てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

ルノワールと、その他の名品(16)

2013年09月03日 | 美術随想

ピエール=オーギュスト・ルノワール『劇場の桟敷席(音楽会にて)』(1880年)

 ルノワールは肖像画家という仕事がら、社交界とも付き合いがあったはずだ。庶民のわれわれにはちょっと敷居が高いような場所や、優雅にドレスアップした婦人の姿がたびたび描かれている。

 『劇場の桟敷席(音楽会にて)』も、そういう一枚である。女性たちのまとった黒と白の衣装、背後の臙脂色のカーテン(もとは別の人物が描かれていて、それを塗りつぶしたのだという)など、シックで高級感にみちたあしらいに、バラの花束が色を添える。日本の近代化されたコンサートホールしか知らないぼくには、この場の雰囲気はちょっと想像しづらいのだが・・・。

 ただ、どちらの女性の顔も、あまり楽しそうには見えないのが気にかかる。とりわけ左側の女性は椅子の背に肘をつき、いわゆる“憂鬱質”のポーズで描かれている。「本当は音楽なんか聴きたくないのに、良家の子女のたしなみとして仕方なく来てるのよ・・・」といった心のつぶやきが聞こえてきそうだ。

                    ***


参考画像:ピエール=オーギュスト・ルノワール『桟敷席』(1874年、コートールド・コレクション蔵)

 ここで、やはり劇場を舞台にした『桟敷席』という有名な作品をどうしても連想したくなってしまう。これはルノワールが第1回の印象派展に出品した絵のひとつだ。ぼくは前に取り上げたマネの『フォリー・ベルジェールのバー』などとともに、1998年にこの名画を観る機会にめぐまれた。

 そのときの印象をはっきり思い出すことはできないが、ラフな筆触で描かれた髪の毛やドレスと、端整で古典的な女性の表情とが、妙な不協和音を奏でていたのを覚えている。すでにこのころから、ルノワールの画風がいわゆる印象派の範疇だけでは収まりきらない、複雑な要素を秘めていたことがわかる。

 そして、先ほどの絵と共通しているのは、女性の浮かない顔つきだ。まるで、一抹の寂しさというか、諦念さえもただよっているようではないか。彼女は上流階級に生まれたなりに、何かと気苦労もあるのだろう。

 音楽会という社交場を心から楽しんでいるのは、彼女の後ろで他の淑女たちをオペラグラスで眺めている、下心たっぷりの男だけなのだった。

つづきを読む
この随想を最初から読む


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。