昨日(5/21)の金環日食は、まさに「世紀の天体ショー」だった。奈良は薄曇りだったが、とてもよく見えた。読売新聞夕刊(5/21付)は1面トップで「天空リング 神秘の輝き 金環日食932年ぶり広域観測」、3面では写真グラフで「世紀のショー 列島歓喜」、社会面(10~11面)では「見えた!黄金の環」「同じ場所 300年に1度」と、大々的に報じていた。
10面にはQ&Aが出ていて《日食はいつ頃から観測されていたの》というQに対しAでは《日本では、日本書紀の628年4月10日の記録が最初。このほか天照大神が岩屋に隠れる「天岩戸伝説」は、247年3月24日、248年9月5日と、2年続いた皆既日食を指している、とする説もあります》と出ていた。以前、当ブログの「冬至と天の岩屋戸ごもり」(11.12.23)で、この神話を「冬至を過ぎて太陽が弱まった力を取り戻すということを象徴したもの」とする「冬至説」を紹介したが、今回は「日食説」(天の岩屋戸ごもりは日食を表したもの)を紹介する。
日本で初めて「日食説」を唱えたのは荻生徂徠で、『南留別志(なるべし)』という随筆集に書いているそうだ。国立天文台報(2008 第11巻)「七世紀の日本天文学」(谷川清隆・相馬充)によると、《筆者らの知る限り、日本の天文記録に言及した近代人は荻生徂徠が最初である。彼は、「南留別志」に 日の神の天の磐戸にこもりたまひしといふハ、日食の事なり。諸神の神楽を奏せしといふハ、日食を救ふわざなるべし。と書き、日本書紀巻一神代上に書かれた「天の磐戸」の記事は日食についてのものであると解釈する》とある。
今朝のFacebookには「太陽が陰ると、風が急に冷たくなるんですね」「日食の影響か、鳥の鳴き声も少し違う感じです」「日食の間、近所の犬たちが一斉に吠えだし、犬界でも、ただならぬ様子をキャッチしていた模様」「太陽がまん丸に戻るまで、ゆったりと過ごした時間もいとおしい。光が戻るに連れ、雲雀たちが歌いだした」という感想が寄せられ、「私は怖くて外に出られませんでした。日食苦手なんですよねぇ」というコメントには「古代の人びとを彷彿とさせる反応ですね(笑)」というツッコミが入っていた。天文学を知らずに日食を経験した古代人は、それは驚いたに違いない。
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中島みゆきは、自ら「言葉の実験劇場」と呼ぶ舞台「夜会」をほぼ1年置きに開催している。その第4回(1992年)が「金環蝕」だった。《古事記と日本書記に出てくる“アメノウズメノミコト”って知ってますか? 中島みゆきが問う日本女性像。言葉の可能性を求めた実験劇場『夜会』第4回公演「金環蝕」のすべて》(『金環蝕(夜会)』シナリオ集の紹介文)。
申すまでもなく、アメノウズメノミコト(天宇受賣命)は、天の岩屋戸の前で「神懸かりして胸乳(むなち)をかき出で、裳緒(もひも)をほと(女陰)におし垂れき。しかして高天の原動(とよ)みて、八百万の神ともにわらひき」(古事記)という、あの女神である。荻生徂徠の「日食を救ふわざ」を演じたのである。これを中島みゆきが舞台でどんな風にやったのか、想像すると少しコワい気がするが…。ともあれ、「金環食」と「天の岩屋戸ごもり」を結びつけ、それを舞台に仕上げた中島の慧眼には、脱帽する。
さて、次は6月6日。金星が太陽の前を横切るそうだ。今度は日食めがねを用意して、じっくり観察することにしたい。
金環食なので、完全真っ暗にはならないものの、日が陰り、薄暗くなって、不気味な感じにはなってきました。古代の人々は、科学的な事は解らない上に、農耕民族なので、太陽と云うのは絶対な訳です。その太陽が欠けていくのは、死活問題だった訳で、神仏に頼る、と云う感覚も頷けます。
かつて高千穂へ、ウチの子供の夏の旅行で連れて行った事が有ります。夜神楽をやっている、と云う情報を聞きつけて・・つまり、この天の岩戸の話なのですが、これはもの凄く長いストーリーで、農閑期の冬に、各農家を回って演じられているそうで、無形文化財に指定されています。この、ダイジェスト版を、高千穂神社の舞台で、見せて貰える訳です。
天照大神が、岩戸に隠れたので、手力雄命が強引に岩を動かした、と云う場面と、女役のおかめ、男役のひょっとこが、和合する場面・・・これはおもしろいです、説明人が「この神々は浮気者で、今日の会場の皆様へ浮気しに行くかも知れません、絡まれた方は縁起が良い、とされています」と説明され、男役は、若い女性グループに絡んで、きゃーきゃー言わせて、また女役は、男性のお年寄りに行って、喜ばせる、と云う、大笑いの場面なのですが、こんな事を連日行われています。
子供はまだ小さかったのですが、結構楽しんでいました。またこれを観光協会が行っていて、地元の青年団の者がやっている訳です。また、これは我々見習うべきですねぇ。無料のタクシーを旅館が手配してくれて、それで送迎して貰えます。私の泊まった所だけではなかった様なので、地域として行っている事なのでしょう。
また、地域全体が、神話をモチーフにしていて、街角に神様の看板や人形が立っていて、自然と神の里って云う雰囲気になっています。
古事記に親しむのも、こんな解りやすい、また楽しい催事を考えていく事が、親しみを持って貰える一つの手段かな、と考えていますが如何でしょうか。
> 農耕民族なので、太陽と云うのは絶対な訳です。その太陽が欠けて
> いくのは、死活問題だった訳で、神仏に頼る、と云う感覚も頷けます。
はい。現実に日食を体験してみて、鳥獣まで反応することに驚かされました。古代の人々には、相当なインパクトだったと思います。
> 天照大神が、岩戸に隠れたので、手力雄命が強引に岩を動かした、と云う場面
> と、女役のおかめ、男役のひょっとこが、和合する場面…これはおもしろいです
神社検定のテキストに《観光客向けに「高千穂神楽」を簡略化した夜神楽(よかぐら)が毎晩、高千穂神社の神楽殿で催されている》とあり、興味を持っていましたが、行かれていたとは、さすがです。
> 古事記に親しむのも、こんな解りやすい、また楽しい催事を考えていく事が、
> 親しみを持って貰える一つの手段かな、と考えていますが如何でしょうか。
いいですね。このように難しい古事記を鞣(なめ)すことが、古事記に親しんでもらうためには大切です。「るるぶ古事記」の発売など、どんどんこのような方向に進んでいくことを望んでいます。