てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

宮殿からの豪華な団体客 ― エルミタージュの美に触れる ― (13)

2012年12月17日 | 美術随想

クロード=ジョゼフ・ヴェルネ『パレルモ港の入り口、月夜』(1769年)

 今回は月夜二態を取り上げてみたい。

 この美しい風景画は、『死の天使』を描いたオラース・ヴェルネの祖父であるクロード=ジョゼフ・ヴェルネの作だという。といっても幻想味の濃厚な孫の絵とは似ても似つかず、堅実な描写で夜の海景を描いている。

 雲の切れ間で煌々と輝く満月と、その右側で悠々と海上を滑る大きな帆船のシルエットがまず眼に飛び込んでくるが、ふと気がつくと、前景にはさまざまな人間どもがうごめいているのがわかる。左手前には火が燃え盛っているが、単なる焚き火ではなく、食料を熱して食べようとしているところだろうか。疲れきった風情で積み荷の上にへたりこんでいる者もいるし、右側では男が無理な体勢で漁をしている最中のようだ(近くに置かれている魚籠からは、ご丁寧に魚の尾びれがのぞいている)。

 まことに平穏に見える夜空と、その一方で夜が更けても慌ただしく活動しつづける人間と・・・。今から250年近く前の絵画であるのに、まるで現代の縮図のようにも見える。

 それにしても、何ごとにも動ぜずに自若としているのは、見るからに円満そうな月と、縮緬のような波をかすかに立てている海だけらしい。ぼくたちは去年、普段は穏やかな海が凶暴に荒れ狂うところを見せつけられてしまったわけだが、この静かなパレルモの海も、ときには荒れることがあるのだろうか。

 そのとき、夜の港に響き渡る人々のざわめきもどこかへ消えてなくなってしまうのだろうか。古代の城郭のように見える巨大な建物の影が、まるで歴史の生き証人さながらに聳え立ち、世界の変転をじっと見守っているかに思われた。美しい夜空の一瞬だけではなく、悠久と呼びたくなるような長大な時間の流れをも封じ込めた絵であった。

                    ***


ライト・オブ・ダービー『外から見た鍛冶屋の光景』(1773年)

 ライト・オブ・ダービーとは変わった名前だが、本名はジョゼフ・ライトという。イギリスのダービーに生まれ、そこで活動したのでこう呼ばれているようだ。つまり、ヴィンチ村に生まれたレオナルドを称してレオナルド・ダ・ヴィンチというようなもの。

 彼も夜景を得意とした画家であった。この絵では、煉瓦造りの小屋の煙突に、白い満月がかかっている。周辺は森のようだが、そのへん一帯を静かな月光が照らしているのであろう。それだけなら、穏やかな夜の情景にすぎない。

 けれどもこの絵の主役は、鍛冶屋である。小屋の内部では、こちらに背中を向けたひとりが、ちょうど鉄を鍛えているところだと思われる。周囲にはオレンジ色の光がみちているが、焼けた鉄から発した光にちがいない。閉ざされた窓の隙間からも、その光が外に漏れている。

 ライト・オブ・ダービーは、産業革命や、人類の近代化といったテーマを積極的に取り上げたという。40歳ほど後輩のターナーも機関車の絵を描いているし、のちに印象派の画家たちも近代の駅などを好んで描いたが、これほど真っ正面から“現場”に肉薄した絵は珍しいかもしれない。

 鍛冶屋の小屋にみちあふれる人工の輝きは、白く冴え返った月の光に比べてどぎつく、熱く、激しい。しかし、当時はこれこそが未来を照らす光明そのものであったことだろう。ただ、時代が進んで21世紀にもなってみると、人工の光で世界中をくまなく照らすことがいかに愚かなことだったか、遅ればせながら気付かされることになるのである。

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