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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 長野県塩尻市

2022年09月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

塩尻市(しおじりし)は長野県のほぼ中央、松本盆地の南端に位置する市です。松本市、岡谷市、伊那市、辰野町、南箕輪村、木曽町、木祖村、朝日村に隣接。市内には信濃川水系の奈良井川と田川、天竜川水系の小野川が流下し、塩尻峠と善知鳥峠、鳥居峠は、太平洋と日本海への分水嶺となっています。太平洋側と日本海側の交通が交差する交通の要衝で主要幹線道路の分岐点ともなっています。塩尻の地名には幾つかの説があり、市の公式見解は「「シオ」とも呼ぶ赤いローム層に覆われた台地の終末点なので、塩尻と名づけられた。」。また一説には信州には海がないため塩を生産することができず、日本海側と太平洋側からそれぞれ塩が運ばれてくると、この辺りで両者が合流することから塩の道の終点=塩尻となった・・等々、他にも幾つかの面白説があるようです。「市の木:イチイ」「市の花:キキョウ」を制定。

キャッチフレーズは「いきいき満彩 信州しおじり ともに築く 自立と創造の田園都市」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡塩尻村・片丘村・広丘村・宗賀(そうが)村・筑摩地(ちくまじ)村・洗馬(せば)村が発足。

1927年、塩尻村が町制を施行、東筑摩郡塩尻町となる。

1959年、東筑摩郡塩尻町・片丘村・広丘村・宗賀村・筑摩地村が合併、塩尻市が発足。

1960年、塩尻市北内田が松本市に編入。

1961年、塩尻市南内田崖の湯が松本市に編入。

1961年、洗馬村を編入。

1982年、境界線変更により洗馬空港東が松本市に編入、松本市笹賀の一部を塩尻市に編入。

2005年、木曽郡楢川村を編入、現在に至ります。

マンホールには、北アルプスと野菜生産高の約70%を占める広大なレタス畑が描かれています。

一面のレタス畑

本洗馬(ほんせば)地区の集排マンホールには、天保年間に和兵衛窯で始まったとされる「洗馬焼の壷」と周囲に奈良井川を泳ぐ鮎が描かれています。

勝弦(かっつる)地区の集排マンホールには、勝弦北小野にある「チロルの森」と、周囲に「市の花:桔梗」が描かれています。

宗賀(そうが)南部地区の集排マンホールには、中央に一面のそば畑と、周囲に「カタクリの花」が描かれています。

宗賀南部地区は「蕎麦切り発祥の地」とも言われ、畑一面に蕎麦の花が咲く光景が見られます。

小曽部(こそぶ)地区の集排マンホールには、「市の花:桔梗」の花の中に小曽部川の上流部にある落差約13mの「白滝」が描かれています。

小曽部川下流域、良好な農耕地が広がる小曽部集落では、刈り取られた稲の「はぜ掛け」がそこかしこで見られます。

東山地区の集排マンホールには、市の東部、標高1665メートルの「高ボッチ山」のなだらかな傾斜に広がる「高ボッチ高原」で開催される「観光草競馬」の様子が描かれています。

昭和34年5月10日制定の市章は「カタカナの「ホ」を4つ繋げた形をしています。塩尻は「シホジリ」とよみがながつけられた昔の、シホジリの「シホ」と4つのホ「シ(4)ホ」をかけたものです。また、「ホ」という字には、稲穂(いなほ)のホなど、実りが多いという意味が込められています。」公式HPより

防火貯水槽マンホール

仕切弁

排泥仕切弁

減圧弁

塩尻に伝わる伝説の狐の妖怪、玄蕃乃丞の娘『玄蕃サラ』。名前の由来は玄蕃祭りとサラダ街道の「サラ」から。「塩尻市まちづくり応援部長」として塩尻市のPRの為に頑張っています。

塩尻市社会福祉協議会のイメージキャラクター『しおりん』。特産のワインをモチーフとし、ゆっくり寝かせたワインのように福祉のあれこれを頑張っています。

撮影日:2010年10月3日&2014年6月21日&2016年4月24日

 


