△ 昨夜、横になりながら暑さをしのいでいて気付いた。 中学校時代「日本国憲法」の授業があったが、深く掘り下げては行われなかったことについて、担当の先生がいい加減であったと思っていたが、そうではなく授業を受ける側に問題があったと気付いた。 同じ先生の授業を受けながら、東大に進学しかつ「天下の無罪請負人」と呼ばれる弁護士になった者もいれば、私のように終生ふらふらと生きているものまで存在する。
△ 朝鮮動乱が勃発した時、アメリカから派兵の協力が有った時、それを断った根拠は「日本国憲法」がその根拠であった。 その瞬間から、「与えられた憲法」から「日本国民の憲法」と成ったのである。 先の大戦が、如何に国民を疲弊させたかを、時の政治家がよく認識していたからだ。 ただ一部の特権的政治家の中には、「疲弊」することなどなく、むしろ「政治的力を得た」人々が存在したことも確かである。 現在の国会議員の中にはそうした政治家の二世、三世があまりにも多くなってきた。 第三章ではそうした「特権階級」を認めないと規定しているが、「選挙」という手段の名のもと、「特権階級」を形成していることは確かである。 中には「旧宮家」の子孫がマスコミを通して、声高に「宮家復活」を訴えているし、オリンピックの組織の中心にもそうした人間が居座っている現状を見るにつけ、日本国民が今一度「日本国憲法」を学びなおす必要があるように思い始めた。
△ この写真は、昭和二十一年十二月一日に発行された「日本国憲法」である。 ページ数31ページ。 和文と英文で記されている。 同年十一月三日附の官報である。 占領時下の官報であるから、英文官報と共に記されている。 いまだ独立国ではなく、ここから民法をはじめとする法整備がなされて「サンフランシスコ条約」締結で独立国として歩き始めた大元なのだ。
△ 手に取ると、今にも崩れ落ちそうな一冊である。 三日かけて古書店を検索して、甲府市内のこの一冊にやっとたどり着いた。 全文旧字体で書かれており、手に取って読みながら、「日本国憲法」も来年七十歳となるのだと実感している。
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