車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 香川県旧引田町(東かがわ市)

2021年02月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡引田町(ひけたちょう)は香川県の西端に位置した町です。白鳥町に。また県を跨いで徳島県鳴門市、板野郡板野町・上板町・土成町に隣接。播磨灘に面する港町を中心として町域が開け、世界で初めてハマチの養殖に成功した地として知られています。また、引田城下には観光パンフレットでお馴染みの、赤壁の醤油醸造所に代表される古い町並みが残されています。「町の木:梅」「町の花:コスモス」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、大内郡引田村・相生村・小海村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1909年、引田村が町制を施行、大川郡引田町(第1次)が発足。

1955年、引田町、相生村、小海村が合併、大川郡引田町(第2次)が発足。

2003年、大川郡白鳥町、大内町と合併、市制を施行し、東かがわ市となりました。

マンホールには中央に自治体名を組み込んだ「町の木:梅」の花がデザインされています。

昭和43年(1968)4月1日制定の町章は「平和の象徴のハトを横面から 表現、更に産業、文化に大きく 空間に飛躍し、住民の融和と町 勢の発展を表している。」合併協議会資料より

引田駅付近で見つけた高松市の上下水道用の越境蓋。

東かがわ市旧自治体のマンホールは、全て引田庁舎の方に教えていただきました。駅の近辺から庁舎、引田の通りと探し回ったのですが見つけられず、思い切って訪ねたのですが、引田だけではなく、他の旧自治体も合わせて調べて下さいました。大切なお時間を割いていただき、心から感謝いたします。改めて その節には本当に有難うございました🙏🙏

撮影日:2011年6月17日

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ご当地マンホール in 香川県旧白鳥町&旧大内町(東かがわ市)

2021年02月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡白鳥町(しろとりちょう)は香川県東部、湊川の流域に位置した町です。大川郡引田町・大内町・大川町・寒川町・長尾町に。また県を跨いで徳島県土成町・市場町に隣接。湊川河口の浜堤上にある中心市街は白鳥神社の社前町として発達。明治中期に還俗した『両児舜礼(ふたごしゅんれい)』が大阪からメリヤス手袋の生産技術を伝えてより、手袋製造が発展。現在では、全国生産額の約90%を占め、欧米への輸出も盛んに行われています。瀬戸内海国立公園の一部を成す「白鳥海岸:鹿浦越(かぶらごし)」には国天然記念物「ランプロファイヤ(煌斑(こうはん)岩)」の岩脈を見る事が出来ます。「町の木:ウバメガシ」「町の花:ハクチョウゲ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、大内郡白鳥村、松原村、福榮村、寒川郡五名山(ごみょうさん)村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1910年、松原村が町制を施行、改称して大川郡白鳥本町が発足。

1923年、五名山村が改称して大川郡五名村が発足。

1955年、白鳥本町、白鳥村、福栄村、五名村が合併、大川郡白鳥町が発足。

2003年、大川郡引田町、大内町と合併、東かがわ市となりました。

マンホールには、町名の由来となった「白鳥」と「町章」が美しくデザインされています。

昭和35年4月1日制定の町章は「白鳥町の頭字「シ」を片翼的 に図案化して、飛鳥の姿を形ど り、産業に文化に町勢の飛躍的 な発展を象徴し、また円形によ って町民の和を表している。」合併協議会資料より

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旧大川郡大内町(おおちちょう)は香川県の東端に位置した町です。大川郡白鳥町・津田町・大川町に隣接。町域を与田川、番屋川が流れ、三本松地区は砂糖の集散地、積出し港として発展、東讃の中心となりました。産業として紡績、製薬、窯業、手袋製造が盛ん。絹島および丸亀島の海岸に発達する柱状節理は国の天然記念物に。また与田寺、水主(みずし)神社、中世末期の虎丸(とらまる)城跡など多くの文化財を擁しています。町域には、明治~大正にかけて塩田跡地を改良して整備した水田が数多く見受けられ、特に水主(みずし)地区で採れる米は上質で、「水主米」のブランド名で販売されています。「町の花:サツキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、大内郡誉水(よみず)村、丹生(みぶ)村、三本松村が発足。

1898年、三本松村が町制を施行し、大内郡三本松町が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1954年、誉水村・丹生村が合併、町制を施行し大川郡大内町(第1次)が発足。