ご当地マンホール in 長野県朝日村

2022年09月05日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

東筑摩郡朝日村(あさひむら)は本州のほぼ中央、長野県松本平の西南端に位置する村です。東は塩尻市、北は松本市、山形村、西は松本市、南は木祖村に隣接。村域の約87%は山林で占められ、平坦地の標高は740メートルから900メートルに展開。日本の屋根といわれる北アルプスと中央アルプスの接点に位置する鉢盛山(2,447m)を背にして北東面に緩やかに傾斜しつつ扇状に台地が広がり、住居地・耕地をなしています。村名は「明治の大合併で誕生した朝日村が、松本盆地の南西に位置し朝日が一番先に村に照ることや、朝日のように輝く村になることを願う」に由来します。「村の木:赤松」「村の花:カタクリ」を制定。

キャッチフレーズは「心・体・地の調和 新しい感覚で 人と自然と産業が共生するむらづくり」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡小野沢村・針尾村・古見村・西洗馬(にしせば)村が合併し朝日村が発足。現在に至ります。

2018年5月、村庁舎が小野沢から古見に移転、上記の旧庁舎は保存も検討されたましたが結局解体されました。

マンホールには「村の花:カタクリ」と「村天然記念物:ヒメギフチョウ」が描かれています。

昭和47年(1972)9月10日制定の村章は「朝日村の頭文字の「ア」を図案化したもので、円は朝日太陽を示し、朝日村の躍進を表します。これは朝日村の清い流れと緑につつまれた自然と村民の団結により力強く躍進発展する姿を象徴するものです。」公式HPより

撮影日:2010年10月17日&2016年4月23日

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マンホールカード、頂きました。

2018年12月14日、第9弾として全国60自治体で60種類(累計407自治体478種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「朝日村」のマンホールカードは、「平日:朝日村役場 建設環境課」「土日祝:休日通用門」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「村の花:カタクリ」と「ヒメギフチョウ」がデザインされています。

「村花の「カタクリの花」と村天然記念物に指定されている「ヒメギフチョウ」をデザインしたマンホールです。 カタクリは球根を植えてから花が咲くまでに7年かかると言われます。 春の数日間だけ見る事ができる、小さなはかないその美しさから「春の妖精」とも呼ばれる花です。 村の天然記念物に指定されているヒメギフチョウは里山に多い蝶で、晴れた日のみ活動するところから「春の女神」とも呼ばれる蝶です。 共に【豊かな日本の田舎】である朝日村をイメージしています。 豊かな水源に恵まれた朝日村では、貴重な動植物の自生地・生息域の保護に力を入れています。」

 


ご当地マンホール in 長野県山形村

2022年08月30日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

東筑摩郡山形村(やまがたむら)は長野県のほぼ中央部、標高約700メートルの松本盆地南西部台地上に位置する村です。松本市、朝日村に隣接。村の西部は山地と集落、東部には肥沃な農地が広がり、観光道路「日本アルプスサラダ街道」や、奈良時代の創建と云われる清水寺が有名です。「村の木:イチイ」「村の花:サツキ」を制定。

キャッチフレーズは「道祖神とそばの里 暮らしと自然が響き合う村」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡山形村が発足。現在に至ります。

マンホールには、「村の木:イチイ」と、「村の花:サツキ」が描かれています。

展示マンホール

昭和47年(1972)1月20日制定の村章は「山形「やまがた」の「や」を図案化したもので、平和で限りなく躍進する村の姿勢をあらわす。」公式HPより

浸透マンホール、特に自治体を表わすものはありません。 

山形村イメージキャラクター『やまっち』。山形村をこよなく愛す、五穀豊穣の見習い神様です。山形村文化遺産の「清水寺」の屋根をモチーフにした笠。笠についているのは村花「さつき」。体は村木の「いちい」からできています。

撮影日:2010年10月17日&2016年4月22日

 


ご当地マンホール in 長野県旧安曇村(松本市)

