てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

焼けてしまった喫茶店

2015年03月01日 | その他の随想


 この季節になると、火事で死者が出たというニュースが毎日のように報じられる。まったく、うんざりするほどだ。火事の原因はいろいろあるのだろうが、われわれの日常生活をどん底に突き落とす不幸のひとつにしたところで、天災とはいえない。そこには、何らかのかたちで人の手がかかわっているはずだ。

 ぼくの勤める会社から道を挟んで、すぐ近くに消防署がある。万が一、会社から火でも出ればすぐに駆けつけてもらえるのだが、そうでないときにも、しょっちゅう出動のサイレンに驚かされることになる。遠くから消防車の音が近づいてくるときには心の準備ができるのだが、何もないところで突然あの音を聞かされると、はっとする。もちろん、そのために騒々しいサイレンを鳴動させるのでもあろうが・・・。

 なかには、近隣の消防署からの援軍を得て、たくさんの消防車がいっせいにどこかへ向かうのが聞こえることがある。こちらは野次馬と思われるのはご免なので、窓から外を覗いてみることはない。しかし本当の大火災ならば、窓から炎や煙が見えるはずだ。ただ、家に帰ってニュースを見ても、あの一帯で火事があったという報道はまずない。死者が出なかったからなのか、それとも何かの間違いだったのか? よくわからないが、こんなことを疑問に思うのも不謹慎というものであろう。

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 去る1月なかばのこと、ひとりの死者も出なかった火事が、全国的に報道されたことがある。

 焼けたのは、京都市の喫茶店「ほんやら洞」だった。といっても、今は知る人ぞ知る店ではないかと思うが、1972年にオープンしたというから、「学生街の喫茶店」という歌がヒットした年である。単なる飲食店としてではなく、ひとつの文化の拠点としてのカフェのありかたを示した、パイオニア的な一面もあったらしい。

 らしい、というのは、ぼくはその店に一度も行くことがなかったからだ。けれども、そこの経営者であった写真家の甲斐扶佐義(ふさよし)の写真集は、手にしたことがある。今回の火事があってからも、その焼け跡を見に行ったりする代わりに、「ほんやら洞」と、やはり甲斐氏が経営するバー「八文字屋」を訪れた女性客たちを写した一冊を図書館から借りた。

 写真は、すべてモノクロだ。いってしまえば、カメラマンの眼にとまった美しい女たちを何百人も撮影した、一種のカタログのような意味もあるかもしれない。ただ、そこに写っている人のなかには、有名人はほとんどいない。おときさんこと加藤登紀子、なぜか山田花子、作家の山田詠美など数人にすぎぬ。関西在住の人には、五山の送り火中継でお馴染みKBS京都の平野アナの、若き日の麗しい姿も。

 それ以外はほとんどが学生や主婦、観光客などである。あるいはその店でアルバイトをしていた女の子が、お客として凱旋(?)したときの一枚など。ぼくは「ほんやら洞」が果たした文化的な側面はよく知らないが、彼女たちの顔を見ると、皆生き生きとしている。眼が輝いていて、将来の計画について今にも熱く語り出しそうな勢いがある。サラリーマンが仕事帰りに立ち寄る飲み屋とは、わけがちがう。

 なるほど、「ほんやら洞」とは、こういった人たちが集まり、未来を夢見つつ羽を伸ばすような空間だったのかもしれない。その積み重ねこそが歴史であり、文化を生むのだ。そういう場所があることは京都にまさにふさわしいが、無惨に焼け落ちてしまったことは、悔やまれる。

(了)

(画像は記事と関係ありません)

参考図書:
 甲斐扶佐義写真集「Beautiful Women in Kyoto ― 京都ほんやら洞・八文字屋の美女たち」(冬青社)

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