てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

奈良ばしご・第2幕 ― 「正倉院展」のことなど ― (6)

2007年12月12日 | 美術随想


 この宝物を最初に観たとき、鹿の屏風なんていかにも正倉院らしいなと思ったら、ちがっていた。羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ、上図)という名前だから、この動物の正体は羊である。いわれてみれば、ぐるぐると渦を巻いた角は ― 先日の記事で写真を載せた大山崎の彫刻にもあるように ― 羊のものにちがいなかろう。

 だが、それでもちょっと引っかかる。本当に羊なら、例のモコモコしたウールをまとっていてもよさそうなものだが、ここに描かれた羊はそのように見えない。それに、羊にしては首や脚がやや長すぎるように思うし、姿勢がよすぎるような気もする。もちろん羊にもいろんな種類があるにちがいなく、ましてや千年以上も前の屏風であるから、実際にこのような姿の羊がいてもおかしくはないが、どうも納得がゆかないのだ。

 ちなみに、今回は出品されなかった宝物のなかに麟鹿草木夾纈屏風(りんろくくさききょうけちのびょうぶ、下図)がある。これこそ、紛うかたなき2匹の鹿が描かれた屏風であるが、この鹿たちの脚の形状と踏ん張り具合は、先ほどのあやしげな羊とよく似てはいないだろうか。ぼくが羊を鹿と勘違いしたのも、はなはだしい見当ちがいとはいえないかもしれない。



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 この羊の屏風は一見すると、草原で遊ぶ野生動物の生き生きした姿を表現した、非常に素朴なもののように思われる。だが実際には、かなり込み入った成立事情が隠されているらしいことが、徐々に明らかになってきているらしい。

 これとよく似た象木臈纈屏風(ぞうきろうけちのびょうぶ、下図)も、正倉院に伝わっている(今回は不出品)。これらふたつの屏風はサイズも同一であるし、図柄の描き方も似ていることから、一連のものではないかといわれていたが、最近になって一枚の布を切り分けて使用していることがはっきりした。



 ところで羊にしても象にしても、当時の日本にはいなかった動物である。江戸時代にベトナムから遠路はるばる象がやってきて、庶民の好奇心をくすぐったという話は前にも書いたが、羊が日本に入ってきたのはもっと遅くて、何と明治以降のことなのだそうだ(羊毛はそれ以前から輸入されていた)。となると、これらの屏風はもともと大陸で作られて、それが海を渡って伝来したのにちがいないという道理になるが、実は屏風の端っこに日本語で年記が書き入れられていて、これらが国産であることの動かぬ証拠となっているという。はて、どういうことか?

 さらに、イラン学者の伊藤義教によると、この屏風は大自然の動物を写したというような呑気なものではなく、ゾロアスター教の最高神が悪の神を追放する劇的な場面が描かれているというのである。たとえば例の牡羊は、ウルスラグナという軍神が化身した姿なのだそうだ。

 といわれてもぼくにはチンプンカンプンだが、その理屈はともかく、正倉院の屏風にゾロアスターの教義が描かれているというだけでかすかな抵抗を感じてしまう。この愛らしい ― ちょっと変テコな ― 羊の正体が、実は戦争の神様だったなんて!

 そんな屏風が天平時代の日本で作られたというのだから、ますます頭は混乱してくるというものだ。シルクロード研究で知られる長澤和俊は、「そのころ直接日本にやってきたペルシアの工芸家が作ったか、唐からそっくり同じような屏風がわが国に伝来し、それを模倣して作られたものだろう」と結論づけている(「正倉院の至宝 ― 宝物殿に眠る歴史の謎」青春出版社)。舶来品か、国産品かの妥協点は、そのへんに求めるしかあるまい。だがやはり、まだ釈然としない。

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 ここにもうひとつ、なかなか興味深い事実がある。象木臈纈屏風に描かれた象の脚は、当初はもっと短く、後年になって補筆されたものだという。つまりこの図柄は、実際に象を見たことのない人によって描かれた可能性が大きいのだ。のちに誰かの助言で、あるいは第三者の手によって、修正が加えられたものだろう。たしかに象の屏風と羊の屏風を並べてみると、象のほうがはるかに小柄に描かれていて、のっしのっしと歩く巨体のイメージからはほど遠い。

 それとは逆に羊のほうは実際よりも大柄で、堂々としている。さっきの何とかいう軍神の仮の姿だからかもしれないが、それよりも、根本に鹿のイメージがあったからではないかという気がする。だからぼくは最初にこれを観たとき、立派な鹿の屏風だと思い込んでしまったのだ、といってみたいのである。

 奈良公園の鹿たちは、春日大社の神の使いとして大切にされてきたわけだが、当時の工芸家はそんな鹿の神々しい姿にぐるぐる巻きの角をのっけて、海の向こうの見知らぬ異国にいるという羊の姿に見立てたのかもしれない。

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