子どもたちが先にとってしまって一度も見た事が無かったと著書「孤猿随筆」に書き記しています。」現地案内より

「常盤 御前 都落の図」天保の作(約百五十年以前)で柳田国男が絵馬入りのハガキを使用し、使用ハガキは記念館に展示されている」現地案内より

神社の石段前より神域を守護されるのは仔取り・玉取りの狛犬さん一対。拝殿前の狛犬さんと比べると、もう少し後の奉納に思われます。

生家の側に建立された銅像と文学碑。

【 をさな名を 人に呼ばるる ふるさとは 昔にかへる ここちこそすれ 】

明治42年7月・國夫33歳の時。出石よりの帰り、辻川へ帰省した折 、幼馴染の友人たちに「くにおはん」と呼ばれて、その響きに少年時代を懐かしみ、故郷に残した一句だといわれています。

生家の東隣にある「柳田國男・松岡家顕彰会記念館」。日本民俗学の父とも呼ばれる民俗学者で福崎町名誉町民第1号の『柳田國男』をはじめとする、文学・民俗学・医学・美術などの世界で活躍した松岡家五兄弟の顕彰を目的として、昭和50年(1975)11月に設立されました。

館内には著作物、編集物(雑誌・刊行物)、原稿、書簡、葉書、机、卒業証書、御大典に着用した衣冠束帯などが収蔵されています。

柳田國男ゆかりの福崎町歩き、もう少し続きます。

訪問日:2014年12月6日

 


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2 コメント

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柳田圀男の項ではありますが (まっち)
2023-12-05 02:31:31
ついつい大己貴命に反応してしまいます。
播磨や但馬は大国主を祭る社が本当に多いですね。
今は近畿に含まれていますが、往時は出雲の勢力下だったんでしょうね?
国譲りとして神話に残り親子で七福神の二つを占める出雲の主神。
一方桃太郎伝説で鬼と比定されつつも巨大な前方後円墳が残り、奈良時代に吉備真備を輩出した吉備。
黒岩重吾が生きていたならこの辺りを独特の歴史観で小説化してほしいものですが…
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じつは・・ (tibineko)
2023-12-05 15:14:12
「黒岩重吾氏」の作品は「弓削道鏡」しか読んだ事が無いのです(^^;)
それも読んだという記憶だけ
タイトルも名前だけだったかしら?というあやふやさ😓

でもお名前だけ!は良く知ってます 😅
神話の世界を小説化する・・心惹かれますね
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