藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

やっと到着「線条降雨帯」

2023-09-10 17:49:39 | 日記・エッセイ・コラム

 午前十一時には、雨になるとの予報だったが、一向に雨は降らず、暑い一日であった。 と、言っても30℃である。 何時もより、涼しく凌いでいた。 午後五時、突然雷が向かいの「螺山」のTVアンテナに…それと同時に強い風が・・・、加えて雨が降り始めた。 雨と言うより、消防車が放水した様な勢いの雨である。 三拍子そろった雨空は三十分すると、パラパラと屋根を叩く軽い音に変わり、雷も遠ざかって行った。 スマホでレーダーの映像を見てみると、「線条降雨帯」が今正に、我が家の上を通っている。 と再び激しい雨になり風が吹き荒れている。 慌てて掃き出しの窓を閉め、外を眺めた。 TVの音声はかき消されて、BSの画面は消えている。 数分間すると音声だけが帰って来たが、画面は黒いままだ。 待つこと十五分、画面も帰って来た。 既に番組は変わっていて、見たくもない釣り番組となっている。 下手な歌手が主題歌を歌っている。 本日も一日中、ベットの上で過ごしたが、明日は点滴の日で、翌日は歯医者で、上の奥歯を治療する予定である。 残った歯の本数も少なくなり、いっその事、総入れ歯の方がすっきりするのではないかと、思い始めている。 夕飯は何にすべきか悩んで、ベットから出ずにいる。


姉と同い年

2023-09-09 13:37:03 | 日記・エッセイ・コラム

   「natu blog」  の 「natu 様は」、わたしの一番上の姉と、同い年のようだ。 今でも、空襲の時の空を思い出すそうである。 我姉も、原爆投下時には、父方の実家に疎開していた。 現在は廿日市市となっているが、宮内と言う地名の小学校に通っていたが、空が光って音が聞こえるまでが長かったそうである。 こちらに居たら登校時で、爆風で飛ばされて、亡くなっていたかもしれない。 直ぐ上の姉は、1944年に肺炎で亡くなったそうである。 父は、満州航空の整備教官だったので、日本に上手く逃げる手立てをして、帰国していた。 原爆は、私は生まれて四か月。 畳の上に寝かされていたそうであるが、爆風で畳ごと二間飛ばされたそうである。 私の姉は、病気がちであるが、配偶者は94歳であるが、いたって元気である。 グランドゴルフで、高齢者の日本記録を作ったり、まめに体を動かしている様だ。 私の通っている病院のすぐ隣が公園で、昨日その駐車場で、「おーい、おーい」と呼ぶ声がしたが、まさか「義理の兄」とは思わないので、知らない顔をしていたら、名前を呼ばれて気付いった。 暑い最中、グランドゴルフの練習をされておいでであった。 そんな猛暑も少しは和らいできた。 昼寝が気持ちよく出来る気温である。 それにしても、同級生の訃報が、多く届いてくるようだ。 と言うこの身も、いつ地獄からお召しになるやら、・・・。 朝目覚めた時、「今日も生きて目覚めた」と一人思っている。 TVを見る関係上、夫婦で家庭内別居となっている。 奥様は耳が不自由なので、イヤホーンが離せない。私は聞こえすぎるので、奥様のイヤホーンでも、聞こえてきて眠れない。 加えて、いつの間にか資源ごみの日に、捨ててあったPCを拾ってきて、直して使えるようになった物が四台十畳の部屋を占拠している。 プリンターも三台、その真ん中で「小さくなって」寝ている。 奥様の耳の関係上、私は電話番でもある。 結構これが忙しいのである。 可部警察の「交通安全協会」の役員、「俳句の会」、「郷土史会」、「ハーンの会」等々電話が結構懸かって来るのだが、全て応答は私である。 近々、長年の役員活動で表彰されるらしいが、私がして頂きたい気分である。 昼寝の寝床から空を見たら、透き通った底が光る秋空が見えてきた。 孫娘の運動会は、今年の暑さから、十月最後の土曜日に成ったそうだ。 この家に引っ越してきたのは二十年前であったが、其のころは、小学校の新学期が始まると、風に乗って運動会の練習の音が聞こえてきたが、・・・・静かなものである。