1955年、三本松町と大内町が合併、大川郡大内町(第2次)が発足。

2003年、大川郡引田町・白鳥町と合併、東かがわ市となりました。

マンホールには、全体に「町の花:サツキ」がデザインされています。

昭和33年7月1日制定の町章は「町名の「大内」を図案化、町 の平和を印象づけ、三方に伸び る鋭角は、飛躍的発展と融和、 さらに協力・友愛・誠実を表し ている。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日&2018年12月15日

讃岐三白=綿、塩、砂糖

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県東かがわ

2021年02月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

東かがわ市は香川県の東端に位置する市です。2003年4月1日、大川郡引田町、白鳥町、大内町が合併、市制を施行して発足しました。西はさぬき市、さらに県を跨いで東と南は東西に連なる阿讃山脈によって徳島県鳴門市、阿波市、板野郡板野町・上板町に隣接。瀬戸内海に注ぐ馬宿川、小海川、中川、湊川、与田川、番屋川などの流域に平野部が開け、市街地と田園地域を形成。地場産業の手袋生産は、伝統産業であり、はまち養殖の発祥地、有名な製薬や和三盆糖などの伝統を今なお受け継ぎ、国立公園瀬戸内海播磨灘に臨む自然環境豊かな市です。「市の木:桜」「市の花:コスモス」を制定。

キャッチフレーズは「21世紀に躍動する生活・文化・交流都市」

マンホールには、新市章を中心に、両横に「市の花:コスモス」が抽象的にデザインされています。

耐スリップ加工が施されたマンホール

2003年4月1日制定の市章は「「東かがわ市」の頭文字「ひ」を図案化したもので、東かがわ市が未来に向かって勢いよく飛翔し、その存在を力強く発信していく姿を表現しています。また、両翼の三本の羽根とそれを結ぶ輪は、引田町、白鳥町、大内町がひとつになって誕生した市を意味しています。」HPより

東かがわ市高齢者等見守りネットワーク事業キャラクター『まもロールくん&. ふくロールちゃん』。地域の為にがんばっているようです。

撮影日:2011年6月17日&2018年12月15日

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2018年8月11日、第8弾として全国76自治体で76種類(累計364自治体418種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「東かがわ市」のマンホールカードは、「東かがわ市役所 上下水道課(市役所3階)」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「市章」と「市の花:コスモス」が抽象的にデザインされています。

「東かがわ市の市章がデザインされたマンホール蓋で、公募にて平成17年に決定しました。 その後、平成30年度の公共下水道供用開始に合わせてカラーマンホールを制作しました。 中央部のデザインは「東かがわ市」の頭文字「ひ」を図案化したもので、当市が未来に向かって勢いよく飛翔し、その存在を力強く発信していく姿を表現しています。 また、両翼の三本の羽根とそれを結ぶ輪は、引田町、白鳥町、大内町がひとつになって誕生した市を意味しています。 背景の水色は穏やかな瀬戸内海播磨灘を、市章両側のピンク色の丸は市の花であるコスモスをイメージして着色しました。」

マンホール設置場所案内地図(東かがわ市三本松浄化センター入口)

訪問日:2018年12月15日

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ご当地マンホール in 香川県旧大川町&旧寒川町(さぬき市)

2021年02月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡大川町(おおかわちょう)は香川県の東、大川郡のほぼ中央部に位置した町です。大川郡津田町・寒川町・白鳥町・大内町に隣接。おもに花崗岩からなる山地と、北流する津田川の形成した低地部からなる内陸の農業地域で、地区の中央を通る県道沿いに集落が発達。古くは難波の里とよばれ、大川町富田中には5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される前方後円墳「富田茶臼山古墳」があり、四国地方では最大規模の古墳として国史跡に指定されています。「町の木:さざんか」「町の花:さざんか」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡富田中村・松尾村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1955年、富田村・松尾村が合併し、大川郡大川村が発足。

