6月に『古事記』をテーマにした講演をご依頼いただいた。過去のPowerPoint資料に手を入れてアップデートしているとき、「そういえばスサノオノミコトは、熊野エリアで信仰されていたな」ということを思い出した。
※トップ写真は補陀落山寺本堂。ご本尊は千手観音(秘仏)で、前立仏が拝観できる
スサノオをご祭神にしている神社もたくさんある。私は和歌山県に生まれたのに、熊野三山すらちゃんとお参りしていなかったことに気づき、この機会に参拝することにした。
補陀落山寺の手前(駅寄り)にある熊野三所大神社(おおみわやしろ)。もとはお寺と一体
だったようだ。熊野那智大社の末社で、「浜宮王子」と呼ばれた。「王子」は御子神の意
そこで1泊2日で熊野エリア(紀伊勝浦・新宮方面)を訪ねることにした。熊野三山は、2日目に定期観光バスで巡拝する。初日(2022.5.11)は早朝から鶴橋経由天王寺から「特急くろしお」で紀伊勝浦入り(町名は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町、JRの駅名は紀伊勝浦)。天気予報はあいにくの傘マークだった。
鳥居の横に、推定樹齢800年という大楠があった
勝浦の駅前でマグロ丼の昼食を済ませたあと、JRの普通列車で那智駅へ。この駅前に補陀落山寺(ふだらくさんじ=那智勝浦町大字浜ノ宮348)と熊野三所大神社があり、近くを熊野古道(熊野参詣道 中辺路)が通っている。
三所大神社には、熊野那智大社の主祭神である熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ)、
熊野本宮大社の主祭神である家津御子大神(けつみこのおおかみ)、熊野速玉大社
の主祭神である熊野速玉大神(はやたまのおおかみ)が祀られている
ここは補陀落渡海信仰のメッカだ。補陀落とは、インド南部にあると伝えられるポータラクの音訳で、観音さまが住んでいる浄土(補陀落浄土)である。補陀落山寺はNHKの「ブラタモリ」(2019.4.20)にも登場したので、ご覧になった方も多いことだろう。なお『日本大百科全書』によると「補陀落渡海」とは、
補陀落浄土を目ざして船で単身渡海すること。補陀落とはインドの南海岸にある山で、ここに観世音菩薩 が住んでいるという。阿弥陀信仰が極楽浄土を願うように、観音信仰ではこの観音菩薩のいる補陀落山に往生することを願うのである。
「ブラタモリ」にも登場した渡海船の復元模型。入母屋造りの箱の中に住職などが
入り、外から釘を打ち付けて蓋をした。箱の四隅には鳥居が立てられている
『吾妻鏡』に、1233年(天福1)に御家人 の下河辺行秀 (しもかわべゆきひで) が紀州那智の海岸から補陀落渡海したという報告がある。船に屋形をつくり、外から釘を打ち、30日分の食糧などを積んで単身出発したという。
この地には補陀洛山寺があり、ここの住職は60歳になると渡海したと伝えられている。この寺の背後には那智山があり、補陀落山に擬され信仰されてきた。
箱は一辺が1m少々ほどの立方体だ。この中に閉じ込められるだけで、頭が変になりそうだ
補陀落渡海はわが国の独特な思想といえるが、そこには日本人の神観念が表れている。死後魂は海上のかなたにある先祖の住む常世国 (とこよのくに) に帰るという考えが、その根底に流れているのである。それが観音信仰と結び付いたものといえよう。
那智勝浦観光サイト(一般社団法人 那智勝浦観光機構)に載っていた「那智参詣曼荼羅図」(たぶん模写)。下の端に渡海船と、沖までそれを曳航する2隻の小舟が描かれている
お寺を守る男性がとても親切で、補陀落渡海信仰のことや井上靖の短編小説「補陀落渡海記」のことを教えてくださり、さらに「那智参詣曼荼羅図」(模写)をもとに絵解き(絵図をもとにした解説)までしてくださった。小説「補陀落渡海記」は、これから読んで、いずれ当ブログでも紹介することにしたい。
