独身のときは、観光地の嵐山から電車ですぐのところに住んでいた。どんな名所でも、あまりに近くにありすぎると出向く気になれないというのはよくあることだが、大阪に住むようになってからでも、なかなか嵐山を訪れる気分にはならなかった。
実をいうと、川のせせらぎが聞こえ、生い茂った竹林のなかを人が行き交う嵐山のよさを味わうには、観光シーズンはなるべく避けたほうがいいように思う。とくに紅葉の色づく秋は、鉄道の乗車率でいうと100パーセントを優に超える混みようだ。
久しぶりに阪急の嵐山駅で降り、渡月橋をわたる。といっても人の波がごっそり固まって移動しているだけで、大阪万博の入場ゲートはこんな感じではなかったかと想像したくもなる。かつてはもちろん木の橋だったはずの渡月橋だが、そのままでは現代の“秋の民族大移動”に持ちこたえることはできなかっただろう(現在でも橋は一見すると木製だが、本体はコンクリートで頑丈に作られているはずだ)。
橋を渡りきると、交通整理をしている人が「人力車が4台通りまーす」などと叫んで走りすぎる。もはや尋常ではない。早く人々が紅葉見物という年中行事に飽きて、嵐山が閑散としてくれたら楽なのにと思うが、日本人はこういう決まりごとは判で押したように繰り返してやまぬ癖があるらしい。
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天龍寺の東を通り、まっすぐに北上する。久しぶりに嵯峨野を散策するのだが、ちっとも心が安らがない。人ごみの様子だけ見れば、原宿あたりの雑然とした賑わいとあまり変わらないかもしれない。
道をただ歩いているだけでは、不思議なほど紅葉が眼に入ってこないことに気づく。ちょっと意地悪な考え方をすれば、だからこそ人々はお寺に入って庭を眺め、ついでにお金を落としていってくれるということなのだろうか。
やがて、道路の突き当たりに清凉寺が見えてきた。4年前の夏にここを訪れたときは、暴走した車が仁王門に突っ込んで悲惨な状態になっていたが、今ではすっかりきれいに修復されていたのでほっとする。少し境内をぶらついてみた。ここの紅葉は今ひとつだが、寒いせいか「あぶり餅」を売る茶屋の前には大勢の人が座って休んでいた。花より団子といったところか。
清凉寺を左へそれて進むと、宝筐院(ほうきょういん)という小さな寺がある。実は、本日のお目当てはここであった。白河天皇の勅願によって建てられた由緒ある寺だが、周辺にひしめくあまたの名刹の陰に隠れて、あまり目立たない。ぼくもここを訪れるのははじめてだったが、庭園の紅葉が美しいと聞いて、やって来たのだった。
どんな「宝の筐(はこ)」が、ぼくを待ち構えているのか。期待しながら、庭園への入口をくぐった。
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