みんな何処へ行ったやら・・・

2023-09-07 16:14:35 | 日記・エッセイ・コラム

  昨日八時十五分、期待いっぱいに家を出たが、アキアカネは一匹もいなかった。 否一匹はいたが、あの圧倒的の姿は何処へ行ったやら・・・。 点滴を受けながら気になって仕方なかった。 帰宅したのが十一時、TVのスイッチを入れたら、なんとTVの画面いっぱいに、アキアカネが飛んでいた。 広島の地元TVが、北広島町の八幡高原の湿地で開かれた、自然観察会を取材して、放送していたのだ。 その画面の空に、埋め尽くす程のアキアカネ・・・ 圧巻だった。 北広島町は、国道191号線を北に進んで、鈴張と言う安佐北区の北端から、国道261号線に乗り換えて東に進み、島根県の県境近く広がる一帯を言う。 嘗ては、広島から、石見銀山に行くメイン道路だった。 途中で西に折れると、益田市に出る。 山陰道だ。 嘗ては、191号線は、広島の中心部から、山陰に一度出て西に向かい、萩を経て下関迄であった。 国道261号線は、同じ場所から始まり、太田川の西を遡り、191号線と交差して、吉川氏の発祥地、大朝から峠を越えて川本に向かい、石見銀山から松江に向かう道を行ったそうだ。 この大朝には、同じく銀山が存在した。 又、261号線は、西日本最大級の動物園「広島市安佐動物園」の傍を通っていた。 この地に、金山がった。 ここだけは、幕府所領地であった。 今でも、代官屋敷跡などがある。 アキアカネの事を書いていたら、別道に行ってしまった。 それと同じように、気温の上昇と共に、アキアカネも、避暑地に戻った様である。 ところでアキアカネが、中国や朝鮮から渡って来るという説は、間違いだ。 嘗て米が、中国大陸から渡って来た時に、同じ経路で渡来したのだそうだ。 一説には、朝鮮から対馬に白米の苗が盗まれてやって来た時、其の苗にアキアカネの卵が付いていたのではないかと言う説がある。 対馬から朝鮮は、晴れた日には見渡せる。 浜田市からも、晴れた日には見渡せるそうだ。 本日の気温33℃。 少しは気温が下がって来た。 夜は、25℃を下回った。 アキアカネが、国道191号線を、群れて飛ぶ日は近い様だ。


アキアカネ

2023-09-05 16:37:16 | 日記・エッセイ・コラム

   我が家は、福王寺山の南面に作られた団地にある。 その足元に、大毛寺川と言う川が流れている。 その川は、嘗ては暴れ川で、改修工事がされた後も、二度氾濫した。 元来この川は、西から東に向かって流れていたが、福王寺山の一部が崩落して、川を堰き止め、南に向かって流れを変え、一級河川「太田川」に合流した。 この川は、「広島」の町に到達し、七つの流れに分かれる。 つまり、「広島」の町を作り上げた流れの一部なのだ。 此の大毛寺川で、六月頃から「アキアカネ」は羽化し始め、七月になると低地の熱さを避けて、中国山地に避暑に行ってしまう。 お盆過ぎ頃から、生まれ故郷に帰郷し始めて、涼しい風に乗って群れて飛んでいる。 群れて飛ぶことには驚かないが、精々数十匹程度の集団だ。 生まれ故郷を離れている間に、体の色は少し赤身が増えて、「赤とんぼ」らしくなる。 「夕焼け小焼けの赤とんぼ」は、おそらく「アキアカネ」を歌ったものだろうと推測している。 何時もの年ならば、大毛寺川の上で群れて飛んでいるか、小学校のグランドの上、あるいわ残り少ない田んぼの上を飛んでいる。 確かに今年は、六月頃に大毛寺川の上を、例年より多く飛んでいる気がしたのは確かだった。 それにしても、昨日の朝の集団は、何だったのだろうか。 明日の朝、今一度確かめに出かけてみる予定だ。

 


初めての経験は、・・・

2023-09-04 11:08:03 | 日記・エッセイ・コラム

 八時十五分、身支度をして、車に飛び乗り、自宅を出発。 点滴を、八時半の一番にやってもらう為だ。 自宅から100m走った処の、谷筋になった空間に、驚きの光景が待って居た。 数百匹のアキアカネが、谷筋を通って噴き上げてくる風に乗って、舞って居たのだ。 此れだけの数の集団は、初めて見た。 一体何処から集まって来たのやら・・・・。 強く成り始めた朝の太陽の光を、羽一杯に受けて輝きながら飛んでいた。 横目で見ながら、病院に行ったが、帰りに予定していた買い物を辞めて、アキアカネをもう一度見ようと帰って来たが、十時には一匹もその姿が無かった。 気温と風向きが齎した、奇跡だったのだろう。 此の所、こんな人生で初めての、経験をすることが多く成って来た。 まさか七十八歳にもなって、新しい発見をすること等、滅多には有るまい。 何だか先が短い気がして来た。 血液検査では、カリュウムの数値が下がり、血圧が高くなってきたが、今度は高すぎだそうだ。 朝晩二回、自宅でも測っているが、確かに高い。 145位を上下している。 少し下げるための方策をしなくては、・・・ と言う事らしいが、又薬が増えそうだ。 塩分控えめ、肉類禁止。 実行しているが、あまり効目が無い様だ。 予報では、広島の気温が「37℃」だそうである。 何処か避難したい気分だ。 自宅の冷房は、狭い空間で押し込められた気分になる。 久しぶりに映画でもと思い、ネットで調べたら、若者受けするような物ばかりである。 窓から見える空は雲一つ無く、青空が広がっている。 隣の家の屋根は、既に焼けて、高温になっているようである。 屋根の周りだけが、景色が揺らいで見えている。 こんな景色も初めての経験である。