tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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「聖徳太子」はいなかった!

2006年12月09日 | ブック・レビュー
発売されたばかりの「歴史街道」(07年1月号 PHP研究所刊)を買ってきた。

目あての記事は「特集 これならわかる! 関裕二先生の古代史100問100答」だ。来年1月に受験する「奈良検定」対策というわけではない。最近は古代史研究がどんどん進んでいるので、自分の知識をアップデートしておかないと、(特に他県から来られた方に)間違ったことを言うリスクがあるからだ。

最も興味のあったのが「聖徳太子」のこと。先日(11/26)訪れた平等寺(びょうどうじ 桜井市三輪)も、太子により「大三輪寺」として創建された、とされている。
※写真は、同寺境内にある聖徳太子像。目がちょっと怪しい。

以前、谷沢永一著『聖徳太子はいなかった』(新潮新書 04年4月刊)を読んだことがある。同書によると、太子実在の証とされる「現物」(銘文)と「文章」(経典の注釈書)の各3点セットは、いずれも太子とは無関係なのだそうだ。

法隆寺の釈迦三尊像・薬師像、中宮寺の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)それぞれの銘文は後世の叙述であり太子とは無関係、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」の3つ(=「勝鬘経義疏」「法華義疏」「維摩経義疏」)は敦煌などの発掘調査で、中国で書かれたものだと判明したという。

谷沢氏は《聖徳太子は蜃気楼である。聖徳太子は、古代日本における憧れの心情に基づく理想の人間像を、文字のうえに結晶させたところの、誠に発する虚構である》とする。

「歴史街道」の特集記事に、関裕二氏(歴史作家)は以下のように書いている。

《Q64 聖徳太子の本名は何ですか? 実は、わかりません。『日本書記』が厩戸皇子(うまやどのみこ)、豊聡耳(とよとみみ)など、あまりにも多くの名を掲げているからです。ちなみに聖徳太子という名は後世つけられたものです》

《Q65 聖徳太子は実在しなかったという説もありますが? 「聖者」としての聖徳太子は『日本書紀』の文飾であり、架空とする説が一般的です。つまり聖者ではなく、凡人の厩戸皇子なら実在しただろうというのです。『日本書紀』が蘇我氏の悪逆ぶりを引き立たせるために、聖徳太子を聖者に仕立てたと考えれば、十分ありうる話で、今後の論争が楽しみです》

そういえば娘(中学生)の歴史教科書には、最初の1か所だけ《厩戸皇子(聖徳太子)》とあり、あとはすべて《厩戸皇子》と書かれていた(日本書籍新社版)。

この「歴史街道」の特集には、上記のほか《天皇家は、どこからやってきたのですか》《蘇我氏はなぜ天皇家に背いたのですか》《長屋王はなぜ祟るといわれたのですか》など、私のような古代史ビギナーの疑問にわかりやすく答えてくれている。

知識のアップデートにも、もちろん「奈良検定」対策としてもお勧めだ。
コメント (7)
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