1961年、大川村が町制を施行し、大川郡大川町が発足。

2002年、津田町、長尾町、寒川町、志度町と合併し市制を施行、さぬき市大川町となりました。

マンホールには、町章を中心に「町の花木:サザンカ」がデザインされています。

町章は「大川を図案化したもので、平和・明朗・堅実・融和・協力を表現し、前述の飛躍発展を象徴しています。現在では、数々の文化遺産と自然を満喫するスポットが多彩で、四季折々に趣を変え、歴史を訪ね、湯を楽しむことの出来る町として、大きく変貌を遂げていきます。」合併協議会資料より

町域にはデザイン物以外では自治体章の無いマンホールしか見当たりませんでした。

旧大川町域にある「さぬき南小学校」のキャラクター「 チャウスくん ・みなみちゃん ・はにたろう 」。さて、これを旧大川町のキャラにして良いものかどうか・・・💦

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旧大川郡寒川町(さんがわちょう)は香川県の東部に位置した町です。大川郡津田町・大川町・志度町・長尾町・白鳥町に隣接。町域は鴨部(かべ)川、津田川の支流の流域を占め、溜池灌漑による米作・タバコ・蔬菜栽培が盛ん。長尾街道に沿って主集落が開けています。「町の木:ヤブツバキ」「町の花:ヤブツバキ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡神前村、石田村が発足。
1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。1955年、神前村・石田村が合併し、大川郡寒川村が発足。
1961年、寒川村が町制を施行し大川郡寒川町が発足。
2002年、津田町、長尾町、大川町、志度町と合併し市制を施行、さぬき市寒川町となりました。

昭和44年4月1日制定の町章は「明治百年を記念して昭和44年4月1日に制定「寒川町の頭文字「サ」を図案化したもので、東西を貫く県道を中心として、発展してきた町の姿を表し、まりやかな調和の中に、融和と繁栄をもって四方に伸びようとするその力強き町の発展を簡明端的に表現したものです。」合併協議会資料より

寒川町内のGSで聞いた旧町域、かなりの範囲で探してみましたが、ご当地マンホールの類は発見できず、唯一見つけた空気弁も濃業用水用の規格蓋でした。

撮影日:2011年6月17日&2018年6月19日

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2018年6月の車泊の旅では、「道の駅:みろく」にて車中泊をさせて頂きました。大山牧場のカレーパン、私は苦手で手が出ませんでしたが、ご亭主殿は気に入った様子で機嫌よく食べていました😄

車で旅をする私たちにとってこうした施設は本当に有り難く大切な場所です。改めてその節は、ありがとうございました🙏🙏

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ご当地マンホール in 香川県旧長尾町(さぬき市)

2021年02月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡長尾町(ながおちょう)は香川県東部に位置した町です。大川郡志度町・寒川町・白鳥町、木田郡三木町に。さらに県を跨いで徳島県脇町、市場町に隣接。町域は讃岐山脈北麓を占めて南北に細長く、北部に沖積平野があり、主集落は四国八十八ヵ所87番札所長尾寺の門前町として発達してきました。米、野菜、果樹などを産し、また竹の里としても知られ「かぐや姫発祥の地」を標榜します。「町の木:桜」「町の花:アジサイ」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡長尾村・多和村・造田村が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1915年、長尾村が町制を施行、大川郡長尾町(第1次)が発足。

1955年、長尾町、多和村が合併、大川郡長尾町(第2次)が発足。

1956年、長尾町、造田村が合併、大川郡長尾町(第3次)が発足。

2002年、津田町、大川町、寒川町、志度町と合併し市制を施行、さぬき市となりました。

マンホールには「かぐや姫」と町章、「かぐや姫のふるさと・長尾」の文字がデザインされています。

こちらには町章を中心に、「町の木:桜」と「町の花:アジサイ」がデザインされています。

昭和35年5月制定の町章は「長尾の「長」を横に略し、豊かな緑に包まれた長尾町が、限りなく未来に向って拓けていく姿を表し、さらに町民の融和のもと、平和で明るく、住みよい町を象徴しています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日

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ご当地マンホール in 香川県旧志度町(さぬき市)

2021年02月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡志度町(しどちょう)は香川県の東部に位置した町です。大川郡津田町・寒川町・長尾町、木田郡三木町・牟礼町、海上を挟んで庵治町、小豆郡池田町・内海町に隣接。町域は瀬戸内海の志度湾に面しており、旧志度街道(源内通り)には、蘭学者で薬学者で発明家・・エトセトラと、多彩な才能を発揮した志度町出身の「平賀源内」の諸々が、「平賀源内記念館」で公開されています。「町の木:ホルトノキ」「町の花:あんず」を制定。

