〔EXPO’70パビリオン内部にある大阪万博テーマ館の模型(2016年12月10日撮影)〕
最近になって、吹田市の万博記念公園にある岡本太郎作『太陽の塔』が注目を集めている。
というのも、これまで非公開だった塔の内部の「生命の樹」が改修され、48年ぶりに一般公開されているからである。その模様はテレビ番組でも特集され、責任者である平野暁臣氏(岡本太郎の親戚にあたる)は出ずっぱりで、今年の前半を代表するトピックスのひとつを形成していた。
ぼくも昔は「太陽の塔」が好きで、何度も観に行ったことがある。とはいっても、ぼくが生まれたのは大阪万博のあった翌年なので、テーマ館として機能していた姿は知らない。その後、緑豊かな公園として整備された跡地のなかに佇立する巨大な彫刻のようにして、ひたすら外側から塔を眺めていたにすぎないのだ。まるで、内臓の抜かれた剥製を愛でるかのように・・・。
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ただ、最近は万博記念公園へ足を運ぶ機会も少なくなった。何といっても、公園内にあった美術館が移転してしまい、吹田へ行く用事がなくなってしまったことが大きな原因だろう。
前にも書いたが、その「国立国際美術館」は中之島に移転し、今ではその珍奇な外観にも驚かないぐらい馴染んでしまったが、別の見方をすれば、その観客の少なさに驚かされることもなくはない。今はやりの伊藤若冲とか、フェルメールとかの展覧会なら、数時間待ちの行列も覚悟しなければならないご時世なのに、この美術館では列に並んだ記憶がまったくないのだ。
それはもちろん、「国立国際美術館」が、現代美術に特化した特殊なコレクションを有する美術館だからである。逆にいえば、現代美術にアレルギーのある人は決してここには来ないだろう。だが、現代美術に理解のある少数(?)の観覧者たちで、果たして運営が成り立つのだろうか、という疑問も捨てがたい。
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思い出すのが、何年か前に同館で開かれた工藤哲巳の展覧会のことである。工藤のことは一般的にあまり知られていないのではないかと思うが、熱心な観衆たちでそこそこ賑わっていた。ただ、工藤の作品について自由に語り合うというワークショップのようなイベントがあったのだが、予約なしで自由に参加ができるという割に誰も参加者がいなかったらしく、係員の人が会場内から出てきて「どなたかお越しになりませんか」などと控えめに呼びかけていたものだった。
たしかに、現代美術は鑑賞することはできても、それについて語るというのは、かなり困難を極めることだという気がする。いうまでもなく、色が綺麗だとか、描写が正確だなどという評価は、現代美術には当てはまらない。では、いったい何について語るべきなのか・・・。それはおそらく、日常生活から遠くかけ離れた、哲学にも似た、何かそんなものだ。
10年ほど前に、「現代美術に肩まで浸かる ―国立国際美術館私記―」という連載をこのブログ上で書いたが、未完に終わった。久しぶりに同じテーマを引っ張り出して、思いつくままを綴ってみようと思い立ったが、果たしてどうなることか?
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