2022年08月25日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧南安曇郡安曇村(あづみむら)は長野県中信地方の西部に位置した村です。大町市、穂高町、堀金村、三郷村、梓川村、奈川村、波田町、また県を跨いで岐阜県高山市に隣接。 村の西側にあたる岐阜県境は北アルプス飛騨山脈の最南端に位置し、焼岳や乗鞍岳といった火山をはじめ、穂高岳、槍ヶ岳といった高山が多く、シーズンには多くの登山客で賑わいます。中でも乗鞍岳は、標高2,702mの畳平までバス又はタクシーで行けるため、「日本で一番手軽に登れる3,000m級の山」として知られ、その東麓には大昔に流出した溶岩により乗鞍高原が形成されています。「村の木:白樺」「村の花:水芭蕉」「村の鳥:雷鳥」「村の獣:カモシカ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、南安曇郡安曇村が発足。

2005年、松本市に編入、松本市安曇となりました。

マンホールには「穂高連峰と河童橋」「梓川の岸から穂高連峰を見る河童」が描かれています。(安曇支所駐車場に設置)

道の駅:風穴の里スタンプ「河童橋・穂高連峰」

「上高地」は国の特別名勝・特別天然記念物に指定された梓川上流の景勝地で、古来より「神垣内」と表記されます。これは穂高神社の祭神「穂高見命」が穂高岳に降臨し、この地に祀られている事に由来します。

昭和50年(1975)4月7日制定の二代目の村章は「「ア」を表し、中央の三山は乗鞍岳・穂高岳・槍ヶ岳などの山岳を示し、右下の部分は大正池・明神池・梓湖の水資源を表したもの。」合併協議会資料より

旧村役場に残る村章のレリーフ

撮影日:2010年10月17日&2016年4月23日

 


ご当地マンホール in 長野県旧波田町(松本市)

2022年08月22日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧東筑摩郡波田町(はたまち)は上高地、乗鞍高原の玄関口であるアルプスの麓に位置した町です。山形村、朝日村に隣接。町域は梓川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約700メートル前後。町北側を梓川が流れ、梓川の河岸段丘により南側から北側へ傾斜。また町の西側には飛騨山脈(北アルプス)がそびえており、西側から東側に向かって傾斜があり、町域の8割を占める山の区域にはまったく人が住んでいません。肥沃な大地と梓川の清流に恵まれた広大な優良農地を有し、りんご、梨、桃、ぶどう等の豊富な農産物を生産。とりわけ「スイカ」は、全国ブランドとして、この地域を代表する農産物です。「町の木:赤松」「町の花:ツツジ」を制定。

波多町と梓川村を結ぶ県道315号線:下島橋の親柱。波多町側は全国ブランドとして知られる「下原スイカ」😊

旧キャッチフレーズは「河岸段丘に味なまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡波多村が発足。

1933年、「波(波乱)が多い」と読める村の名称を「波田」と改め、村名を波田村に改称。

1973年、波田村が町制を施行、東筑摩郡波田町となる。

2010年、松本市に編入、松本市波田町となりました。

マンホールには町章を中心に、「町の花:ツツジ」と、「町の木:アカマツ」が描かれています。(波田駅付近の住宅街・タイル舗道に設置)

昭和48年(1973)4月1日制定の町章は「町名の頭文字「は」を図案化したもの」

撮影日:2010年10月17日&2016年4月22日

 


ご当地マンホール in 長野県旧梓川村(松本市)

2022年08月17日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧南安曇郡梓川村(あずさがわむら)は長野県のほぼ中央西寄り、安曇野の南西部分に位置した村です。松本市、波田町、安曇村、豊科町、三郷村に隣接。西は黒沢山、天狗岩、大明神山を結ぶ尾根で安曇村と境界を接し、北は黒沢山、金比良山を結ぶ尾根、北黒沢の山地および室町、野沢、七日市場の集落地境で三郷村と接し、東端の一部は、豊科町と接しています。「村の木:アズサ」「村の花:コマチソウ」「村の鳥:セキレイ」を制定。

旧村役場の敷地には、1993年に「年中ミカンのとれる御浜」と「梓川村のリンゴ」を通して交流が始まった「友好親善町村」碑が設置されています。

旧キャッチフレーズは「自然あふれるふるさとの村梓川」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南安曇郡梓村・倭(やまと)村が発足。

