てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

てつりう“光源学”(5)

2006年10月25日 | 美術随想
 「美の壺」の中では、谷崎潤一郎の代表的な随筆である『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』についても触れられていた。ぼくは特に谷崎の愛読者というわけではないが、この本は何年か前に図書館で借りて読んだことがあった。そのときはそれなりにおもしろく読んだような気がするが、何しろ年月が経ってしまっているので、詳しいことは思い出すことができない。この機会に文庫本を買い込み、急いで読み返してみた。

 一読して思うのは、これはやはり日本人独特の感性で書かれたものだということである。日本家屋や工芸品、あるいは羊羹や味噌汁といった食べ物の中に、谷崎は陰と光の妖しい戯れを見出そうとしているのだ。谷崎といえば世界各国で翻訳されている小説家であるが、こういう美意識が海外の読者にどれほど伝わるものか、はなはだおぼつかないという気がする。

 逆に、谷崎の書いていることが多少なりとも実感できるこのぼくは、まだしも運がよかったといえるのかもしれない。ぼくが生まれたのは谷崎が世を去ってから6年後だが、そのとき日本はすでに高度経済成長期のピークともいえる時期を迎えていて、谷崎的世界は加速度的に過去へと押し流されていたはずだ。ぼくは北陸の田舎町に生まれたので、家の周辺には田んぼがたくさん残り、夜の闇はまだ深かったように思う(前述のとおり、星がよく見えたものだ)。夏休みに親戚の家に泊まりに行くと、用水路のほとりに蛍の飛び交うのが見えることもあった。もし都会のど真ん中に生まれていたら、谷崎が書いたことの片鱗も理解できなかったかもしれない。

   *

 この本が書かれたのは昭和ひとけたのころだが、そのときすでに「和の明かり」は西洋式の照明におびやかされていたようである。

 《京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、ここの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯ではあまり暗すぎると仰(お)っしゃるお客様が多いものでござりますから、拠(よ)んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のままの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。》(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』中公文庫、一部表記を改めた)

 時は過ぎ、今では“電燈”がほとんど日本中を席巻してしまったかに思われる。現在でも一部の店では、この国の伝統的な明かりを想起させるインテリアを見かけることがないわけではない。しかしそれは「和の明かり」ではなく、あくまで「和風の明かり」にすぎないともいえるだろう。今となっては、ろうそくだけの明かりなど思いもよらないことにちがいない。煌々と輝く明るい照明に慣れてしまった目には、「ろうそくの暗さ」はわかっても、「ろうそくの明るさ」はもうわからないのだ。

   *

 先日のことだが、京都で開かれているプライスコレクションの展覧会に出かけた。アメリカ人の手で収集された江戸絵画コレクションの、いわば里帰り展である。といっても、ぼくはその展覧会のすべてを堪能してきたわけではない。会期の途中で展示替えがあるので、前期にしか出品されない8点の作品をひと目観ておくために、所用の合間を縫って駆けつけたのだった。

 会場に入ったときは、すでに午後4時に近かった。閉館まで1時間しかないが、近年の伊藤若冲ブームも手伝ってか、館内には人があふれていた。すべての絵をじっくり眺めることはできそうもないが、8枚の絵を観るためにはじゅうぶんである。ぼくはそう割り切って、順路に従ってずんずん先へ進んでいった。

 この美術館では、企画展示室は3階にある。しかし今回は3階から始まって4階へとつづき、さらに1階のロビーにしつらえられた特別室までつづくという、かなりの長丁場である。その特別室というのがまた凝っていて、窓際に12の床の間を作り、そこに酒井抱一の『十二か月花鳥図』を1枚ずつかけ、障子をとおした自然光で鑑賞するようになっていた。江戸時代に描かれた絵画を、できるだけ当時に近いシチュエーションで観られるように、ということらしい。当然のことながら、照明は使われていない。

   *

 ぼくは閉館間際にようやく特別室にたどり着いたが、絵を観るためにはあまりにも暗すぎるように思われた。すでに夕方になっているので、無理もない。ぼくは適当に絵の前を歩いただけで、そのまま帰った。後期展示を観にくるときには、もっと明るい時間帯に来よう、と思いながらだ。

 しかしこのたび『陰翳礼讃』を読み返してみると、谷崎はこんなことを書いているではないか。

 《われわれはよく京都や奈良の名刹を訪ねて、その寺の宝物と云われる軸物が、奥深い大書院の床の間にかかっているのを見せられるが、そう云う床の間は大概昼も薄暗いので、図柄などは見分けられない、ただ案内人の説明を聞きながら消えかかった墨色のあとを辿って多分立派な絵なのであろうと想像するばかりであるが、しかしそのぼやけた古画と暗い床の間との取り合わせが如何にもしっくりしていて、図柄の不鮮明などは聊(いささ)かも問題でないばかりか、却ってこのくらいな不鮮明さがちょうど適しているようにさえ感じる。》(同)

 ぼくはどうやら、絵を鮮明に観ることにばかり汲々としすぎていたようだ。陰翳を味わうことは、決して簡単なことではないのである。

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2 コメント

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Unknown (遊行七恵)
2006-10-26 15:35:43
こんにちは

ああもう、続きが楽しみでイライラします(泣)

イラチな大阪人は多分わたしだけではなく、明治の頃もみんなイラチだったように思います。

そんなイラチが集まった大大阪で、ピカピカ明るい電灯が喜ばれたのは想像に難くないですネ。



美意識と文明との相克というものを感じました。

文化と文明の違いとでも言うべきでしょうか。

<和>には薄い闇と仄かな灯りが似合いますね。

それを尊び悦んだからこそ、『陰影礼賛』が生まれたわけですが、谷崎もその境地にたどり着くまでに長い間彷徨したように思います。



プライスコレクションは上野で見ました。

照明の当て方の変異で絵の表情が変化するのに驚き、呆然と口をあけて眺めてました。

京都とは少しメソッドが違うようです。



両方をテツさまに味わってほしかった、とつくづくこの随筆を読みながら思ってます。
こんばんは (テツ)
2006-10-27 03:38:32
イライラさせてしまって申しわけありません・・・。どうかご容赦を。

ちなみにこちらは、仕事のことで日々イライラさせられております(苦笑)。



文化と文明の違い、確かにそうですね。一見似ているようでも、それらは正反対のベクトルを持っているのでしょう。両方をバランスよく取り入れるのが、賢明な生き方なのかもしれません。といっても、それがなかなか難しいのですが・・・。

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