藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」

2013-01-08 17:03:33 | 社会・経済

「憂う」について考える(5)。

二大政党論について「憂う」

二大政党によって、政治が行われている国は調べてみると殆ど無い。

大英帝国つまり、イギリス。そしてアメリカ合衆国。たしかにこの2つの国は二大政党が成立している。イギリスは「保守党」と「労働党」。「経営者や貴族関係者」対「労働者」の対立講図である。アメリカの場合は、保守二大政党である。「暴力軍国主義」対「リベラル」との対立である。これは政治手法論の違いであり、思想的違いは殆ど無いに近い。強硬派対穏健派位の違いである。ただ、民主党が低所得者よりの政策に対し、共和党は富裕社層の保護を求める。イギリスに場合は明らかに違いが存在する。

さすが産業革命の発祥の地であると思っていたが、どうも其れだけが理由ではなさそうである。少し時間をかけて先日来調べてみると、面白いことに気付いた。日本とイギリスは共に立憲君主国である。しかし調べてみると、イギリスには憲法は存在しないらしい。過去の議会が判断したことが憲法の変わりをしている。だから時代と共に変化する。しかしその変化が国民から批判されると、総選挙で政権担当が変わる。また、裁判所が国民の利益を著しく阻害した時には、司法権を発動する。そうして常に国民の声が国政に反映されるようになっている。イギリス王室の立場も違う。立憲君主制の国家であるから日本と同じと思ったが大違いであった。イギリス王室は、国家から一ポンドの財政的援助をも受けていない。自主的歳入で全てを賄っている。ここが日本の皇室と違う。国家予算で全ての行動を制約される日本の皇室との違いは歴然としている。世界から見ると日本の皇室は、国家機関の一部としか見られていない。ここに労働者を中心にした政党が存在できない理由が存在する。イギリス王室は、国家のシンボルであると共に、国民と同じ納税者なのである。日本の皇室には其れは無い。ただ単なる国家のシンボルに過ぎないのである。日本国憲法の読み方によると、隠された力が存在する。天皇の国事行為は、任命と認証の二つが主な仕事である。共に政府の「助言により」という言葉がついてのことであるが、拒否したら如何するかなどは記されていない。そもそも天皇の存在は、権利を有する国民の「総意により」存在すると憲法に定めてある。総意とは国民全員のことである。未だかって、国民の総意など聞かれた記録など無い。国民全員に聞けば、必ず一人や二人、いやそれ以上の国民が、その存在を否定するであろうから、まず行うことはまず無い。

そこに私は「憂う」のである。

天皇の後継者は「男系で無ければならない」其れが天皇家の伝統だそうである。「皇室典範」にそう記されているらしいが、詳しく読んでみた事はないし、あまり国民の目に触れることも無い。一時期、国会でも女性天皇についてちらほら話が出てきたが、本来天皇家のことを、国会で議論することが正しいいかどうか、考える時期に来たように感ずる。イギリス王室の後継者は家庭内のことであって、一応後継順位は決まっているが、そのように成るかどうかは誰にも解らない。王室を継承するに相応しい人物が選ばれて当然なのである。

私はこの様な事を書くために書き始めたのではなかった。イギリス王室と、日本の皇室との自由度の違いを「憂い」、其れが日本に二大政党を成立させない理由ではないかと考えて、書き始めたが横道に逸れてしまった。

違いが何処か答えは簡単であった。財政的に独立しているかいないかの違いである。イギリス王室は財政的に国家から独立している。では収入は何処から入ってくるのか疑問が湧き調べてみたら、主な収入源は道路使用料らしい。らしいと書いたのは、確認が難しいからで、ロンドンの道路は王室の所有らしい。その使用料が主な財源で、その財源をやりくりして、遣ってきたが赤字になりバキンガム宮殿やその他の王室所有の宮殿を一般に開放しその入場料で財政を賄っているそうである。「なーるほど」と思ったのが、王立博物館という名はよく聞く。そうした施設から得た利益で王室を運営しているから、国民から自由でいられるのである。ならば日本もそうすれば良いのに、なぜにそうしなかったのかという疑問が湧いてきた。元来「伊勢神宮」や「明治神宮」は皇室のものであったはずである。特に「伊勢神宮」の斎宮は皇室の独身女性が勤めて来た。戦後は皇室と切り離されたように見えるが、斎宮は皇室出身の女性が代々勤めておられる。

例えば、奈良の「正倉院」等は、皇室の私物として存在したはずである。

これを全面的に公開できたならば、莫大な収入源となることは間違いない。

現在の社会の中で「国家神道」等行えるはずも無い。「伊勢神宮」も皇室にお返しして、皇室の財政的独立をすることこそ、構造改革なのではなかろうか。自由な行動が約束された、しかし国家権力を持たない皇室が出来た時が、真の戦後と言えるのではなかろうか。その後にこそ二大政党が誕生するような気がしてならない。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 深山 霞の「霞的心」 | トップ | 深山 霞の「霞的心」 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
新年おめでとうございます (北国)
2013-01-08 21:16:05
新年おめでとうございます

政治とはいったい何なのでしょうね。
国民のためかそれとも1部の者のためなのか。
国によっても違うし時代によっても変わると思う。
どんな制度がいいのか。どんな政党がいいのか。
国民はどのようにして勉強していけばいいのか。
新年にあたり私の疑問でもあり課題でもあります。
今年もどうかよろしくお願いいたします。
返信する

コメントを投稿

社会・経済」カテゴリの最新記事