1955年、梓村と倭村が合併、南安曇郡梓川村が発足。

2005年、松本市に編入、松本市梓川となりました。

マンホールには「金松寺山」を背景に、特産の「リンゴの花」と梓川を泳ぐ「カジカ」が描かれています。(県道48号線「倭北交差点」付近の歩道に設置)


 

アクアピア安曇野:展示マンホール

昭和32年(1957)11月1日制定の村章は「梓弓と梓川をかたちとったものです。」旧公式HPより

松本市梓川梓南北条の碑

一面のリンゴ畑

梓川村と波多町を結ぶ県道315号線:下島橋の親柱。梓川村は「りんごのふるさと梓川村」のわい化りんごです😊

撮影日:2010年10月17日&2016年4月22日

 


ご当地マンホール~規格蓋~ in 長野県松本市

2022年07月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

昨日に続いての松本市のマンホール紹介ですが、規格蓋はどうしても地味になる為、タイトル画像は華やかに、国宝指定の「旧開智学校校舎」

昭和13年(1938)1月6日制定の市章は「外側の円は陽春の若松をあらわし、市の将来の円満な発展を象徴しています。円の中心は「本」の字によって六合をあ らわし、宇宙に本市の光輝発揚をねがい、形は雪の結晶をあらわしています。また突起の部分は北アルプスの山岳を意味し、六角は松本藩6万石の歴史的意味、あるいは旧藩主戸田氏の六星紋所の意味もふくまれています。」公式HPより

防火水槽

減圧弁

仕切弁

消火栓

「自治体」と表示されたマンホール

松本ガス

「松本市市制施行100周年のマスコットキャラクターだったアルプちゃん。2008年4月からは、松本市のマスコットキャラクターとして再出発しました。帽子は北アルプス、服は豊かな自然を表す緑色、楽都イメージしたバイオリンを持って、花いっぱい運動の発祥地であることから花の飾りを頭につけています。」公式HPより

「花いっぱい運動発祥の地」

ヒマラヤ杉に囲まれた「あがたの森公園」のキャラクター『あがた森ちゃん』。ヒマラヤ杉のドレスに、頭には重要文化財「旧松本高等学校」の髪飾り。いつも箒をもって園内を綺麗にしています。

撮影日:2010年10月16日&2016年4月21日

合併した旧奈川村・旧四賀村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

 


ご当地マンホール~デザイン編~ in 長野県松本市

2022年07月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

松本市(まつもとし)は長野県のほぼ中央、中信地方に位置する市です。塩尻市、安曇野市、大町市、岡谷市、上田市、下諏訪町、山形村、朝日村、筑北村、長和町、青木村、木曽郡:木曽町、木祖村に、また県を跨いで岐阜県:高山市に隣接。平安時代には信濃国府が置かれ、中世には信濃守護の館の所在地として、また、江戸時代には、松本藩の城下町として栄えてきました。市のHPの概要に「日本アルプスを擁して多くのアルピニストを迎える『岳都』。まちかどにバイオリンの調べを聴く街、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの街『楽都』。古くから学問を尊び、学生を大事にする都、進取で議論好きの市民気質から『学都』、これらをもって、「『三ガク都』まつもと」~岳都・楽都・学都~」と呼ばれています。」とあります。

合併によって市域には「国宝・松本城」や「旧開智学校」等の歴史的建造物を始め、上高地、乗鞍高原など幅広い分野の観光地を有する事となり、国際会議観光都市にも指定されています。

キャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡松本町、東筑摩郡松本村・島内村・中山村・島立村、新村・和田村・神林村・笹賀村・芳川村・寿村・岡田村・入山辺村・里山辺村・今井村・片丘村・本郷村が発足。

1907年、松本町が市制を施行、松本市となる。

1925年、東筑摩郡松本村を編入。

1943年、東筑摩郡中山村神田区を編入。

1954年、東筑摩郡島内村・中山村・島立村、新村・和田村・神林村・笹賀村・芳川村・寿村・岡田村・入山辺村・里山辺村・今井村を編入。

1960年、東筑摩郡片丘村北内田区を編入。

1961年、東筑摩郡片丘村南内田区欠の湯を編入。

1974年、東筑摩郡本郷村を編入。

1982年、塩尻市洗馬の一部を編入。

2005年、南安曇郡梓川村・安曇村・奈川村、東筑摩郡四賀村を編入。

2010年、東筑摩郡波田町を編入、現在に至っています。

マンホールには「松本手まり」で遊ぶ、着物姿の女の子二人が描かれています。(旧開智学校近くに設置)

