藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

やっと痒みが軽くなってきた

2021-11-03 13:28:12 | 日記・エッセイ・コラム

 蕁麻疹か、はたまた薬疹か不明のまま、皮膚科でいただいた薬で、痒みは無くなってきた。 と言っても、左わきの下だけは、少し痒みが残っている。 一時期、「鯖」を食べると蕁麻疹が出る時があった。 それまでは、好物の一つが「鯖」。 特に「〆サバ」は大好物だった。 此れさえ有れば、他の物は無くてもご機嫌だったが、四十過ぎに突然受け付けなくなった。 アニサキスが居た訳でも、生きが悪かった事も無かったが、「鯖」は干物からひどい時は見ただけで、湿疹が出た。 しかし二年ほどして有るときから、再び食べられるようになった。 広島市は、背中に浜田市を背負っていて、何時でも生きの良い「鯖」が手に入っていたのだが、此の処良い品物が入って来ない。 漁獲量が減少したので、高値になったら「東京」へ取られてしまっている。 以前は、安い値段の「鯖」等、東京に送ってもガソリン代にもならなかったが、大きく脂ののった「鯖」様は、東京へ送られていく。 格が一段上がったのだそうだ。 中型以下の小物しか広島に出て来ない。 「このしろ」(東京では、「こはだ」と言うらしい) も、大きく脂の乗ったものは、めったに広島に出て来なくなった。 「関鯖」や、「関鯵」は、以前から生きたまま、東京に送られていたが、今では、浜田の魚も同じ様に送られるらしい。 広島近郊には、カキの養殖業者以外に、「漁師」が居なくなったそうであるから、以前の様に地元産の物がない。 以前は、「海苔」の養殖も盛んであったが、近年見受けられない。 近年「鯛の一本釣り」等、聴いた事も無くなった。 辛うじて、「阿多島」の「ハマチ」の養殖が、頑張っているくらいだ。 嘗ては、因島や尾道の「鯛の一本釣り」の漁船が、宇品の港に100隻ほどやって来たが、今は見る事は無い。 春に、宮崎県沖で始まる「鯛漁」が、季節と共に淡路島まで、漁船生活をしながら追い求めていた漁師もいなくなったのだ。 今や瀬戸内海は、レジャーボートの釣り船ばかりの感がある。 ただ宮島沖では、太刀魚漁師がおいでで、生きの良い物が市場に出るそうだが、我々庶民には口に入らない。 辛うじて、「カタクチイワシ」の船団が生き残っているくらいのようだ。 

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久し振りの外出

2021-11-02 16:36:33 | 日記・エッセイ・コラム

 奥様の援護で、久しぶりに超大型スーパーへ、出かけた。 目的は、買い物は二の次。 昨晩遅くに孫姫様から電話。 「絵葉書ポスターが入選して、今日から安佐南区の大型店で展示されるので・・・」。 奥様と行ってきました。

      

 納税振興のためのポスター(絵葉書)募集があったらしい。 広島市内の小学校六年生が応募したそうだ。 それに入選したのだそうだ。 展示されたものは、入賞入選作品百点ばかり。 その後は、私の今夜の献立の買い物と、奥様は「交通安全協会総会」の茶菓子の買い出し。 久しぶりに、広島経済大学近辺を見たが、大変な変わりようだった。 巨大スーパーがずらり・・・。 駐車場は千台近くが入るのではなかろうかと思われる広さ。 嘗ては、三菱の精密機械が生産され、私立の女子高等学校があった場所である。 そう言えば、今は名前が無くなった、油谷重工の主力工場があった場所だった。 少しばかり家に籠っていたら、世間は大替わり。 私は何処へ行けばいいのでしょうと・・・・迷子に成りそうだった。 これほどの再開発事業には、裏でどれ程のお金が動いたのやら。 そう言えばここは、かの買収選挙の法務大臣の地元だった。

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野党の不甲斐なさ

2021-11-01 13:19:51 | 日記・エッセイ・コラム

 気候変動の大きな環境変化で、国民の意識が少しは変わるかと思ったが、若者の浮かれた文化は、全く修正されぬままのようだ。 自分たちの将来に対して、自らが学び研究しないと、命さえ守れない時代が来る気がする。 それは自然災害だけではない。 他国間との摩擦も今まで以上に大きく成り、多国籍企業は日本を逃げ出せば良いが、国民の大半はこの国から、逃げ出すことも出来ないのだ。 そんな事を考えながらネットのニュースを見ていた。 窓の外の景色が、ほんの少しばかり変わって来た様だ。 向かいに聳え立つ「螺山」の、麓辺りから紅葉が始まっている様だ。 

     

何時もと逆の秋の訪れである。 山頂部は青々として、未だに変化がない。 昨日も昼間の室温は24℃を超えていた。 それでも奥さまが努力の末に、吊るして置いた柿が、程好く萎びて来て、干し柿の態を現し始めた。

     

新年のお供え餅の上は、此の干し柿が乗っかる事に成るのだろうか。 此の処体調はすぐれないのだが、気分転換に旅行がしたくてたまらないのだが、コロナで「我慢、我慢」。 阿蘇山の噴火が見たいのだが、・・・・。 過去に幾度も阿蘇に行ったが、噴煙が上がっている事は無かった。 その割には、危険情報が出ていて、山頂には行けなかった。 ただ一度だけ、昭和40年の夏に登頂した事が有る。 同行した女性たちが、牛に追っかけられて騒いだため、牛たちが余計に興奮した事件は、未だに夢に出てくる。 遠い昔の物語である。 国立阿蘇青年の家は、今如何に、・・・・。

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