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諸井誠さんの訃報を聞いて、懐かしい名前に接した気がした。同時に、クラシック音楽にかぶれていた少年の日のことを思い出した。
諸井誠といっても、一般にはさほど知られた人ではないと思う。日本の作曲家の草分けのひとりである諸井三郎の息子として生まれ、みずからも父親と同じ職業を選択した。その作風はかなり前衛的な技法を駆使したものだったらしいが、現代音楽の愛好家というわけではないぼくは、諸井さんの作品はほとんど聴いたことがない。
ではなぜ、あえて諸井さんの追悼文を書く気になったかといえば、ぼくがクラシックに熱中しはじめた小学校の高学年のころに、FM放送の進行役としてその声を毎週聞いていたからだ。その番組は、リスナーからリクエストを募って選曲されるもので、ポップスなどではよくあるが、クラシックのレギュラー番組としては唯一のものだったのではなかろうか(この企画の司会は、のちに指揮者の大友直人やピアニストの清水和音らによって引き継がれたのまでは覚えている。その後のことは知らない)。
ところで、新入りのクラシックファンだったぼくは、未知なる曲をどんどん聴きたくてうずうずしていた。からからにひからびたスポンジが、水で潤されるのを待っているような状態だった。当然の成り行きとして、ぼくは番組にリクエストのはがきを何枚も出した。曲紹介のときに、諸井さんはリクエストをした人の名前を何人か読み上げるのだったが、ぼくもそうやって、彼の口から何度か名前を読まれたことがあるのである。そのときの喜びは、今も忘れられない。
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当時の放送番組を通してぼくが親しんでいた作曲家のなかでは、テレビの司会をしていた芥川也寸志と黛敏郎に並んで、諸井さんは大切な存在だった。けれども、いつもラジオを通してその声を聞いているばかりで、お顔をテレビで拝見したのは一度しかなかった。
諸井さんは、世代としては武満徹と同い年で、前衛音楽のど真ん中という感じだが、武満の人物像がもっている超俗的な、ある意味で取っ付きにくいところは少しもなく、声を通して知るかぎりでは温厚な、優しそうな紳士に思われた。
彼はクラシック音楽の現場で仕事をする人間として、ラジオの曲紹介の合間に、ちょっとしたエピソードとか、個人的な思い出などを話してくれることが多かったように思う。そのためにトークの時間が長くなり、採用されるリクエスト曲の数はおのずと制限された。彼が番組のなかでぽつりともらしたところによると、もっと話を短くして、たくさんの曲を紹介してほしい、という意見もあったようだ。たしかに、自分がリクエストした曲が放送されるのを今か今かと待ち望んでいるリスナーにとっては、まどろっこしいと感じられても仕方がないかもしれない。
けれども、そんな諸井さんのお喋りを歓迎する意見もあったように覚えている。次々と曲を紹介するだけなら、アナウンサーでもできるだろう。ぼくは、自分のリクエストが取り上げられないときであっても、聞き心地のよいバリトンの声で紡ぎ出される興味深い話に、わくわくしながら耳を傾けていたものだった。
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心よりご冥福をお祈り申し上げます。
(了)
(画像は記事と関係ありません)