旧キャッチフレーズは「海・緑・ロマン 文化都市・シド」

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡志度村・鴨庄村・小田村・鴨部村が発足。

1898年、志度村が町制を施行、寒川郡志度町(第1次)が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1955年、大川郡志度町・鴨庄村・小田村が合併、大川郡志度町(第2次)が発足。

1956年、大川郡鴨部村を編入。

2002年、津田町、大川町、寒川町、長尾町と合併、市制を施行、さぬき市志度町となりました。

マンホールには、多和神社の「奉納ちょうさ」と、秋の例大祭の様子がデザインされています。

昭和34年7月制定の町章は「「しど」を図案化したもので、両翼は 町の発展・飛躍を表し、円は円満・融和・団結を意味し、かつ玉浦湾の玉、伝説「海女の玉取り」の玉を表現しています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日

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ご当地マンホール in 香川県旧津田町(さぬき市)

2021年02月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧大川郡津田町(つだちょう)は香川県の東部に位置した町です。大川郡大川町・志度町・寒川町に隣接。地形は勾玉状で北西南の三方は山に囲まれ、東は瀬戸内海に面しています。津田港に面した中央部には樹齢600年の老松約3,000本を有する白砂青松の地、瀬戸内海国立公園「津田の松原」知られる琴林(きんりん)公園があり、夏季期間中、県内外より多数の海水浴客で賑わっています。「町の木:松」「町の花:ハマヒルガオ」を制定。

旧キャッチフレーズは「松風・汐風・さわやかタウン津田」

明治23年(1890)、町村制の施行により、寒川郡津田村・鶴羽村が発足。

1898年、津田村が町制を施行し寒川郡津田町(第1次)が発足。

1899年、郡制の施行により寒川郡と大内郡が合併、大川郡となる。

1956年、津田町と鶴羽村が合併、大川郡津田町(第2次)が発足。

2002年、大川町、志度町、寒川町、長尾町と合併、市制を施行、さぬき市津田町となりました。

マンホールには、「琴林公園の根上がりの松」と「大灯篭」がデザインされています。

昭和34年2月1日制定の町章は「カタカナの頭文字「ツ」を図案化して、瀬戸内海国立公園「津田の松原」を象徴したもので、三つの円によって人の和と、町政の発展の願いを象徴しています。」合併協議会資料より

津田町のマスコットキャラクター『マッピー』。津田の松原にある『根上がり松』をイメージして誕生しました。なんと作者は、当時の津田町長さんなんですよ!

撮影日:2011年6月17日&2018年6月19日

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2011年6月、マンホール収集と昼食の為に立ち寄った「道の駅・津田の松原」

そこで頂いたのが、うどんに出汁醤油をぶっ掛けただけの、シンプルな「ぶっかけうどん」。お値段も¥280円(小)だし、それなりだろうと思っていたのですが、これがとんだ大誤算!!おうどんってこんなに美味しかったっけ!!と二人とも、大げさでなく感動(笑)

どれくらい感動したかと言うと、「津田の松原」の見学予定をコロッと忘れて自宅に帰るまで気がつかなかった位😅。7年後、再訪の機会が巡ってルンルン気分で店の前に立てば、なんと「閉店」の札に大ショックを受けた二人😱。近くにいた方から、麺が無くなり次第閉店になると教えて頂きましたが・・それにしても、は・・早い!!

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ご当地マンホールとマンホールカード in 香川県さぬき市

2021年02月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

さぬき市は香川県の東部に位置する市です。2002年4月1日、大川郡津田町・大川町・志度町・寒川町・長尾町が合併、姿勢を施行して発足しました。高松市、東かがわ市、木田郡三木町、更に海上を隔てて小豆郡小豆島町に。また県を跨ぎ讃岐山脈を隔てて徳島県美馬市、阿波市に隣接。南の讃岐山脈から北東へ向かって津田川が津田湾へ、鴨部川が鴨庄湾へと流れ市域の大部分は、この2河川の流域です。中央部は、西方の高松平野と連なった平野が広がっており、大小のため池が美しい田園景観を形成しています。「市の木:マツ」「市の花:コスモス」「市の色:ミドリ」を制定。

