てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

人体表現を巡る旅、その他(21)

2013年05月30日 | 美術随想
豊饒なるルーベンス その3


〔Bunkamuraザ・ミュージアムの向かいにある書店。美術書が充実している〕

 いきなりだが、最近よく使われるようになった単語に“デブ専”というのがある。平たくいえば、太った人が好き、というような意味だが、実際にはもっと際どい意味もあるようだ。

 そもそも“デブ”という言葉にやや差別的なニュアンスがあるような気がするので、ぼくはどのような文脈であっても“デブ”や“デブ専”などという呼称は用いたくない(その当人に向かっては、なおさらだ)。だが、今回はやむを得ず、それを使うこととしたい。要するに、美術史上の“デブ専”は誰か、ということである。

 まず頭に浮かぶのは、どうしてもルノワールだ。ルノワールはほっそりとした少女像なども描いたが、とりわけ晩年、豊満な裸婦を飽かずに描きつづけた。実際にそういう体型のモデルが彼の周辺にいたのかもしれないが、ルノワール自身の好みがかなり反映されていることはたしかだろうと思う。

 だが、それは単に太っているということだけではなくて、太陽の下で女たちが水浴をしているシーンなどからも、近代化とともに失われた人間の原始の姿や、女性のたくましさといったものを回復させたいという彼の意欲が垣間見えるような気がする。

 太った女性は、たとえば多産な母体や、肥沃な大地の豊かさを連想させるではないか。世の中を汽車が走り、人工の建造物が寄り集まって都会を形成しつつある、そんな時流へのささやかなアンチテーゼとして、ルノワールは熟れた果実のような豊潤な女性を描きつづけたのかもしれない。

                    ***


ペーテル・パウル・ルーベンス『毛皮をまとった婦人像(ティツィアーノの模写)』(1629-1630年頃、クィーンズランド美術館蔵)

 そしてもうひとり、ルーベンスの名を忘れるわけにはいかないだろう。いや、あらかじめことわっておくと、ルーベンス個人としての性癖のことをどうこういっているわけではなく、またそんなことには興味もない。ただ、ぼくはルーベンスの描く女性の豊満な肉体が、いったいどこに由来するのかを知りたいだけだ。

 『毛皮をまとった婦人像』は、ティツィアーノの作品の模写である。ティツィアーノのオリジナルのほうは写真でしか観たことがないが、かなり忠実に写してあり、当時すでに50代を迎えていたルーベンスの優れた技量を証明するかのようだ(ただ原画より横幅が増え、ややヴォリュームが豊かになっている印象はある)。女の立ち姿は端整で、胸がはみ出してしまっていることにはまるで気づいていないかのように、淑女然としている。


参考画像:ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『毛皮をまとった婦人像』(1535-1537年、ウィーン美術史美術館蔵)

 だがやはり、そんなことはないだろう。ティツィアーノがこの絵を描くに至ったいきさつをぼくは知らないが、彼もかなりエロティックな裸婦像を好んで描いた画家なのだ。ちなみに『毛皮をまとった婦人像』のモデルの顔は、5年前に東京でも展示された同じ画家の『ウルビーノのヴィーナス』と共通しているようである。この女神の像が、かなり扇情的なポーズで描かれていることは、誰しも異論のないところではないかと思う。


参考画像:ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』(1538年頃、ウフィツィ美術館蔵)

 ルーベンスは、『毛皮をまとった婦人像』から醸し出されるエロティシズムを、敏感に感じ取ったのではあるまいか。この模写を描いたのとほぼ同じころ、妻を亡くしていたルーベンスは後添いをめとることになるが、ティツィアーノの絵姿を左右反転させて、その新妻を描いた。それが、有名な『エレーヌ・フールマン』である。


参考画像:ペーテル・パウル・ルーベンス『エレーヌ・フールマン』(1631年頃、ウィーン美術史美術館蔵)

 今だったらスキャンダルになるところだが、この女は当時、まだ10代後半だったそうだ。けれども、この絵で観るかぎり、とてもティーンエイジャーの肉体とは思われない。顔はまだ初々しい感じもするが、首から下は肉もたるんで、ほとんど熟女のそれである。

 先ほどルーベンス個人の趣味などどうでもいいと書いたが、プライヴェートな目的で描かれた裸婦像がこれでは、やはり推して知るべしであろうか。

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