彩り豊かな色糸で絡げた「松本手まり」は、江戸時代中期頃、松本藩の士族の子女を中心に身近な玩具として手作りされたのが始まりで、マンホールのデザインにも使われています。(松本城付近、本町商店街などに設置)

松本手毬をちりばめた側溝蓋(縄手通り商店街)

🌸明日はコアなファン向けの規格蓋、上水道関連マンホールの紹介です。

撮影日:2010年10月16日&2016年4月21日

 


長野県松本市Aのマンホールカード

2022年07月11日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

2017年12月9日、第6弾として全国64自治体で66種類(計252自治体293種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。

「松本市A」のマンホールカードは、「松本市観光情報センター」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「松本てまり」がデザインされています。

「国宝松本城と並び、松本のシンボルとして親しまれている伝統民芸品「松本てまり」のデザインマンホール蓋です。 美しい色糸を巻いた精巧で優雅な松本てまりは江戸時代に誕生し、松本城下の子供たちが好んで遊んだと伝えられています。 松本市立博物館には古い様式のてまりが所蔵されており、すぐれた技量を感じることができます。 マンホール蓋の丸いキャンバスに丸いてまりが絶妙にマッチし、設置当初から好評をいただいている本デザイン。 カラー版には色違いが数種類ありますので、探してみてください。 マンホール蓋の位置座標付近には、あっと驚くような巨大なオブジェもあります。」

座標軸のマンホールは持っていませんが、同じタイプのマンホール

「松本てまり」

 

 


ご当地マンホール in 長野県旧明科町(安曇野市)

2022年07月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧東筑摩郡明科町(あかしなまち)は長野県のほぼ中央、松本平の北端に位置した町です。松本市、穂高町、豊科町、本城村、生坂村、池田町に隣接。北アルプスの槍ヶ岳で分かれた水が梓川と高瀬川となり、明科で再び一つに結ばれ犀川となり町の中央部を北流。千曲川・信濃川となって日本海に注いでいます。江戸時代に形成された15の村々は、松本城主の統治下におかれ、享保10年(1725)以後、川手筋は幕府の天領となりました。川沿いは平坦部、その周辺は標高 500〜900mの山間部の地形で構成。町域の約6割は森林地帯で占められており、その多くは広葉樹林となっています。「町の木:カシワ」「町の花:アヤメ」を制定。

旧キャッチフレーズは「澄んだ心と水のふるさと、あやめの町-明科-」

また「水産あかしな」の名を挙げたニジマスは、昭和13年に設けられた長野県水産指導所(現在の水産試験場)が作出。1987年にはここで養殖された「信濃雪鱒(シナノユキマス)」が長野県内の湖に放流されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡中川手村・東川手村、北安曇郡七貴村・陸郷村が発足。

1955年、中川手村が上川手村光の中条・北村・白牧・矢の沢地区を編入。その後、中川手村・東川手村が合併、東筑摩郡明科町が発足。

1956年、北安曇郡七貴村と合併、改めて東筑摩郡明科町が発足。

1957年、明科町中之郷・鵜山が北安曇郡池田町に編入。

1957年、明科町が、北安曇郡陸郷村の中・小泉、寺の一部を編入。

2005年、南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村と合併、安曇野市明科となりました。

マンホールには「犀川」に泳ぐ2匹の「ニジマス」、「町の花:アヤメ」がデザインされています。(明科駅前付近に設置)

同デザインで、用途部分が「はいすい」と記されています。

昭和39年(1964)9月21日制定の町章は明科町の「ア」をデザインしたもので、明科町の躍進を表現しています。」旧公式ホームページより

「町の花:アヤメ」がデザインされた側溝蓋

龍門渕公園では、アヤメの見ごろの6月下旬に「アヤメフェスティバル」が開催されます。

撮影日:2010年10月16日&2016年4月17日