キャッチフレーズは「人いきいき 親自然・真健康・新創造」

マンホールには「琴林公園の根上がりの松」と「大灯篭」がデザインされています。(さぬき市津田東部浄化センター前のタイル歩道)

旧志度町のデザインで、「多和神社:秋季大祭」で繰り出される「ちょうさ」がデザインされています。

2003年2月10日制定の市章は「さぬき市のイニシャルの「S」を生かし、市の将来像をうたった「親自然・真健康・新創造都市 さぬき市」のすべてのイニシャルをも表現する。青は大空と瀬戸内海の海の色で沿岸部を、緑は豊かな自然と平和に満ちた内陸部を表現。すべての市民が共に手を携えて、新しい世紀へ夢や希望を持って回転する姿であり、そのエネルギーとなる潮流の姿を中心部に置いたもので、左右には大空高く舞い上がる海鳥や山野鳥の飛翔を描き、さぬき市の輝かしい未来を象徴している。」HPより

さぬき市マスコットキャラクター『さっきー』。衣装はお遍路さんの装束をイメージしたもので、編笠には市章を、胸には市花のコスモスがあしらわれています。襟巻は讃岐名物のうどんです。

撮影日:2011年6月17日&2018年6月19日

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2018年4月28日、第7弾として全国49自治体で49種類(累計301自治体342種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「さぬき市」のマンホールカードは、「さぬき市役所大川支所:下水道課」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「琴林公園の根上がりの松」と「大灯篭」がデザインされています。

「日本の渚100選に選ばれた白砂青松の景勝地「津田の松原」と、松原の一点景である「大灯篭」を描いた一枚です。 旧津田町(現・さぬき市)が平成3年に制作した絵柄に、紺碧の海、白い砂浜、緑輝く松林の鮮やかな彩色を施し、美しく仕上げました。 津田の松原は、江戸時代初期に始まった岩清水八幡宮を守るための防風林の整備を起源とし、先人たちによって大切に育成・保護され、現在では琴林公園の名で県立公園や瀬戸内海国立公園に指定されています。 樹齢600年を超える老松や根上がり松などが約1kmに渡って続く景観は一見の価値あり。 夏には、津田の松原海水浴場として賑わいを見せます。」

訪問日:2018年6月19日

 

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ご当地マンホール in 香川県旧国分寺町&旧香川町&旧塩江町(高松市)

2021年02月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧綾歌郡国分寺町(こくぶんじちょう)は香川県のほぼ中央に位置した町です。高松市、坂出市、綾歌郡綾南町に隣接。町域は南北に長い盆状で、周囲は丘陵地に囲まれ、関ノ池をはじめとする大小のため池が多く点在し、水と緑の田園風景が町全域に広がっています。天平13年(741)聖武天皇の勅願により、全国60ヶ所余りの国府所在地に国分寺が建立。讃岐国の国分寺がこの地に置かれたことが国分寺町の由来となっています。全国屈指の盆栽の産地で、「錦松発祥の地」として知られます。「町の木:マツ」「町の花:サツキ」を制定。

旧キャッチフレーズは「やすらぎのある町 国分寺町」

明治23年(1890)、町村制の施行により、阿野郡端岡村、山内村が発足。

1899年、郡制の施行により阿野郡と鵜足郡が合併、綾歌郡となる。

1955年、綾歌郡端岡村、山内村が合併、綾歌郡国分寺町が発足。

2006年、高松市に編入、高松市国分寺町となりました。

マンホールには「松の盆栽」を中心に、「町の花:ツツジ」と町章がデザインされています。

同じデザインですが、町章が消され、左下の自治体名が「たかまつし」に変更されています。

昭和30年(1955)4月1日制定の町章は「円形は周囲を山で囲まれた円満な平和境を表し、四つの切れ目は鉄 道・道路の出入口となり、この地に文化の流入する昔からの発展の相 を意味しています。」 合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日