※トップ写真は補陀落山寺本堂。ご本尊は千手観音(秘仏)で、前立仏が拝観できる
スサノオをご祭神にしている神社もたくさんある。私は和歌山県に生まれたのに、熊野三山すらちゃんとお参りしていなかったことに気づき、この機会に参拝することにした。
補陀落山寺の手前(駅寄り)にある熊野三所大神社(おおみわやしろ)。もとはお寺と一体
だったようだ。熊野那智大社の末社で、「浜宮王子」と呼ばれた。「王子」は御子神の意
そこで1泊2日で熊野エリア(紀伊勝浦・新宮方面)を訪ねることにした。熊野三山は、2日目に定期観光バスで巡拝する。初日(2022.5.11)は早朝から鶴橋経由天王寺から「特急くろしお」で紀伊勝浦入り(町名は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町、JRの駅名は紀伊勝浦)。天気予報はあいにくの傘マークだった。
鳥居の横に、推定樹齢800年という大楠があった
勝浦の駅前でマグロ丼の昼食を済ませたあと、JRの普通列車で那智駅へ。この駅前に補陀落山寺(ふだらくさんじ=那智勝浦町大字浜ノ宮348)と熊野三所大神社があり、近くを熊野古道(熊野参詣道 中辺路)が通っている。
三所大神社には、熊野那智大社の主祭神である熊野夫須美大神(ふすみのおおかみ)、
熊野本宮大社の主祭神である家津御子大神(けつみこのおおかみ)、熊野速玉大社
の主祭神である熊野速玉大神(はやたまのおおかみ)が祀られている
ここは補陀落渡海信仰のメッカだ。補陀落とは、インド南部にあると伝えられるポータラクの音訳で、観音さまが住んでいる浄土(補陀落浄土)である。補陀落山寺はNHKの「ブラタモリ」(2019.4.20)にも登場したので、ご覧になった方も多いことだろう。なお『日本大百科全書』によると「補陀落渡海」とは、
補陀落浄土を目ざして船で単身渡海すること。補陀落とはインドの南海岸にある山で、ここに観世音菩薩 が住んでいるという。阿弥陀信仰が極楽浄土を願うように、観音信仰ではこの観音菩薩のいる補陀落山に往生することを願うのである。
「ブラタモリ」にも登場した渡海船の復元模型。入母屋造りの箱の中に住職などが
入り、外から釘を打ち付けて蓋をした。箱の四隅には鳥居が立てられている
『吾妻鏡』に、1233年(天福1)に御家人 の下河辺行秀 (しもかわべゆきひで) が紀州那智の海岸から補陀落渡海したという報告がある。船に屋形をつくり、外から釘を打ち、30日分の食糧などを積んで単身出発したという。
この地には補陀洛山寺があり、ここの住職は60歳になると渡海したと伝えられている。この寺の背後には那智山があり、補陀落山に擬され信仰されてきた。
箱は一辺が1m少々ほどの立方体だ。この中に閉じ込められるだけで、頭が変になりそうだ
補陀落渡海はわが国の独特な思想といえるが、そこには日本人の神観念が表れている。死後魂は海上のかなたにある先祖の住む常世国 (とこよのくに) に帰るという考えが、その根底に流れているのである。それが観音信仰と結び付いたものといえよう。
那智勝浦観光サイト(一般社団法人 那智勝浦観光機構)に載っていた「那智参詣曼荼羅図」(たぶん模写)。下の端に渡海船と、沖までそれを曳航する2隻の小舟が描かれている
お寺を守る男性がとても親切で、補陀落渡海信仰のことや井上靖の短編小説「補陀落渡海記」のことを教えてくださり、さらに「那智参詣曼荼羅図」(模写)をもとに絵解き(絵図をもとにした解説)までしてくださった。小説「補陀落渡海記」は、これから読んで、いずれ当ブログでも紹介することにしたい。
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