ピエール=オーギュスト・ルノワール『シャクヤク』(1880年頃)
静物画を描いても、やはりルノワールはルノワールだ。
しかしこの『シャクヤク』という絵は、彼にしてはずいぶん激しい感じがする。日本では「立てば芍薬」などというが、和風な美人の形容にしては、あまり似つかわしくない。
前にも書いたように、ルノワールに教えを受けた梅原龍三郎は、花瓶や壺に生けられた花を好んで描いた。しかしこの絵と比べると、あの色彩豊かな梅原にしても、少しおとなしく見えてしまう。こちらのシャクヤクも花瓶に入れられてはいるのだが、まるで自然のなかで咲き乱れる花のような生命力にあふれている。背景の処理も劇的で、室内の情景とは思えない。
思うに、この時期のルノワールは、画家としての曲がり角にさしかかっていることを自分で感じ取っていたのではあるまいか。いいかえれば、ひとつの秩序を求めていたのではないかという気がする。
印象派と呼ばれる芸術運動は、筆触分割や明るい色彩がその特徴だといわれているけれども、特に決まった描法のルールがあるというわけでもないし、固定されたメンバーがいたわけでもない。そのせいか、画風の変遷によって、参加者の顔触れはしょっちゅう入れ替わっていたと思ったほうがいいだろう。
ルノワールもこのころ、印象派展への出品を見送っている。そして1881年のイタリア旅行の際、古典的な絵画に出会ったのが契機となり、しばらく輪郭線のはっきりした作品を描くようになる。彼はいわば、明確なフォルムに飢えていたのだ。『シャクヤク』は、そうなる前の彼の限界点を示す一枚といえるのかもしれない。
***
ピエール=オーギュスト・ルノワール『タマネギ』(1881年)
いきなり何の前触れもなく、タマネギの絵が出てきたときには驚いた。そもそも、あまり好んで取り上げられるモチーフとはいえない。手前にはにんにくもあるし、まるでキッチンの片隅を描いたような生活感がある。
いやそれよりも、『シャクヤク』であれほど乱れていた筆跡に、ルノワールならではの豊かな質感がよみがえってきたのが喜ばしい。輝かしい光沢に包まれた、まるまると太ったタマネギ。手に持った時の、ずっしりとした重さが心に浮かぶ。この野菜をこんなに愛らしく表現した人が、ほかにいるだろうか。
この絵が描かれたのは、先ほど述べたイタリア旅行の最中のことであった。ということは、普段はイタリアの美術館にかよって古典絵画などを観ていたりしたのだろう。そんな生活の気分転換に、そこらに転がっていた野菜を軽い気持ちで描いたのかもしれない。
ついでながら、タマネギは赤と青で縁取られた白い布の上にのっている。このトリコロールの色が、早くフランスに帰って存分に仕事がしたいというルノワールの思いのあらわれのような気がするのは、考えすぎだろうか。
つづきを読む
この随想を最初から読む