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旧香川郡香川町(かがわちょう)は香川県のほぼ中央、香東川が阿讃山地を出る谷口に位置した町です。高松市、香川郡香南町、綾歌郡綾上町に隣接。町域は長方形を成し全体的に丘陵地。一年中あまり寒暑の差がなく、四季を通じて温暖で雨が少ない瀬戸内式気候の特徴をよく表した緑豊かな町です。町の南西部にひかえる高松空港の開港により、国道193号が新しい動脈として町を縦断するように整備。その恵まれた地理的条件から、郊外沿線型の大規模小売店舗や、物流関係企業の進出、そして米・野菜・果樹などの都市近郊農業生産供給基地として発展しました。「町の木:クスノキ」「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「豊かな自然と 文化の香り高い 健康で明るいまち」

明治23年(1890)、町村制の施行により、香川郡川東上村、淺野村、大野村が発足。

1955年、川東上村・浅野村・大野村が合併、町制を施行し香川郡香川町が発足。

1956年、香川郡塩江町東谷地区・安原下地区の一部を編入。

2006年、高松市に編入、高松市香川町となりました。

マンホールには、中央に大きくシンボルマークを置き、周囲に「町の花:ツツジ」がデザインされています。シンボルマークの3つの楕円は、町内にあるため池と、合併した三つの地区を表現しています。

同じデザインの普通サイズですが、左下の自治体名が「たかまつし」に変更しています。

昭和31年(1956)4月1日制定の町章は「「香川」を図案化し、3つの円は川を表すと同時に3か 村の合併と住民の強固な団結を象徴したもの。中央下部にある「香」の 字は町の安定と輝く将来性を表現したもの。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日

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旧香川郡塩江町(しおのえちょう)は香川県のほぼ中央部最南端に位置した町です。高松市、香川郡香川町、木田郡三木町、綾歌郡綾上町、仲多度郡琴南町に。また県を跨いで徳島県美馬市に隣接。総面積の84%が山林で占められた阿讃山麓の代表的な峡谷型の町です。内場川、小出川などを集めた内場池(内場ダム湖)は町の中央にあり、香東川に合流して讃岐平野に流れています。耕地は山間部と香東川などの河川に沿って散在し、集落は香東川沿いの国道193号と内場池南側に集中しているほか、山間部にも点在しています。
「町の花:ネム」を制定。

明治23年(1890)、町村制の施行により香川郡安原上東村・安原上西村・安原村が発足。

1918年、安原上東村が香川郡塩江村に改称。

1951年、安原上西村が香川郡上西村に改称。

1956年、塩江村・上西村・安原村が合併し、香川郡塩江町が発足。

2005年、高松市に編入、高松市塩江町となりました。

マンホールには「香東川とホタル」、「町の花:ネム」がデザインされています。(画像提供:義姉)

昭和38年4月1日制定の町章は「塩江町の「し」の字の図案化により、塩江町を表し、町の発展・進歩、 円形により町民の融和と団結を表している。」合併協議会資料より

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ご当地マンホール in 香川県旧庵治町(高松市)

2021年01月31日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・香川県

旧木田郡庵治町(あじちょう)は四国本土の最北端、竹居岬に位置した町です。木田郡牟礼町に、海を隔てて高松市、さぬき市、小豆郡池田町・土庄町に隣接。古くから石と魚の町として栄え、五剣山の麓から採取される庵治石は、高品質で希少価値が高く、世界一高価な花崗岩と評価されており、国内はもとより、海外においてもその名を知られています。

また、漁業が盛んで、魚介類の宝庫となっている瀬戸内海からの漁獲量、生産額は、漁船漁業では県下屈指。源平合戦ゆかりの屋島を間近に臨み、平家の軍船の集結場「船かくし」など、町内には多くの史跡が残っています。「町の木:クスノキ」「町の花:アジサイ」を制定。

明治30年(1890)、町村制の施行により、山田郡庵治村が発足。

1899年、山田郡と三木郡が合併、木田郡となる。

1968年、庵治村が町制を施行、木田郡庵治町が発足。

2006年、高松市に編入、高松市庵治町となりました。

町域にデザインマンホールは無く、自治体章のみの規格蓋です。


 

昭和53年4月1日制定の町章は「円は、平和、人々の和をあらわし、また全体の形は庵治町の地形を かたどり、波の形に似た「ア」の部分は、三方海に囲まれた庵治の環 境を示し、円の下方が少しかけているのは、町の未来への発展性を象 徴する。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月17日

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