池田町から見る大天井岳、東天井岳、横道岳・・・と生意気にも固有名詞で書きましたが、実はどの山がそうなのか皆目わかっていません 😅 でも遠くから見る北アルプスの山並みは、本当に神が住まうに相応しい美しさです。
さて、池田町と言えば「てるてる坊主のマンホール!」と答えてしまう自分が悲しい 😓いわゆるマンホーラーの私。むろん、マンホールになるくらい有名な「てるてる坊主」、実に様々な場所に出没します。
「ようこそ信州池田町」のウエルカムボードには、とっても有名な「七色大カエデ」の写真の上に、可愛い「てるてる坊主」と「てるてる坊主のふるさと」の文字。
例えば「雨のしずく」に「てるてる坊主」が浮き彫りされたモニュメント。
何故こんなに沢山の場所で「てるてる坊主」に遭遇するのか?、実はここ池田町は有名な童謡「てるてる坊主」を作詞された『浅原六朗氏』の出身地。
町内には、彼の記念館「てるてる坊主のやかた」もあるのです。
氏の自筆による「てるてる坊主」の歌詞。幼かった娘と一緒に作った「てるてる坊主」を窓辺に吊るしながら、一緒に「てるてる坊主 てる坊~主 あ~した天気にしておくれ~」と歌った事がまざまざと思い出されます。
拝観を楽しみにしていたのですが・・・よくある「本日休館」😭の札に阻まれて、窓越しに見えた一部のみの紹介。
「池田町観光協会」の向かいに見かけた「産経新聞 池田販売店」。煙りだしの付いた大屋根が驚くほど大きくて、きっと由緒ある屋敷なのだろうと‥首が痛くなるほど見上げたものです。
観光協会の入り口に置かれていた「てるてる坊主」の家族。でもね、これ・・夜とか暗がりで遭遇したら間違いなく泣きだす自信がある😱
ことほど左様に池田町と言えば「てるてる坊主」なのですが、極めつけは・・・池田町会染にある「道の駅:池田ハーブセンター」の入り口近くに祀られる「てるてる地蔵尊」。
実はこの「てるてる地蔵尊」は、安曇野田舎暮らし相談所の会員の方が、さわらの巨木から制作されたそうで、傍らの碑には「人の心も世の中も 明るく照らす地蔵尊」と書かれています。
ところで、この足湯の手前にある水場に立たれているのは、一体何方なのでせう???うっかりして下の碑文を残していませんでした。こういうのって・・わからないと余計に気になるんですよね。
道の駅の近くにあるお食事処「龍門」。その片隅に、とても可愛い「握手双体道祖神」を発見。見た感じから熟年の男女神でしょうか?。おだやかな顔に気持ちが和らぎます。
道祖神と言えば、池田町池田、八幡神社境内に「握手双体道祖神」「大国主尊:文字碑」。珍しいなと思ったのは「大黒天」でなく「大国主尊」だった事。
石に刻まれた寄り添う二人の表情は、長い長い年月が朧にしてしまいましたが、しっかりと重ねられた手には確かな愛が感じられます。
「大黒天文字碑」、画像右の大きな「文字碑道祖神」には「安政二乙卯年(1855)二月吉日 上町楽風□□□□敬書」の刻。
さらに小さな「文字碑道祖神」に「二十三夜塔」と、何かの顕著碑
訪問日:2016年4月19日
2016年の信州方面車泊旅では、こちらの「道の駅 池田ハーブセンター」にて車中泊をさせて頂きました。超がつくほど偏食の私がなぜか果敢に挑戦した「桑の実まんじゅう」・・・・・もしかしてクセになるかも。
車で旅をする者にとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。改めてその節は有難うございました🙏🙏。
しずくのモニュメント、かーわーいー😄
ミニチュア売ってたら書いたいくらいの可愛さです
(お値段次第ですけどね!😉)
てるてる地蔵尊、ってのも良いですねー。
こういうこと言うと日本の信仰や神々に対して不敬かもしれませんが、
日本の神とか信仰は…、
怪しいものとも同居しているように感じます。
鬼だって、鬼神だし、
祟り神も祀っちゃうし、妖怪もどこか友達気分だし。
神社も謂れが分からない、なんてものもあったりで、
てるてる坊主だって、地蔵さまになるし、
そういうのって、素敵な国だと感じます。
昨日の返信で、
>参拝者に対しての心遣いが行き届いている所は、
>不思議なくらい境内の空気も綺麗です。
そうですね。
日本のそういう心がつづくと良いなと思います😊
またの記事を楽しみにしていますね🌸
素敵なコメントありがとうございます(〃∇〃)
今日はちょっと落ち込んでいたのですが、
まかろんさんにコメントを頂いて
とても暖かい元気をもらった気がします。
人とつながっているという事は・・
それがPCの向こうとこちら側であっても
とっても優しくて、そのぬくもりが伝わってきます
コメント欄にまかろんさんの名前があると
どんなお薬よりも効果が有るみたい(⌒∇⌒)
何しろ日本は神の国、
全てのモノに神が宿る国ですものね。
てるてる坊主の神様があるとは、知りませんでした。まさに日本は、神々の国ですね。
貴方のブログを見ていますと、原則を大事にする一神教の国の人々と違い、融通むげでおおらかな国と教えられます。
道の草にも石ころにも「神さん」がいると教えられて育ってきました。
「神様」ではなく「神さん」なんですよね。
そんな言葉の響きが、今でも懐かしく思い出されます