藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

あの「狸の襟巻」は何処に行ったやのら

2023-06-02 15:28:08 | 日記・エッセイ・コラム

ブログを書いた後、「狸の襟巻」を探してみたが、何処に隠れているのやら見つからない。 処分した記憶は無いし、四本足の貫禄十分な奴だったが、・・・・。 広島市の高野橋と言う商店街に「ブラジル」という、喫茶店がある。 路面電車の向こうに市役所が有り、店の三軒隣は、大型交番常時15人は勤務している。 中学生時代、友人が、二人乗りで捕まった。 警察官「二人乗りはいけないなー」 友人「いやいや三人乗りだよ」 即家庭裁判所送りとなったが、広島市内有名な進学校なので、学校長預けとなった。 加えて、20m先には中央消防署と言う立地条件である。 さて事の始まりは、広島市議会が徹夜審議となり、多くの市職員が徹夜で仕事をした。 食道は、昼が本番。朝から腹持ちの良い物は、何処にも無かった。 せめて「コーヒーでも」と、そんな連中が、この喫茶店にやって来て、トーストを頼むやら目玉焼きを焼いて提供してくれと、頼んだそうだそうだ。 昭和27,8年頃、そんな事が度々起こり、店の主人は、トーストに、ゆで卵の野菜サラダ、珈琲の三点セットで。朝十時まで提供を始めた。 これが、モーニングサービスの始まりである。 わたしは、この店のマスターと懇意になり、夏休み等は、バイトをさせていただいた。 歌声喫茶も東京より早くから始まっていた。「ムシカ」と言う喫茶店が、NHKのみんなの歌の歌集を使い、音大の先生がアコーデオンで伴奏して、若者たちが大声で歌っていたものだ。 「NHKみんなあの歌のディレクター」、今は実名でブログを書いて御出での「志村建世」氏(http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/)が、担当されていた番組だ。 加えて、実家が「野ばら社」という、出版社をしておられたので、歌集を出されていた。 この方は、学習院の英文科出身で、「ペギー葉山」さんが、お歌いに成った、「ドレミニ歌」はこの方の翻訳だ。 話が「狸」からとんでもない話に成ってしまった。 「私の、狸の襟巻は何処に行ったのでしょう」。 昨晩は一睡も出来なかった。

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2 コメント

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Unknown (natu)
2023-06-02 20:04:42
アラ!懐かしや志村建世氏の名前が目に留まりました。志村さん90歳になられてお元気でブログを更新していますよ。以前東京で2,3回お会いしたことがあります。素敵なお方ですね。
狸の襟巻私も持っています。見つかるといいですね
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Unknown (花てぼ)
2023-06-03 10:19:53
私も志村氏の最近のブログに触れようとしたところ、natu さんが書いておられました。
 以前も、「うたごえ」、「野ばら社」、「青年の歌」のことお話したことがありましたね。
殊に、志村氏のお父上発行の「青年の歌」を
わが青春時代はよく持ち歩いたものですが、今、この本を開けてみたら、手に入れた日付を1964年、7月としています。涙がでるほど懐かしいです。
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